もともとあまり読み慣れないインド作家のSFという時点で(未知のものが読めそうなので)だいぶ期待していたが、本書はインドの出版社が刊行した作品ながらもアメリカでローカス賞短編集部門のファイナリストとなったり、イギリス版がアーサー・C・クラーク賞の候補になったりと評価が高く期待はさらに大きくなっていた。
ソーシャルなスコアが実際の生活に影響を与える未来というのはSF的には何ら新しいものではないし(そもそも中国をはじめとして、もはや現実になっている)それを魅力的な形にするのは難しいのではないかという懸念もあったが、これがまー懸念を吹き飛ばしておもしろい! 多角的に未来の都市の在り方、テクノロジーの表出を演出していて予想を超えてきたし 連作短編形式で、数々の社会階層、立場の人間からこの”頂点都市”の実態──完璧に管理されているようにみえて、実際には息苦しく生きづらいディストピア社会と、それにレジスタンスする人々の姿──が見えてきて、バラバラだったピースが、ラストに向けて美しく結実していく。
最近刊行点数が減っているように思えるど真ん中のSFらしいSF、それも三部作の第一部とかではなく単巻完結ということで、今年刊行の翻訳SFの中でも特におすすめしたい一冊になった。以下、詳しく紹介していこう。
物語の舞台は、気候変動やその他の危機によって「国家」という枠組みが消滅した近未来。環境危機後に各種資源を求める自国民の要求の高まりに、政府の規模では対応しきれなくなってしまい、州や都市は国家から独立をはかった──という流れで、世界は都市単位で分断されてしまっている。そうして生まれた各都市の中でも特に舞台になるのは頂点都市だが、これも突如発生した架空の都市でもなく、もともとの名は実在するインドの都市ベンガルールであり、他にもロンドンは「王冠都市」、ベルリンは「尖塔都市」とそれぞれにその名前を変え、都市ごとの特色を出している。
頂点都市の特色は、最初にも書いたが徹底した能力主義による統治だ。ベルカーブが由来になっているベル機構と呼ばれる統治機構が、市民を日々の生産性やその態度・思想を検査して、「上位2割民」「中間7割民」「下位1割民」を明確に峻別し、市民は自分がどの階層にいるかによって使えるツールも与えられる待遇も異なってくる。
平均値通りの仕事ができていれば中間7割民でいられるかもしれないが、実親の死などをきっかけに不調を抱え失業状態になったりするとすぐにベル機構からの通知が送られて、生産性向上プログラムを押し付け、目標達成に失敗すると「追放処分」を食らい、ヴァーチャルリアリティなど数々の最先端技術のすべてを剥奪され”アナログ民”と呼ばれる原始的なテクノロジーしか利用できない下位一割民へと格下げされてしまう。本物の木が存在する森林公園に入れるのは上位二割民だけで、その中でも本物の木に触れられるのは上位一%民だけなど、上位層の中でも権限が区別されている。
頂点都市におけるスコアは仕事をしているかだけで決定するわけではない。デバイスで入力されたすべての検索語、職場の同僚との会話や何気ない雑談、番組の視聴履歴などすべての行動が記録され、総合的に判断される──。
こうしたざっくりとした世界観だけ読むとよくある管理社会要素の詰め合わせパッケージやーんと思うかもしれないが、実際にはこうした世界観の説明が一気呵成に冒頭で説明されるのではない。本作は便宜的に連作短編と紹介したが、明確にオチがなく後の話の布石となる当初は意味のわからないエピソードも散りばめられていて、それらを読み進めていくことで頂点都市が何なのか、頂点都市以外の都市、世界はどのような状況なのかがパズルを組み立てるようにして明らかになっていく。
印象に残っているエピソードを順に紹介していくと、中間七割民として業績をあげ、上位二割民への昇進を前にして思想チェックが入る恐怖と、ベル機構が市民の言動をどれほど細かく監視しているのかが明らかになる「ベッドの下の怪物」。
「だが」と、ミスター・モリスの声がレーザーサーベルのようにジョンの夢想を切りさいた。「きみの意見を修正しないかぎり、昇進は絶対にありえない。わかるかね?」
「わ、わかりません。いまはまだ。つまりその、どうやったら個人的に形成された世界観を修正できるのでしょう?」p.20
母を亡くし生産性が低下した結果ベル機構の職を失い、下位一割民への追放におびえながら生産性向上に邁進する(そして、堕ちそうになりながらも下位一割民への差別をやめられない)哀れな女性の姿を描き出す「アナログ/バーチャル」の二つは冒頭のエピソードで「頂点都市」のルールと世界観をわかりやすく教えてくれる。
この世界の「能力主義」以外の側面を紹介するエピソードもどれもおもしろい。たとえばバイオテクノロジーが進歩して子どもの外見を思うがままに変えられ、自分のお腹の中で育てず胎児ポットで育てられるようになったこの都市で、あえて自分の肉体で産もうとする女性が度重なる攻撃にあう様を描いた「社会的体裁警察」。ベル機構最優秀賞授賞式に招待されたヴァーチャル世界の住人が、それぞれの理由で葛藤する(ヴァーチャルゲームの中では筋骨隆々の戦士だが実際はやせっぽちのメガネ娘だったり、匿名でやっていた料理が評価されていたのが、実際には超美人なので姿が見られて「美人すぎる◯◯」と言われるのを嫌う女性など)「アバター」。
頭の中で自動的にメトロノームを刻んでくれるアプリが使えたり、チップを埋め込まないとtu数々のソフトウェアの恩恵を受けるヴァーチャル民の音楽家にたいして、生身で対抗しなければならない若きアナログ民の音楽家の苦闘を描く「エチュード」。体内のホルモンやニューロンの動きを検知し行動を”ベル機構にとって”最適な形で調整する超対話型精神感情有知覚システム、通称ミメシスについてのエピソード「七年ごしの不具合」など、能力主義社会という軸を通して様々なテクノロジーとその運用に苦しむ人々の姿が描き出されている。
能力主義で人を評価し、下位10%を切り捨てる社会は、どれほど正確に個々人の成果がスコア化できたとしても、上位層・下位層どちらにとっても苦しいものになるのは間違いない。そうした能力主義・階層社会への批判的視点と、ヴァーチャル・アナログとの対比からくる、「デジタル危機やソフトウェアに頼りすぎた人々の弱点」という二つの大きなテーマが、本作の各種エピソードを通して浮かび上がってくる。
こうした階層を意識させる物語は、インド作家だからこそ出てきたものでもあるのだろう。訳者の新井なゆりさんにとって、おそらく商業刊行された単独の長編の訳書としては本書が初めてと思うが、翻訳もこなれていて大変良かったので、著者ともども今後に期待したい。
id:huyukiitoichiはてなブログPro冬木糸一という名前(ペンネーム)で活動しています。主に書評・ブックガイドを書いております。SFマガジン、本の雑誌で書評を連載中。Amazonのアソシエイトとして、冬木糸一は適格販売により収入を得ています。
その他、web、雑誌、文庫解説など寄稿多数。ご依頼・ご感想は→huyukiitoichi@gmail
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