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松平正容
生没 1669(寛文9)-1731(享保16)
生地
実母 富貴(沖昌純女)
別称 保科正容
略伝
保科正之の六男。
1681(天和元)年、兄正経の隠居により家督を相続し、会津藩主となる。1696(元禄9)年には将軍徳川綱吉より松平姓を与えられた。
1731(享保16)年に63歳で没したが、男子の多くが早世しており、八男の容貞が後を継いだ。なお、1727(享保12)年に容貞が世子となった際、容貞の生母いちは家臣笠原与五右衛門に下げ渡されており、容貞の襲封に伴って召し返されることとなったが、笹原家がこれを拒絶したために紛争を生じ、これが後世の小説「拝領妻始末」の題材となった。
配役
松平正質
生没 1844(弘化元)-1901(明治34)
生地 越前国
実母
別称 松平豊前守、大河内正質
略伝
間部詮勝の五男。
上総大多喜藩主松平正和の女婿となり、1862(文久2)年の正和の死により家督を相続し、大多喜藩主となる。
その後、奏者番や若年寄を務め、1867(慶応3)年12月には老中格となり、翌年1月には幕府勢を率いて入京を試みるが、鳥羽伏見で薩摩藩などに惨敗し、翌月には老中格を罷免され、謹慎命令を受けた。
後に新政府による赦免を受け、大多喜藩知事や貴族院議員などを務めた。
配役
岡田正典(37) | 翔ぶが如く(1990・NHK) |
石原智彦(30) | 篤姫(2008・NHK) |
松平昌親
生没 1640(寛永17)-1711(正徳元)
生地 越前国
実母 高照院(浦上氏女)
別称 松平昌明、松平吉品
略伝
松平忠昌の五男。
1645(正保2)年、父忠昌の遺領のうち越前吉江2万5000石を与えられ、大名に列する。
1674(延宝2)年、異母兄光通が急死し、その遺言により福井藩主となるが、光通には庶子と異母兄昌勝があったことから家督相続をめぐって家中に混乱が生じたため、わずか2年の後、昌勝の子綱昌に家督を譲って隠居した。
1686(貞享3)年に綱昌が乱心により改易されると、幕府より再び福井藩主に任ぜられる。その際、所領がほぼ半減したことから、家中の人員整理や支出抑制を図り、財政の安定に腐心した。
配役
夏目俊二(44) | 水戸黄門(第2部)(1970・TBS) |
松平正綱
生没 1576(天正4)-1648(慶安元)
生地 遠江国
実父 大河内秀綱
実母 鳥居掃部介女
略伝
徳川家家臣大河内秀綱の次男。
徳川家康に仕え、1610(慶長15)年ごろ幕府の勘定頭に任ぜられる。
1625(寛永2)年には加増されて2万2000石を領して大名に列した。
配役
内田 稔(34) | 決定的瞬間(笑い)(1961・NTV) |
安東千恵夫 | 笑い(1963・NHK) |
大林丈史(47) | 春日局(1989・NHK) |
松平昌久
略伝
三河岡崎城主松平信貞の子。
父信貞は岡崎城を拠点とし、宗家松平清康と反目。1524(大永4)年に清康が信貞の山中城を落とすと、娘を清康に嫁がせ、清康に岡崎城を譲って大草城に隠退する。
昌久も大草城を本拠として松平宗家に従い、松平元康(徳川家康)に仕えていたが、1563(永禄6)年の三河一向一揆で一揆側に加担。しかし、翌年、家康により一揆が鎮圧されると、近江へ逃れた。
配役
松平又十郎
生没 1682(天和2)-1763(宝暦3)
生地
実父 松平親明
実母 筧政次女
別称 松平親春
略伝
幕府旗本松平親明の次男。
幕府に出仕して小十人頭や御鎗奉行などを務めた。
なお、将軍徳川家重の側室逸ははじめ又十郎の養女となって江戸城大奥に入っている。
配役
松平光長
生没 1615(元和元)-1707(宝永4)
生地 越前国
別称 仙千代
略伝
松平忠直の長男。
1623(元和9)年、父忠直が幕府により不行跡を咎められて隠居命令を受けると、家督を相続して越前北ノ庄藩主となるが、翌年、幼少を理由として、叔父忠昌と入れ替わって越後高田へ移封となる。
1674(延宝2)年の長男綱賢の没後、世子に異母弟長頼の子万徳丸を担ぐ荻田主馬派と、異母妹と家老小栗美作の間の子小栗掃部を担ぐ小栗美作派の対立が激化(越後騒動)。後に万徳丸が世子となって綱国を称したが、両派の対立を収拾することができず、1679(延宝7)年、幕府大老酒井雅楽頭に裁定を依頼する。雅楽頭の裁定の結果、荻田派が処分されたが、翌年に幕府将軍に就任した徳川綱吉が一連の御家騒動の再吟味に乗り出し、その結果、喧嘩両成敗との決定が下り、小栗美作は切腹、荻田主馬は遠島に処せられるなどしたが、自らも改易され、伊予松山藩主松平定直に預けられた。
1687(貞享3)年に赦免され、綱国に代わって叔父の陸奥白河藩主松平直基の子矩栄を養子に迎える。1698(元禄11)年には、矩栄が美作津山10万石に封ぜられ、越前松平家嫡流が再興された。
配役
松平宗矩
生没 1715(正徳5)-1749(寛延2)
生地
実父 松平知清
実母 本多氏女
略伝
陸奥白河新田藩主松平知清の次男。
後に福井藩主松平宗昌の養女の婿となり、1724(享保9)年、養父宗昌の死により家督を相続し、福井藩主となる。
在世中は領内に大火、大ききんが発生し、その復興費支出などもあって財政がひっ迫した。
配役
嵐寛寿郎(69) | 初笑い びっくり武士道(1971・松竹) |
西山辰夫(48) | ひとごろし(1976・松竹) |
松平宗秀
生没 1809(文化6)-1873(明治6)
生地 武蔵国
実父 松平宗允
実母
別称 松平伯耆守、本庄宗秀
略伝
丹後宮津藩主松平宗允の三男。
1840(天保11)年の養父(叔父)宗発の死により家督を相続し、宮津藩主となる。
1858(安政5)年10月、幕府勘定奉行に就任し、この年始まった大老井伊直弼によるいわゆる安政の大獄では、捕縛された志士らの吟味、処断を担当。その後、大坂城代や京都所司代などを務め、1864(元治元)年8月には老中に就任する。
老中在任中、2度の長州征伐に関わり、特に1866(慶応2)年の第二次長州征伐では、広島で幕府勢の指揮を執るが、捕縛していた長州藩家老宍戸備後らを独断で釈放するなどしたため、老中を罷免されて隠居・謹慎を命ぜられた。
維新後は、新政府に出仕し、後に伊勢神宮大宮司などを務めた。
配役
一木礼二(33) | 松下村塾(1939・東発) |
香川良介(69) | 新鞍馬天狗(1965・大映) |
柳永二郎(74) | 吉田松陰(1969・KTV) |
坂西良太(45) | 徳川慶喜(1998・NHK) |
諏訪太朗(61) | 花燃ゆ(2015・NHK) |
山田明郷(69) | 西郷どん(2018・NHK) |
松平茂昭
生没 1836(天保7)-1890(明治23)
生地 武蔵国
実父 松平直春
実母 田辺氏女
別称 松平直廉
略伝
越後糸魚川藩主松平直春の四男。
1857(安政4)年、父直春の隠居により家督を相続し、糸魚川藩主となるが、翌年、福井藩主松平慶永が幕府より隠居・謹慎命令を受けると、幕府の命により福井藩主となる。
1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門の変)では幕府方として率兵上洛し、翌年の第一次長州征伐では幕府軍の副総督に任じられて出陣したが、藩政では、隠居した慶永の主導の下、横井小楠や中根雪江らによる藩政改革が進められたため、自身の影響力は小さかった。
維新後は福井藩知事を務めたが、1871(明治4)年の廃藩置県により辞職した。
配役
山崎博之 | 奇兵隊(1989・NTV) |
斉藤 悠(29) | 八重の桜(2013・NHK) |
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