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森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

やらされ型とセルフプロデュース型の2系統だった昭和平成のコミックソングの歴史を塗り替えたのは…

日本のポピュラー音楽の歴史を語るうえで欠かせない、コミックソングという存在。

 

半世紀以上前から現在まで、テレビやラジオやSNSを通じて、またはステージの上から、常に様々なおもしろい楽曲が作られ届けられてきた。

 

これまでコミックソングを語るにあたっては、当然ながら「おもしろいかどうか」が評価の軸になってきたが、今回、われわれLL教室は、そこに新たな切り口を提示したい。

 

それが、「楽曲派」という概念をコミックソング語りに持ち込むこと。

 

楽曲派というのは、アイドルオタク界隈で10年以上前から言われていた用語で、アイドルのルックスやパフォーマンスや人間性ではなく、あくまで楽曲の良さで評価するという立場のこと。

 

「いや、perfumeのライブに来ているのは、別にのっちがかわいいからとかじゃなくて、あの、あくまで中田ヤスタカのエレクトロな曲がかっこいいからであって…」みたいな感じで、本心からなのか何かの言い訳なのかわからないけど、こういった発言をする人が2008年頃にたくさん出現した。

 

その後も、ももクロをぶっ飛んだヒャダイン楽曲として、bisを切れ味鋭いラウドロックとして、negiccoシティ・ポップ再評価の先駆けとして、でんぱ組.incをカバー曲のセンスの良さでもって、評価するようなスタンスのファンが一定数存在する流れがあり、そのようなファンは楽曲派と呼ばれていた。

 

その考え方を、コミックソングに適用しようというのが、コミックソング楽曲派ということ。

2025年11月23日(日)に東京ビッグサイトで行われる「文学フリマ東京41」(南1-2ホール  H-40)にて、新作ZINEとして世に問いたいと思っています。

 

LL教室の試験に出ないJ-POP講座 [文学フリマ東京41・評論・研究|音楽] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 

気になるその内容はというと、おもしろさよりも、あくまで楽曲の良さに着目して選んだ100曲以上のディスクレビューを中心に、クレイジーキャッツからMC TONY(とにかく明るい安村)まで網羅したコミックソング60年史の年表、そして、「オトネタ」をライフワークとするマキタスポーツさんとLL教室の対談も収録!

 

ぜひ文学フリマ東京41で手にとっていただければと願っておりますが、当記事では、コミックソング楽曲派ZINEへの導入も兼ねて、コミックソングをあり方の軸で2つに分類して語ることとしたい。

 

やらされ型(企画型)とセルフプロデュース型(自作自演型)

今回、大量のコミックソングを聴き直していく中で気づいたのが、コミックソングには大きく分けて「やらされ型(企画型)」と「セルフプロデュース型(自作自演型)」があるということだった。

 

企画型とは、テレビ番組のコーナーから生まれたようなものや、一発ギャグを楽曲に仕立て上げたようなものだったりで、お茶の間レベルで認知されているコミックソングはだいたいこちらでしょう。

 

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一方、自作自演型とは、嘉門達夫所ジョージ清水ミチコマキタスポーツやピコ太郎といったあたりの、音楽ネタを自ら作って演じるタイプの人たちによる楽曲。

 

ギターの弾き語りというスタイルが多いことからも、この系統のルーツとして、1960年代に関西で盛り上がったフォークソングのシーンが大きな影響を及ぼしていると思われる。

 

1960年代といえば、ボブ・ディランビートルズらの影響でシンガーソングライター(自作自演家)という存在が世の中に認知され、自分の言葉を歌にするという行為が、最高にフレッシュでクリエイティブなものとして世界中の若者の目に映った時代。

 

そんな世代の代表選手として、関西の大学生を中心に絶大な人気を誇った岡林信康フォーク・クルセダーズは、メッセージ性とコミックソング性を同じレベルで持っていた。

 

岡林信康のように、風刺のために笑いの要素を武器にしたパターンもあれば、フォーク・クルセダーズのようにそれぞれ別の曲としてアルバムの中に同居させたパターンもあった。

 

 

これらのアーティストの楽曲や空気感に影響を受けた人たちによって、自己表現のひとつの形態として笑いの要素を含む音楽=自作自演型のコミックソングが生み出されていった。

 

セルフプロデュース型

自作自演型は、みずから作詞作曲をするフォークシンガーのスタイルがルーツになっているが、とはいえ、作詞作曲できることはマストの要件ではないと思う。

 

本人が作詞作曲をしているかどうかに限らず、セルフプロデュースの要素が強いものも自作自演型には含みたい。

 

すなわち、芸人自身が音楽に造詣が深かったり、本人のキャラクターと特定の音楽ジャンルやスタイルが密接に結びついているといったこと。

 

たとえば、タモリのアルバムにおけるジャズ、志村けんがドリフに持ち込んだソウル〜ファンクの要素、藤井隆の80'sポップに対する造詣などなど。

 

これらの人たちはいずれもシンガーソングライターではないが、自分の音楽活動を明らかにコントロールしようとしており、持ち込まれた企画に乗っかるだけの企画型とはやはり一線を画していると言っておきたい。

 

 

企画型の矜持

企画型の場合、歌わされている芸人自身に音楽への思い入れが特になかったり、本人のキャラや意向とは別のところから立案されて作品になっているパターンが大半であろう。

 

明石家さんまビートたけしダウンタウンあたりはそれぞれに数多くの楽曲をリリースしているが、音楽性に軸というものは特になく、求められるものに自分を合わせにいってる印象。

 

音楽的な自我よりも企画が先行していることが特徴だが、それは逆にどんな企画でも乗りこなすという意味でもあり、そこに芸人としての矜持を感じられてそれはそれでグッとくる。

 

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そして新世代はアーティスト型へ

昭和〜平成のお笑い芸人の音楽活動といえば、企画型であれ自作自演型であれ、どちらであっても基本的にコミックソングだった。

 

一部でシリアス路線の楽曲をリリースすることもあったが、そのことを仲間からイジられて笑いに昇華するところまでがセットだった。

やはりどうしても「芸人風情が真面目に歌ってる」みたいな見られ方になってしまうということ。

 

しかし、M-1グランプリなどの影響もあってか、お笑い芸人の社会的地位がここ10年で飛躍的に向上した。

その結果として、ここ最近のお笑い芸人の音楽活動のあり方が大きく変わってきた。

 

ラランドのサーヤ霜降り明星粗品といった人たちの音楽活動からは、芸人風情が…といった見られ方や、先回りした自虐がまったく感じられない。

まったく堂々と、自作自演型でアーティストとして音楽活動に取り組んでいる。

 

このこと自体は普通に良いことだし、他人の目を気にせずフラットに自分らしさを表現できていてものすごく現代っぽいなと思う。

 

ただ、楽曲派の立場からは、雑なやらされ感の果てに咲く企画型の花も、それはそれでこれからも咲き続けてほしいとも思っています。

本人の自我などそっちのけでお膳立てされたほうが小さくまとまらず飛距離は稼いだりするもんだし。

 

 

ということで、この続きは文学フリマ東京41で!

よろしくお願いいたします。

 

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