著者は『寝煙草の危険』が本邦でも高く評価されており、本作も大きな期待のもと読み始めたが、これが一言でいえば「しっくりくる」ホラー長篇だ。軍事政権時代と民主化への移行が共存する20世紀後半の政治的激変期のアルゼンチンの状況を緻密に物語に取り込みながら、同時に、父と子の愛の物語として、異能力者たちの物語として、様々な側面を持たせ、そのすべてをホラーとしてまとめあげた、美しい長篇だ。
物語の舞台は1960年代から90年代にかけて。〝闇〟の力を借り、アルゼンチンの政財界の裏側で暗躍し不死化を目指す〝教団〟。そこで唯一の闇を呼び出す霊媒である美しい男性フアンと、同等かそれ以上の力を宿していると見られる息子ガスパル。この明らかに怪しい教団に使い潰されようとしている父と子だが、父は自身の残り少ない寿命を燃やして、なんとかして息子を教団の魔の手から逃そうとする──。
といった表面的なあらすじだけ読むと舞台の時代も相まってなんだか古臭いダークファンタジイに感じられるが、読み始めてみるとずいぶんと印象が変わってくる。設定的にはダークファンタジイでも、その表現方法はホラーの文脈でなされているのだ。
物語は全6章から構成され、各章ごとに取り扱っている時代と中心人物が異なるが、それぞれの視点から「恐怖」が描き出されていく。たとえば最初のパートは1981年で、父親のフアンを中心人物として描き出していく。フアンは異能力を使いこなしていて、印章や儀式を用いた死者との交信や、精神的な干渉への防御手段など、多くのことを知っている。彼は闇を召喚できる現状唯一の存在だが、闇は彼にとっても恐怖の根源だ。一度闇を召喚してしまった後は、もはや召喚しないということもできない。
同じく教団の一員であるフアンの妻ロサリオは、最初のパートの時点ですでに何らかの理由で亡くなってしまっている。妻をすでに失った状態で何よりもフアンに恐怖をもたらすのは、息子ガスパルの存在だ。明らかにガスパルはフアンの能力を引き継いでいて、見えぬものを見ている。それが教団にバレたら、フアンの後継者として囚われ二度と闇から逃れることができなくなる。そのため、フアンは息子にこうした異能の力、闇が存在する〈あちら側〉のことを本人自身にも秘匿しながら、教団から息子の能力を隠し通すという、難しいタスクの達成を強いられることになるのだ。
それに続くのは「ひとけのない家々にまつわる邪悪なこと 一九八五-一九八六、ブエノスアイレス」と題された、単独の作品として抜き出せるほど洗練されたホラーとして成立している章で、息子のガスパルを中心人物として描き出していく。少年期に入ったガスパルと、片腕のない少女アデラと仲間たちが、ひとけのない家々──ホラーにはつきものの「招かれざる廃屋」を訪れる物語だ。
なんでも、ビジャレアル通りの家には、ある時期までは老年性の認知症を患う老夫婦が暮らしていたが、二人は相次いで亡くなり、その後は実質的に心霊スポットと化している。中に入ってそこで眠ったら、周りにたくさんの肖像画や人の顔が見えるとか、眠くなるとか。ガスパルに恋心を抱く少女アデラは、好奇心と、酔った母親がもたらした、行方不明な父親がその家の中に隠れているかも知れないというかすかな期待をもって、ガスパルと友人たちを連れて、ビジャレアル通りの家に侵入する──。
家は、一見するかぎり特別には見えないが、もし上空から降りてきてその前で浮かんで眺めることができたら、細かいところまでわかるだろう。鉄製の門は焦げ茶色に塗られている。前庭の芝はとても短く、からからに乾燥している。陽に焼けて、伸びたところはどこにもなく、緑はいっさい見えない。旱魃と冬が一度に来たかのような庭だ。家はなんとなく微笑んでいるかのように見える。煉瓦でふさがれた窓が閉じた二つの目のようで、それだけでも人の顔を思わせるのだが、地元の子供たちが表玄関を開けようと無駄な努力をして、そこに渡された鎖と南京錠を動かし、半円形に垂れた鎖が口みたいに見え、窓の目のあいだでにっこり口角を上げる笑顔を作っている。*1
このように、家の描写を念入りに行うところが、ホラー小説としての肝だ。そして、闇が存在する世界だから、当然ただの心霊スポットでは話は終わらない。
こうした古典的な幽霊屋敷奇譚と同時に描き出されるガスパルの「恐怖」は、父親の存在だ。死にかけている父親の側にいる恐怖。実の父も母も亡くなった後にくる、未来への漠然とした不安。そして、時折なにかに乗っ取られたかのように変容し、時に暴力的になる父親への恐怖。読者はそれは教団、あるいは闇の召喚絡みだとわかるが、ガスパルからすれば父親の豹変は恐怖の対象でしかない。
本作のもう一つの魅力はラテンアメリカ圏の歴史が織り込まれている点にある。たとえば、先の幽霊屋敷でも、高速道路を作るために家が問答無用で破壊された、独裁政権時代の横暴なエピソードが関わってくる。みながテレビで釘付けになる、1985年のコロンビアの火山が噴火し2万人以上の死者が出た事件。マラドーナが活躍するサッカーワールドカップの盛り上がりなど、時代を伺わせるエピソードが随所に挿入されるが、1973年ブエノスアイレス生まれの著者の、実体験に近いものなのだろう。
美しい思い出だけでなく、アルゼンチンの政治状況をめぐる暗部といえる部分までも赤裸々に織り込んでいく。作家は一度は自身の幼少期の体験を丁寧に織り込んだ傑作を描くものだが、著者にとっての本作は、その必殺技に近い作品なのだと思う。
物語は下巻で、教団の成り立ちやその内部を描く章や、ビジャレアル通りの家探検の後日談をジャーナリストの目線で描き出すパート、そして最終的には、「空で咲く黒い花 一九八七-一九九七年」として、再度ガスパルを中心人物として、父子の物語として、教団との物語にケリがつくことになる。それぞれに別の角度からのホラー的な演出が凝らされており、読み通すと、複数のホラー作品を読んだ満足感が残る。
特別にピックアップはしなかったが、息子を想うがその真意を十分に説明できない不器用な父親と、最初は父の振る舞いが理解できずとも成長し、力を増すことで父と母の真実に気がついていく息子。そうした、割り切れない父子の愛情の物語としても一級品で──と、とにかく様々な側面が洗練された長篇なので、この冬休みの読書として、ぜひともおすすめしたい一冊だ。
*1:p. 346 上巻
id:huyukiitoichiはてなブログPro冬木糸一という名前(ペンネーム)で活動しています。主に書評・ブックガイドを書いております。SFマガジン、本の雑誌で書評を連載中。Amazonのアソシエイトとして、冬木糸一は適格販売により収入を得ています。
その他、web、雑誌、文庫解説など寄稿多数。ご依頼・ご感想は→huyukiitoichi@gmail
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