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森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

吉田拓郎の、矢沢永吉の、佐野元春の何がすごかったのか、後追い世代には少々難しいので『日本ポップス史 1966-2023』を読む

今年亡くなった長嶋茂雄は、記録よりも記憶に残る選手だと称された。

 

物心ついた頃には巨人の4番が原だった世代なので、長島の記憶は全然なく、868本というホームランの世界記録をもつ王よりも、長島のほうが人気があるという大人たちの感覚がまるでわからなかった。

 

まったく同じように、記録よりも記憶に残るアーティストのすごさを、後追い世代には正確に理解することが難しい。

 

それが自分にとっては、たとえば吉田拓郎であり、矢沢永吉であり、中島みゆきであり、佐野元春であった。

曲を聴いたり書かれたものを読んだりしてみても、同時代を生きた人たちによって、かれらがなぜそこまで神格化されているのか、なかなか掴めずにいた。

 

また、逆の立場として、小沢健二椎名林檎奥田民生が90年代に放っていた輝きをいまの20代や30代に説明するのはすごく難しい。

 

 

最近読んだスージー鈴木さんの『日本ポップス史 1966-2023』という本は、そんな記録よりも記憶に残る「ポップスター」たちのすごさを、なんとか後世に伝えようとする試みだった。

 

ただし、記録よりも記憶といっても、長嶋だって444本ものホームランを打っているわけで、それなりの数字を残した上での話。

本書で扱う「ポップスター」も、音楽的にすぐれているだけでなく、その才能でもって大衆の心を鷲掴みにし、結果としてセールスに繋がっている人たちばかりである。

 

https://st.diskunion.net/images/jacket/1009124546.webp

 

「あの音楽家がいちばんすごかった時代」と「あの時代にいちばんすごかった音楽家」、両者をかけ合わせた視点から生まれた無二のポップス史。レジェンド音楽家が何を成し遂げたのか、誰に何を継承したのかー日本の大衆音楽が辿った進化の道筋をひも解く。

 

「1974年の荒井由実」「1987年の甲本ヒロト真島昌利」「2023年のVaundy」といったかたちで、各アーティストの売上のピークとかではなく、その才能が爆発し、時代の空気とシンクロしていた年を刻んでいくスタイルで、1966年から2023年の間の30人のアーティストを紹介していく。

 

 

吉田拓郎が、職業作詞家・作曲家による楽曲が占めていた世界に、若者の日常を切り取ったリアルな言葉とペンタトニック・スケールの人懐っこいメロディで殴り込みをかけ、圧倒的な支持を得たこと。

忌野清志郎が、長い不遇時代を経てロックバンド形態となったRCサクセションで、はっぴいえんどのような都会的で通好みな路線と、キャロルのような野心的な成り上がり路線のいいところどりで独自の立ち位置を確立したこと。

米津玄師が、ニコニコ動画という広く解放された場所から登場し、時代の空気に呼応するようなマイナーキーを多用しながら、原作の世界観を高すぎる解像度で解釈するタイアップ楽曲を量産していること。

 

といった具合で次々に語られていて、よく知っている時代のことは共感しながら、生まれる前の時代のことは新鮮な驚きとして、一気に読み進めてしまった。

 

ユニコーンが同時期のバンドブームのバンドたちとは別格であるという感覚や、小沢健二『LIFE』の多幸感にノックアウトされた体験は、自分のなかにもあるものだけど、こうして錚々たる歴代のポップスターたちと並べて語られると、感慨が深い。

 

 

スージーさんの音楽評論は、その曲がすぐれている理由を、音楽理論に基づいて、しかも平易な言葉で解読するところだと以前にも弊ブログで語ったことがある。

音楽を「魔法」としてではなくプレイヤー目線で「科学」として語るという評論スタイルは、個人的に強く影響を受けています。

 

本書でもそのスタイルはいかんなく発揮されていて、たとえばユニコーンの「スターな男」っていう一見ストレートで派手なロックンロール曲が、じつは転調しまくっていることなんて、他の人が書いてるのを見たことがない。

 

 

それと同時に、そのアーティストが時代の空気とシンクロしたり、半歩先をリードしたり、カウンターを食らわせたりした様も、スージーさん自身の当時の実感をもとに語られている。

この部分こそが後追い世代にはありがたくて、1980年にはすでに吉田拓郎が古臭く聴こえただとか、『ザ・ベストテン』でサザンオールスターズを見た翌日の小学生たちの会話とか。

 

 

一方で、1966年から2023年を扱った本書には、あえて90年代後半から2015年までの空白がある。

 

借り物の言葉で適当に埋めようとすればできたかもしれないが、時代の空気などの要素は体重が乗った言葉で語れてこそなので、それができる範囲でちゃんとやるっていう誠実さのあらわれでしょう。

それと、90年代後半から2015年までの間には、スージーさんのお眼鏡にかなうポップスターがいなかったとも言えそう。

 

その期間といえば、CDバブルが崩壊し、かといって今のようなサブスクが前提の世界も構築されておらず、着うただのコピーコントロールCDだのナップスターだのと、業界全体が新しい方向を模索してもがいていた時代。

大資本とは関係なく才能ある人たちはたくさんいて面白い音楽をつくり続けてはいたけど、それが「ポップスター」として世間に押し出されてくるような土台がなかったんだと思う。

 

ただ、この空白は誰かが埋めてくれることを期待するとも、あとがきに書かれていた。

 

僭越ながら、

1999年の椎名林檎

2007年の中田ヤスタカ

2010年の前山田健一

はいつか自分が書きたいと思った次第です。

 

 

 

 

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