『◇敗軍の将、兵を語らず (中国の故事成語)
「失敗した人間は率直に自らの非を認めて、あれこれ言い訳がましいことを口にするべきではない」という意味の故事成語。語源は『史記』淮陰侯(じゅんいんこう)伝である。「背水の陣」によって趙の大軍を破った、漢の将軍・韓信。彼は敵の将軍であった李左車(りさしゃ)の実力を認め、縄を解いて次の戦の見通し・意見を求めた。しかし、李左車は「敗軍の将は兵法を語るべきではない。捕虜となったものに国の行く末を語る資格はない」と言う。それでも韓信は熱心に李左車を説得し、ついには李左車の助言を得てさらなる成功を得る。』
失敗をどのように考えるかの違いが浮き出てくるのが、このフレーズだと思います。
ストレートな意味からすれば、失敗したら負け組確定なので、黙して語らず、ヒッソリ生きていくというのが、李左車(りさしゃ)の考え方であり、マインドでした。
でも、韓信の考え方は違いました。
李左車(りさしゃ)の実力を認め、縄を解いて次の戦の見通し・意見を求めたのです。
その応答の最初の部分が「敗軍の将、兵を語らず」だったのです。
人生の中には、さまざまな取り組みがあり、アイデアが複数あったとしても、一度に実行できるのは限られてきます。
それが、望む結果に繋がらないとしても、必要以上に落ち込むことはないのではないかと考えます。
戦いの場合は、いのちが取られることもあるので、人命が失われた事については、精神的な負担も伴います。
大将は生き残って、部下が全滅なんてコトになれば、その重さを引き摺るというのが人間の性質に含まれていると思うのです。
しかし、人の命を虫けらのように思い、わが身だけ可愛いという将軍も存在するので、誰の部隊に配属となるのかは、人生の行く先を決めてしまう要素にもなりかねません。選択権があるのなら、それを行使できると良いですね。
「韓信は熱心に李左車を説得し、ついには李左車の助言を得てさらなる成功を得る。」
韓信は、あきらめずに、李左車の知見を求めました。
想像すると、上手く行かなかった理由や他にどのような作戦案があったか? などのディスカッションを重ねたことでしょう。
「このようにした方が良かった」というポジティブな共有ができれば、将軍が一人だけで考えるよりも成功率の期待値も上昇します。
あとは、誰が責任をとって実行するかというステップに進めますね。
将軍のそばには、軍師とも言われる作戦参謀がいるものです。
でも、その状況に応じた適切なアイデアに結びつかないならば、その存在意義も問われます。
自分の人生の戦いのために、より良い作戦参謀を選んでおきたいですね。
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