ちなみに、KADOKAWAの二冊と合わせて、劉慈欣の全短篇はこれで全部訳されているらしい。四冊読むだけで劉慈欣の全短篇を読んだといえるのだから、比較的追いつきやすい作家といえるだろう。短篇集としては『円』の続きにあたるので、順番を気にするのであれば『円』から読むべきだろうが、別に相互に繋がりのある内容があったりするわけではないので、本作から劉慈欣の作品を読み始めても問題はない。
劉慈欣は作風として物理学への期待や宇宙の巨大なスケールへの憧憬、また人間の底力を描きながらも、同時にその限界も示す──というのが挙げられると思うが、本作収録の短篇群は特にそうした特徴が出ていると感じた。そのため、こちらの方が好きという人も多いだろう。以下、個人的にお気に入りの作品を中心に紹介していこう。
トップバッターは表題作でもある「時間移民」。劉慈欣が長篇でも短篇でもたびたび用いる”人工冬眠”が実用化された未来、地球が人口増に伴う環境負荷に耐えられそうにないため、8000万人を人工冬眠技術を活用して”未来に移民させる”ことを選択した人々の話である。で、最初は120年先の未来にたどりつくのだが、そこでは戦争は実際に交戦するのではなくシミュレーションで双方の破壊率を出すようになっていて──と、数百、数千年ごとの社会の変化をスナップショット的に切り取っていく。
奇しくも2024年のはじめ頃に刊行された田中空の『未来経過観測員』とほとんど同じ発想の話だが、オチと過程の方向性、読後感は大きく異なる。はたして最後に訪れる人類の姿とは……? こういうのはSFの王道だけど、作家の人間観が出るね。
医学部を卒業し、脳外科の研修医になった医者の男性と、天文学者の女性の出会いと対話を描く一篇。惑星の形成や恒星が宇宙にもたらす事象を研究しようと思ったら、人の一生はあまりに短すぎる。そうした、壮大な宇宙と小さな人間の対比は劉慈欣の特徴のひとつだが、本作には天文学者の口を通して、それがよく現れている。
『恒星の世界に入るのは、一輪一輪ちがう花が咲いてる無限の花園に入り込むみたいなもの。こんなたとえは妙に思うかもしれないけど、ほんとうにそんな感じがするのよ』(p.36)別の分野の専門家として、長い年月を経ても親しく対話を重ねる仲の二人だが、ある時両者の研究分野が重なる瞬間が訪れる──という結末も美しい。
これは本書収録作の中でもトンチキ寄りの短篇だ。地球に突然低温アーティストを名乗る謎の宇宙生物(見た目は大きな氷の球)がやってきて、海から水を取り上げ次々地球周回軌道に乗せてしまう。海がなくなったら地球の気候はオワになるが、低温アーティストが戻してくれるわけでもないので地球人はその後始末に追われることになる。似たようなコンセプトで、わたしの楽器は太陽です! と語る恒星奏者が現れる音楽SF短篇の「歓喜の歌」も「夢の海」の後に収録されている。
これは短篇名「宇宙収縮」通りに宇宙が収縮していく話なのだが、シンプルなプロットと演出が良く気に入っている。統一場理論を打ち立て、巨大スケールの宇宙に関する理論的な予言として宇宙は◯時◯分◯秒に収縮に転じる! と喝破した丁教授。
いうて宇宙がその時点で収縮に転じたとして、膨張しきった宇宙の収縮の影響が出るのは人間とか地球スケールだとほぼ関係なくね? と誰もが思う中、丁教授だけは宇宙の収縮がもたらす意味がわかっていて──と、劇的な結末へと至る。「凄まじい宇宙のスケール性」と、宇宙の状態を認識すること能力はあっても、宇宙の法則に抗うほどの力は持つことができないという「人間の限界」の描写が詰まった一篇だ。
ある加速器を用いた実験を行おうとしていたところ、「この宇宙からリスクを排除する、リスク排除官」を名乗るが現れ、実験は強制停止させられてしまう。リスク排除官によれば、大量のエネルギーをあるミクロな点に集中させることで宇宙創造レベルまでのエネルギーが生まれる可能性があり、それを防ぐために宇宙中の生物を監視し、知識封鎖ガイドライン違反を咎める宇宙文明の規則が存在するのだという。
しかしそれを聞いた地球の科学者らはすぐにある提案を申し出る。知識を得た後の諸々の危険のために知識封鎖が実施されるのであれば、われわれが知りたいこと──大統一理論など──を教えてもらった直後に、自分を破壊してくれと。本作が劉慈欣らしいなと思うのはこの申し出をする科学者が一人ではなく何人も出現することで、真理をえるためなら命を投げ捨てる人々の姿が描き出されていく。
”すごい情景”が劉慈欣SFの魅力の一つだと思うが、本作はそれがよく現れている一篇だ。冒頭は地味な戦争ものというか、ロシアで共産党が政権を獲得した後、国内右派勢力がこれに反発し、政権奪還のためNATO軍と共にロシアに侵攻した状況が描き出されていく。開戦後、電子戦で勝ち目がないと悟ったロシア側は味方も含めた全帯域にわたる電波妨害を行うのだが──という地べたの戦争が、ロシア軍のレフチェンコ元帥と、その息子で恒星の数学モデルを専門としているミーシャ、まるで異なる畑を専門とする、交わらないはずの両者と共に描き出されていく。
元帥という立場でありながらも銃器や戦争に一切の興味を持たず別の道を行く息子を認める父親と、興味がなさそうにみえて自分なりの形で父と国家のことを考えている親子の物語としてぐっとくるのだが、「思索者」のように、交わりそうにないものが混じり合う驚きが終盤にもたらされるタイプの一篇で、これもお気に入りだ。
現時点では劉慈欣の最新作(2018年発表)となる短篇で、表題作と同じくこれも人工冬眠もの。宇宙船が制御不可能に陥り、月の周回をして地球に帰るはずだった宇宙船〈フィールズ・オブ・ゴールド〉は宇宙をさまようはめになってしまう。
搭乗者のアリスは死をまつばかりかと思われたが、人工冬眠用の薬剤ウィンターゴッドを所持していて──と、意図せずして始まってしまった宇宙の漂流記と、それを救うために立ち上がる人類の姿が描き出されていく。こうした要素だけ抜き出すと『火星の人』チックだが、最後まで読むとだいぶ印象が異なるのだけれども。
劉慈欣の現時点の最新作が2018年ってことは、劉慈欣って作品が売れすぎ&持ち上げられすぎて新しい作品を書く必要がなくなっちゃったってこと? と思うかもしれないが、大森望さんによる訳者あとがきによるといま最新長篇を時間をかけて書いている最中らしい。《三体》でファーストコンタクトテーマについてはやり尽くしたようにみえるが、はたして次はどのような長篇が仕上がってくるのか。
傑作であることは間違いないと思われるので、楽しみに待ちたいところだ。
id:huyukiitoichiはてなブログPro冬木糸一という名前(ペンネーム)で活動しています。主に書評・ブックガイドを書いております。SFマガジン、本の雑誌で書評を連載中。Amazonのアソシエイトとして、冬木糸一は適格販売により収入を得ています。
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