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hinemos-7102’s blog

どうしても斜に構えて世を見ます。すみません!

電子ゲーム! (>_<)

 

ぼくは電子ゲームをやらないし、知らない。

どこかの子どもの家で、マリオカート(笑)を一度やらせてもらったきりだ。

でも、子どもも大人もゲームに夢中で、一日の大半をそれで過ごす者もいる。

 

人が夢中になって楽しんでいることに対して、ケチを付けるつもりはない。

全くそれは人の勝手で、やるもやらぬも自由だ。

でもぼくは、電子ゲームの内容・仕組み・ルールそのものにも疑問を感じる。

 

例えば、戦闘・対戦ゲームで簡単に人物が死ぬのに、なんでゲームは続くのだ?

ゲームに登場するキャラクターや背景は、どんどんリアルになっている。

でも、簡単に人が死んだり復活したりするのは、全然リアルなことじゃない。

 

 

マリオカートでも、運転を誤って壁に激突しても、すぐ復活できる。

現実にそういうことがあったら死ぬし、警察が来て事故処理で大変だ。

ゲームが続けられなくなるから、すぐ復活できることが必要なことなんだろうが。

 

Eスポーツなるものが流行っているのも不思議だ。プロになる人も出てきている。

おまけに、オリンピックの種目になるかもしれないというのだから驚きだ。

痙攣するようにボタンを押しまくるだけなのに、それがスポーツだと言えるのか?

 

電車に乗っている時、多くの人は携帯でゲームをしている、

あぶくみたいなのがたくさん湧き出てきて、それを打ったり並べたりしている。

うまくやればフェーズが進んだり得点したりするのだろうが、それがどうした?

 

車窓をぼんやり眺めれば、自然や街の様子を飽くことなく観続けることができる。

天気や空の雲は一日として同じものはなく、複雑で千変万化である。

電車が渡る大河の流れは、日々その様子を変化させ、時に美しい。

 

車内だから動きは少ないが、乗客の様子や表情を眺めているだけでも楽しい。

たまたま近くにいる人達を見て、どんな人間なのかを想像することも楽しい。

何を考えているかは伺い知れぬが、世の中にはいろんな人がいるものだと分かる。

 

ゲームは、頭のいい人が、一生けんめいプログラミングして作ったものだろう。

でも、どんなに手の込んだゲームでも、自然や人間の複雑さにはかなわない。

ぼくは、人が仕組んだに過ぎない電子ゲームをすることで、人の掌に乗りたくない。

 

こんなこと言ってると、年寄りのたわ言としか思われないだろう。

でもぼくは、人々はそのうち電子ゲームに飽きてくるんじゃないかと思う。

大事な人生の時間を、ゲームにたくさん取られることの阿保らしさに気づくからだ。

 

 

 

 

 

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