箴言に対しての向き合う姿勢を問われているように感じる一節です。
立派に見られても、その実情は、いつかバレるものです。
口から、「ペラペラと理想を語ったり、自慢話をしていないか」、再チェックする必要がありますね。
自分自身が精神的に自立できていない人は、自分以外の何かで、補強したくなるようです。
それが、現実と理想のギャップを広げることになるのです。
いつか、そのギャップは、大きな裂け目となり、それに、自分自身が落ちてしまう事になりかねません。
ハッとさせられるフレーズには、誰かの体験を通じた深い教訓があるモノです。
それを表面上だけ、すくい取っても、空虚さが際立つのですね。
リンゴの薄皮だけでは、リンゴの果実は味わえません。
でも、自信喪失している時には、その傾向が強くなってしまうことを肝に銘じておこうと考えています。
「中身が空っぽな缶ほど、大きな音がする」などと聞くこともあります。
せめて、自分が体験した事から、得た教訓を記したいと思います。
世の中、不思議なもので、「賢者は愚者から学ぶ」と言われます。
どの様な状態の人が発信しているかも大切ですが、どのような情報でも、学べる要素がある事も心に留めておきたいですね。
身体の機能に、支障があったり、加齢によって衰えが出てくる事は、人間として避けようが無い要素です。
でも、どのような事があっても、「心が萎える」のが、一番、深刻な影響を与えると考えています。
理想論に振り回されず、無い物ねだりをせず、あるモノに意識を向けて行きたいですね。
「頑固者のだんまり」ではなくて、「黙々と自分の役割を果たす」という基本を忠実に焦点を合わせる事が大切だと考えています。
周囲の人の観察眼は、実に鋭く、簡単にどこに根ざしているのかを探り当てるのです。
人間は、格好にこだわれる自由を満喫することもできます。
しかし、意外に、外見よりも、内面が漏れ出ていることを理解していない人が多いと感じます。
「ぼろを着てても心は錦」なんて言い回しもあります。
外見を気にするマナー(社会性)も大切ですが、それよりも、大切な要素をこの箴言は示唆しているように感じます。
『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業はなしえられぬなり。 西郷隆盛『西郷隆盛——孤高の英雄全軌跡』(新人物往来社)』
理想に燃えて、戦ったのですが、結局、西郷隆盛は何度も島流しになりました。
奄美大島の龍郷町は、彼が穏やかに暮らした土地として知られています。
また、そこに西郷隆盛の像があり、高知の坂本竜馬の像と向き合っているという話しを聞いたことがあります。今頃、二人はどのような会話をしているのでしょうね。
西郷南洲流謫跡【県指定文化財】
西郷隆盛、3度目の潜居地。龍郷集落の白間地区にある。
西郷が愛加那と菊次郎のために建てた新居で、土地の選定にあたっては西郷自ら歩き探したという。
新居は文久元年(1861年)11月20日に完成した。
しかし、薩摩藩からの召喚状が届き、西郷がここで生活したのはわずか2ヶ月だった。
現在の家は明治43年、愛加那の養嗣子龍丑熊によって再建されたものだが、塀は当時のまま残っている。
https://www.town.tatsugo.lg.jp/kikakukanko/shisetsu/miru/45.html
鹿児島の記念館で、西郷隆盛が着ていたという、上着を羽織って記念撮影をしたのですが、かなりサイズが大きかったです。かなりの大男だったのですね。
彼が、国家の大業に携わっていたら、今の日本はどの様になっていたのだろうと思いめぐらします。
日本人が、今、見聞きしているのは、命が惜しく、名誉が欲しく、官位も欲しい、さらに、お金はがっぽり欲しいという政治家や官僚の話しが大半だからです。
実に嘆かわしい時代です。
でも、正常化への希望は持ち続けたいですね。
日本の近代史も、実にきな臭さを感じる要素が満載です。
でも、それを確かめようとしても、スミに塗られて真っ黒になっているのかも知れません。
それらも、いづれ白日の下にさらされる事でしょう。
日本国民のために、最大限配慮された運営がなされる日が待ち遠しいです。
西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体:西鄕 隆󠄁盛󠄁、1828年1月23日〈文政10年12月7日〉- 1877年〈明治10年〉9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人[1]。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。西郷隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。
楽天モバイルがMNOとして参入したときに衝撃を受けました。
しばらく使っていましたが、通信環境が悪く残念な事もありました。
「ぶっちゃけ0円で使われても困る」と言われて他の選択肢を探すことになるのですが、その時には、かなり選択肢の幅が増えていました。
どれだけ使っても3168円という話しを聞いた時に、それだけでもスゴイと思いました。
しかし、それよりも、その設定が、MVMOのさらなる充実を促したという効果が出ていると考えています。
大手のMNOもサブブランドで、格安の回線を用意し、これもまた、ユーザーにとっては、有難い状況になってきたのです。
特に、光回線をグループでまとめると割引の対象になったりと、セット割にも、注目しています。
単体での活用で衝撃的なのは、MVMOの日本通信です。ドコモ回線を使い、合理的プランなどは290円から3コースに加えて通信だけのプランもあります。その中でも、1390円の20Gまで使えて、70分通話まで付いてくるプランは、ほぼ無敵ではないかと思います。
スマホの通信カードを入れ替えたり、設定を変更したり、自分でできる人にオススメです。
サポートが必要な場合は、イオンモバイルが身近な人もいるのではないでしょうか?
店舗で、スタッフがいるので高齢の人でも安心感があるでしょうね。
このようなサポート体制には、コストがかかっています。今後、その体制を存続させるためには、値上げという方向に向く可能性が非常に高いです。
11月から、旧プラン利用者にも、値上げを通知しています。でも、1G増えて110円程度の値上げですから、それほどの衝撃はないのかも知れませんね。
今は、同じ番号を維持しながら回線を変えるMNPがスゴくやりやすくなりました。
数ヶ月経過すれば、短期解約にならずに、スムーズな手続きができるようです。
気をつける点は、短期解約になるか? 事務手数料などの負担です。
スマホ端末を入れ替えたいときには、また、別の工夫も必要になります。
色々、情報を研究しながら、自分にとっての選択肢を探り当てていきたいですね。
生活防衛のためにも、大英断をする時なのかも知れませんよ。
『16:6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。 使徒の働き16:6-10新改訳2017』
「それから」とあるのは、これまでは、すでに知っていた諸教会での弟子訓練が行われていましたが、ここから、初めて訪問する場所での伝道が始まるのです。それは、小アジア(現在のトルコ西部)での伝道でです。
「彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、」という想定外の導きがありました。パウロは、アジア州(小アジア西部)の首都エペソに向おうとしていました。しかし、西方向への移動が聖霊によって禁じられたのです。
ルカは、聖霊がどのようにして働かれたかは記していません。これによりパウロ一行は、最初の計画を変更せざるを得なくなりました。
「何かをする必要がある」ということと、「それをすべきかどうか」ということは、別問題で、この場合は、まだアジアで伝道するタイミングではなかったということだと理解した方が良さそうです。
それは、エペソでの伝道は約2年後に実現するからです(使徒の働き18:19)。
「フリュギア(フルギア)・ガラテヤの地方を通って行った」とあるのは、ガラテヤ州のフルギア地方のことでしょう。パウロ一行は、進路を北に取りました。黒海南岸沿いを東に移動し、ビテニア地方に行こうとしたのです。
「ミシア(ムシヤ)の近くまで来たとき、ビティニア(ビテニヤ)に進もうとしたが、」
ビテニアは、黒海の南岸地域でで、ローマ世界では重要な交通の要衝の地でした。パウロの計画は、理にかなったものでした。
しかし、「イエスの御霊がそれを許されなかった」のです。今度も、パウロの計画が途中で止められました。
ここでは、「イエスの御霊」という言葉が出て来ます。これは、珍しい用法です(使徒の働きの中ではここだけに出て来る)。ロマ8:9では、「キリストの御霊」という言葉が出て来ます。また、ピリピ1:19では、「イエス・キリストの御霊」という言葉が出て来ます。
これらの用例が示す神学的意味は、「イエスは神である。」そして、「聖霊は、父と子から発する。」、つまり「イエスがパウロの伝道を導く主権者である」と考えられています。
どのようにしてかは記録されていませんが、彼らは再び聖霊によって禁じられました。
ビテニアでの伝道は、後にペテロ(1ペテロ1:1)が行うようになります。
ここには、人間による綿密な計画と聖霊の導きの絶妙なバランスが記されています。第一次伝道旅行では、パウロの計画した通りに伝道が進められました。しかし、第二次伝道旅行では、より厳密な聖霊の導きがあったのです。
「それでミシアを通って、トロアスに下った。」
パウロの伝道計画の基本は、先に進むということです。パウロの思考は、「東に戻るわけにはいかない。」、「西に行くことを禁じられ」、「北に行くことも禁じられ」、「唯一開いている方向は、北西」でした。
その北西に進むと、トロアスに着くのです。そこは、エーゲ海の向こうにギリシアが見える港町で、小アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港町です。また、エーゲ海と黒海を結ぶ港町でもあります。トロアスは、古代都市トロイから約40キロ南にあり、パウロは途方に暮れ、これ以上先に進むためには、船に乗るしかないと思ったでしょう。
トロアスに着いて間もなく、パウロは幻を見ました。パウロには自分の計画はなく、神の導きを待っていました。ある夜、幻の中で、ひとりのマケドニア人がパウロの前に立って懇願するのです。
「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」
この「私たち」という言葉で、マケドニア人であることが分かったようです。マケドニアは、ギリシアの北部、トロアスから真西に位置する地域です。マケドニア人は、ヨーロッパ人でした。つまり、ヨーロッパは、キリストの福音を必要としていたのです。
「私たち」という言葉は、「ここから一人称複数形の主語」になっています。
また、その経緯については記されていませんが、ルカが宣教チームに加わっています。ルカの控え目な性格が反映されているのでしょう。
「私たち」についての「章句」は、使徒の働き16:10~17、20:5~15、21:1~18、27:1~28:16に記され、ルカは、目撃者の視点で記録を残しているのです。
幻を見たのはパウロであるが、宣教チーム全員が神の導きを確信した。
彼らは、ただちにマケドニアに向けて出発しました。この決断は、教会史の中でも特筆すべきものです。これにより、福音は、西回りで全世界に伝えられることになったのです。
子猿の女の子が、麦わら帽子を被って、農作業のお手伝いをしてます。
—毬谷友子 🕊 TOMOKO MARIYA (@mariyatomoko)2025年2月18日
童話の世界みたいpic.twitter.com/mhoVG3ISon
子猿の女の子が、麦わら帽子を被って、農作業のお手伝いをしてます。
童話の世界みたい
「@mariyatomoko 女優の毬谷友子さん」が「X」にポストしていました。
本当に不思議な光景です。
普段から一緒に生活しているように見えます。
また、この男性の言葉を理解しているようですね。
一方、最近は、猿の出没に怯える人たちも増えつつあります。
農作物の食害に悩んでいる人もいます。
日本では、クマの出没で人命が危険にさらされています。
しかし、世界では、大きな熊を飼い慣らしている国もあるのです。
その差は、何なのか?
私には、理解不能なことが多すぎて、困惑気味です。
どうすれば、共存できるのか、それを知りたいと思っています。
『どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進歩する。 ハイネ』
「課題はすべて解決し、もう悩みはない」と感じたら、果たして幸せでしょうか?
「メシウマ」という、少々、趣味がよろしくない表現があります。
これは、「他人の不幸は蜜の味」とよく似た表現です。
つまり、自分と利害関係がない他人が、課題に直面している姿を見ながら食べるご飯は美味しいというニュアンスです。
悪趣味ですね。
でも、人間の中には、そのような一面も隠されているようです。
このフレーズによると、世の中は、課題だらけです。
人間歴史をたどると、農耕や狩りをしていた時代があり、産業革命で技術革新が起きて、工業化が進むなどの大きな変化がありました。
今の時代に至っては、環境負荷に対する評価の対立をどのように見極めるかです。
自然エネルギーと言われるモノは、本当にそうなのか?
環境に悪いのは、何なのか?
などという、偏り気味な評価の軸を、中立線に戻すことが先なのかも知れません。
車に関して言えば、多様性は広がっているモノの、環境に悪いとされるガソリン車は健在です。
また、公害対策もかなり進んでいます。
でも、水を電気分解して、水素ガスと酸素に分離して燃焼させる内燃機関ができれば、排ガスは水しか出てきませんから究極の車になるでしょうね。
電気自動車を考えてみると、電気を作り出す為のコストや充電ユニットなどの配置など普及途上です。空気中から、電気を集めて、車を走らせる事ができれば、よい選択肢になるのではないかと考えます。
まだまだ、人間の前には、課題と希望が広がっています。これからに、期待して希望を持ちたいと思います。
クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 - 1856年2月17日)は、ドイツの詩人、文芸評論家、エッセイスト、ジャーナリスト。デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれる。名門ゲッティンゲン大学卒業、法学士号取得。当初は商人、ついで法律家を目指したが、ボン大学でA・W・シュレーゲルの、ベルリン大学でヘーゲルの教えを受け作家として出発。『歌の本』などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、若き日のマルクスとも親交があり、プロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えた。
文学史的にはロマン派の流れに属するが、政治的動乱の時代を経験したことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表している。平易な表現によって書かれたハイネの詩は、様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれている。
世の中で、分かりやすい変化は「Befor」「After」のギャップです。
極道だった人が、更生して真っ当な人生を歩むなどは、一番分かりやすいケースです。
背中に、勇ましい虎の彫り物などを背負いながら、ネコのように丸くなり、ニコニコするような話しです。
そもそも、更生すること自体は、すばらしい事です。
セカンドライフ、市井の人になる人が増えることを願います。
でも、マスコミやメッセンジャーは、ギャップが激しい人を取り上げる傾向が高いですね。
これは、ずっと真面目に過ごしてきた人から見ると、複雑な思いがあっても当然だと感じています。
人間は、豹変したり、激変もするのです。
でも、変わらず、マイペースで、コツコツと人生を歩んでいる人が多くいるのです。私は、その様な人にこそ、座布団を10枚差し上げたいと思います。
元極道が、悔い改めて信仰者になると周囲も、次々と信仰者になると言う現象も起きることがあります。
それは、天にも喜びがあるすばらしい事です。
一方、真面目に過ごしてきた人、信仰生活をしてきた人の周囲で、何も起きないことも多々あります。
こんな時に、思い出すのが、次の聖句です。
『16:30 そして二人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 使徒の働き16:30-31』
これを聞いてきた多くの信仰者は、自分が信じたら、家族も信仰者になり救われると思わされてきました。
実際に、その様にならないケースが多いのです。
そうすると、真面目な信仰者ほど、深刻なショックを覚えるものです。
どうやら、救いの原則を示した文脈ととらえた方が良さそうです。
信仰は、個人単位です。
ですから、まず、「私が信じたら私が救われる」のです。
そして、「家族が信じたら、その人が救われる」のです。
続けて書いてあるので、そのような誤解の温床になっているようです。
救いの時は、個人が心を開き、創造主である神【主】に向かうタイミングです。そこには、聖霊(第三位格)の取扱があります。それは、人間の業ではなく、【主】の御業なのです。
信仰者は、ジタバタすることなく、信仰の実態を生きて、平安で感謝をしていればよいのです。
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