ぼくは電子ゲームをやらないし、知らない。
どこかの子どもの家で、マリオカート(笑)を一度やらせてもらったきりだ。
でも、子どもも大人もゲームに夢中で、一日の大半をそれで過ごす者もいる。
人が夢中になって楽しんでいることに対して、ケチを付けるつもりはない。
全くそれは人の勝手で、やるもやらぬも自由だ。
でもぼくは、電子ゲームの内容・仕組み・ルールそのものにも疑問を感じる。
例えば、戦闘・対戦ゲームで簡単に人物が死ぬのに、なんでゲームは続くのだ?
ゲームに登場するキャラクターや背景は、どんどんリアルになっている。
でも、簡単に人が死んだり復活したりするのは、全然リアルなことじゃない。
マリオカートでも、運転を誤って壁に激突しても、すぐ復活できる。
現実にそういうことがあったら死ぬし、警察が来て事故処理で大変だ。
ゲームが続けられなくなるから、すぐ復活できることが必要なことなんだろうが。
Eスポーツなるものが流行っているのも不思議だ。プロになる人も出てきている。
おまけに、オリンピックの種目になるかもしれないというのだから驚きだ。
痙攣するようにボタンを押しまくるだけなのに、それがスポーツだと言えるのか?
電車に乗っている時、多くの人は携帯でゲームをしている、
あぶくみたいなのがたくさん湧き出てきて、それを打ったり並べたりしている。
うまくやればフェーズが進んだり得点したりするのだろうが、それがどうした?
車窓をぼんやり眺めれば、自然や街の様子を飽くことなく観続けることができる。
天気や空の雲は一日として同じものはなく、複雑で千変万化である。
電車が渡る大河の流れは、日々その様子を変化させ、時に美しい。
車内だから動きは少ないが、乗客の様子や表情を眺めているだけでも楽しい。
たまたま近くにいる人達を見て、どんな人間なのかを想像することも楽しい。
何を考えているかは伺い知れぬが、世の中にはいろんな人がいるものだと分かる。
ゲームは、頭のいい人が、一生けんめいプログラミングして作ったものだろう。
でも、どんなに手の込んだゲームでも、自然や人間の複雑さにはかなわない。
ぼくは、人が仕組んだに過ぎない電子ゲームをすることで、人の掌に乗りたくない。
こんなこと言ってると、年寄りのたわ言としか思われないだろう。
でもぼくは、人々はそのうち電子ゲームに飽きてくるんじゃないかと思う。
大事な人生の時間を、ゲームにたくさん取られることの阿保らしさに気づくからだ。
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