今年もフジロックに行ってきました。
97年の初回から、毎年一日だけでも参加するっていう連続記録をまた更新できた。
学生だったり独身だったりした頃は、木曜の前夜祭から月曜の午前まできっちり遊び切っていたけど、結婚して子どもができて仕事も責任が重くなってきて…というここ10年は、アーティストラインナップを睨みながら、金土日のいずれかに的を絞り、家族や職場に仁義を切った上で短期集中で遊ぶスタイルになった。
家族同伴で行ったのは、長男がまだ赤子だった頃に一度だけ。
朝霧JAMなど他のフェスには家族全員でよく行くんだけど、フジロックだけは環境の過酷さ、特に会場の広さや雨が降ったときの逃げ場のなさが他のフェスの比ではないので、なかなか子連れという選択に踏み切れずにいたのだった。
特にうちの子は、2人揃って落ち着きがなく人の話も聞けないので、引率するだけで疲れ切ってしまい音楽を楽しむどころではなくなりそうだなと。
しかし、今年は子供たちが2人とも好きなVaundyが出るということで、親としても覚悟を決めて一家でフジロックに行くことにしたのでした。

7月25日金曜日、空模様はくもりがちでたまに雨がパラつく程度。幸い雨具が必要な状況にはなっていない。
会場外からゲートをくぐってグリーンからホワイトへ、場内を大移動するだけで30分ぐらい歩きっぱなしになるわけだけど、今のところ子供たちは楽しそうにしてる。
疲れて心が折れてくると、『鬼滅の刃』の善逸なみにエンドレスでグチり続けるタイプなので、やや意外。
12時過ぎにホワイトステージに到着。
目当ては、おとぼけビ~バ~。
フジロックには、前回は2022年に深夜の苗場食堂に出演していて、わたくしその現場で初めて生でおとぼけビ~バ~を見て、すっかり心を掴まれたんだった。
おとぼけビ〜バ〜生で見るの初めてでしたが完全にやられたわ。SGの濁った歪みも、変則的な展開でも崩れないドラムも、カウントなしで曲を始められるバンドの息の合い方も全部エグい。気づいたら物販でピクチャーレコードを買っていました。#fujirockpic.twitter.com/YCLtg3zmmb
— ハシノ💿LL教室 (@guatarro)2022年7月29日
当時のツイート。
この3年間で、レッチリのオープニングアクトを務めるなどで以前から盛り上がっていた海外での人気がさらに加速し、日本でもものすごい数のライブをこなして脂が乗りまくっている状態になっている。
金曜のトップバッターにしてはホワイトステージにはかなりたくさんの人がいたんだけど、熱心なファンと言うよりは、噂のおとぼけビ~バ~をちょっと見てみたい!っていう感じの雰囲気、つまり初見だけど期待してる感じの人が多かったと思う。
そんな人たちの期待を、おとぼけビ~バ~はしっかり超えてたんじゃないだろうか。
まもなく産休に入るドラムのかほキッス氏が刻む、高速で変則的で正確なビートを、ベースひろ氏がゴリッと骨太に立たせたリズム。それを軸として嵐のように矢継ぎ早に繰り出されるキャッチーでハードコアで変則的な楽曲たち。
ギターよよよしえ氏が曲間に放つ煽りはジングルのように機能していてライブ全体のリズムが整うし何よりかっこいい。
そしてステージ中央に屹立するのがヴォーカルのあっこりんりん氏。中高年男性ファンを「ジジイ」呼ばわりするんだが、これは毒蝮三太夫の愛ある「ババア」とはちょっと違っていて、いわゆる有害な男性性(Toxic Masculinity)に対する指摘も含んでいる。
たしかに女性ロックバンドって、その手の音楽好きジジイたちに囲まれて消費されることをある程度は許容することで人気を獲得していくっていうパターンが多いと思うけど、自分たちはその道を選ばずにやっていくんだという意思表明のようなものを、「ジジイ」呼ばわりから読み取っています。自分も音楽好きジジイの一人として。
そういった意味で、フェミニズムを言葉として打ち出しているわけではないけど、めっちゃ体現はしていると思う。
ライブ会場でいつも思うのが、暴れたいラウド系ファンからジジイまで幅広い客層を抱えている中で、女性ファンがかなり多いなってこと。それはやはり、おとぼけビ~バ~の存在や言動が支えになっているという意味だと思われる。
この日、「孤独死こわい」って曲の後のMCで、「いまは孤独死よりも虐殺がこわいですけど」って発言もあった。いろんなオピニオンの代弁者のような役割を過剰に背負わされかねないポジションにまつりあげられかねないのに、その重さを引き受けなくてもいいのに、自分自身であるために言いたいことはちゃんと言うっていう淡々としたかっこよさを感じた。
ことほど左様に、音もパフォーマンスも発言も姿勢もかっこよすぎるので、軽い期待とともにホワイトステージに集まっていたジジイたちは完全に心を鷲掴みにされていた。
これをきっかけに、日本での人気にさらに一段階はずみがつくのではないでしょうか。
もうチケットがなかなかとれなくなったりするかもしれない。そんな前向きな嘆きをさせてくれるような、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
次は小学生たちをキッズエリアに残して、ヘヴンのキリンジへ。
キリンジは兄弟揃っていた頃から好きな曲がいっぱいあるし、今の体制になってからもいい作品を作り続けてて、日頃そんなにツイートなどで言及してない(このブログで「キリンジ史観」なんて言葉を発明してバズったことはあり)けど、新譜は常にチェックしています。
ただ実はライブを見るのは初めてで、その意味でもかなり楽しみだった。
ここ10年のシティポップのブームよりもずっと前から洗練されたサウンドを志向してきたキリンジは、近年のアルバムでも上質さとユーモアは健在。あと大人のほろ苦さ。
たとえばこの日だと、旧体制からの曲として唯一セットリストに入った名曲「Drifter」の、「たとえ鬱が夜更けに目覚めて 獣のように襲いかかろうとも」っていう生々しい一節に心がひんやりしたりするわけですよ。2020年代に都会で生きるアンニュイなおじさんは。
個人的には、80年代のユーミンが都会で働く女性たちを鼓舞したり慰撫したのとまったく同じ刺さり方で、2020年代に都会で生きるアンニュイなおじさんの心に入ってきてくれる感じがしている。
ライブも、ベテランの手練れ感とフレッシュさがどちらもあって、非常によかったです。
子供たちと昼ご飯を食べ、ホワイトステージ手前の川へ。
一通り川遊びをした後で、エムドゥ・モクターのためにホワイトの最前列で待機。
今年のフジロック初日では、実はこのグループが最大のお目当てでした。
北アフリカはサハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のギタリストで、右利き用のギターを左利きで弾くスタイルもあって、「砂漠のジミヘン」なんて呼ばれている。
エムドゥ・モクター(Mdou Moctar)、過激さが増した新作『Funeral For Justice』で剥き出しの怒りを放つ | Mikiki by TOWER RECORDS
トゥアレグ族の音楽が最初に世界的に注目されたのは、2012年にグラミー賞を受賞したティナリウェンというグループから。「砂漠のブルース」と表現されるような、乾いたギターサウンドが特徴的だった。
エムドゥ・モクターもその流れなんだけど、さらにハードロック的とでも言えそうな激しいギタープレイだとか、サイケデリックな展開だとか、ベースとドラムによるグルーヴだとかが加わってすごく強力になった最新型って感じ。
そんなに曲調にバリエーションがあるわけではないが、とにかくギタープレイで煽りまくる。
バンドとしては、タムの使い方のインパクトが強いドラムだとか、グルグルしたグルーヴを作り出してるベースがヤバくて、最高にダンスミュージックでした。
それにしても、今年は人が多い。
いつもフジロックの客層や客数をなんとなくウォッチしてきた経験から言うと、全体的に若返ったし数も多い。
ゼロ年代のフジロックといえば、自然を舐めきった軽装で泥酔してる若者やゆるふわ森ガールたちがたくさんいたものだけど、そういう層が10年代ぐらいに一旦ほぼ姿を消した。
生き残ったフジロッカーたちは高年齢化かつ環境への適応が進み、隙がなく色気もないアウトドアギアに身を包んだ40代が目立つようになったのがここ10年ほど。みんなDIY意識が高すぎて、その反面浮ついた祝祭感覚みたいなものが薄くなってるのが気になっていた。
ところが、近年はまた様子が変わってきて、色とりどりな感じの若い人が目立つようになってきた気がする。いろんな要因があるだろうけど、ひとつは、近隣の東アジア諸国からの遠征組の増加でしょう。サブスクの影響で世界中で日本の音楽が聴かれるようになったり、日本のアーティストが東アジア圏をツアーすることが増えたりしてて、フジロックに出るようなあたりのアーティストの交流が盛んになってる。
韓国や台湾のアーティストがフジロックに出ることも増えてるし。
その流れの決定版みたいな感じだったのが、グリーンステージのHYUKOH & SUNSET ROLLERCOASTER | AAA。韓国のヒョゴと台湾の落日飛車の合体バンドなんだけど、彼らのライブ中に自分たちのまわりにいた何組かの若い女性のグループは、のべ十数人がみんな中国語話者だった。そしてその人たちはそのままその場所でVaundyも楽しんで見ていた。
近年のフジロックを象徴するようなこの感じ。
いい傾向だなと思うし、自分もいつか韓国や台湾のフェスに行ってみたい。
コーチェラでもやっていたこの曲に家族全員でうっとり。
日も暮れかけた頃、いよいよ子供たちのお目当てのVaundyがグリーンステージに登場。
2022年のアニメ『王様ランキング』で「裸の勇者」が主題歌になったときから、Vaundyに親しんできた子供たち。その後も『チェンソーマン』や『SPY×FAMILY』や『僕のヒーローアカデミア』でVaundy楽曲に親しんできた。
われわれ大人も、アルバム『replica』を車でヘビロテしたりして、クオリティの高さやキャッチーさ、そして底知れない音楽性の幅広さを味わっている。
あとはやっぱり、過去2回の紅白歌合戦で見せてくれた、ロックスター然とした立ち居振る舞い。
こちとら、もうおじさんもおじさんなので、若い人の健康的なイキリはむしろ好ましく見てしまう。
この日も、「踊れるかい?」と軽く煽ってからの「踊り子」だとか、「Vaundyを品定めしにきてる人がいっぱいいると思うけど」みたいな発言があったり。元気があってよろしい。
ステージの演出としては、ステージ脇や後方の大型ディスプレイはあえて一切使わず、照明もシンプルそのもので、ストイックに演奏していくというもの。
その心意気もいいなと思えたんだけど、ただ、たぶん全曲で同期音源を流してそれに合わせて演奏してる。そのせいか、生々しいパフォーマンスでありながら、密室感があって不思議だった。
あれはやっぱり、音源通りの自分の声でハモらないと絶対ダメっていうこだわりなんだろうか。
そのあたりも狙いがあってコントロールしてるんだろうけど、個人的には、同期なしで音源とは違った味わいのライブを追求していってもいいんじゃないでしょうかと思いました。
子供たちは生Vaundyにとても感動して、口々に感想を述べ合っていた。
今までそれなりにいろんなライブを一緒に見てきたけど、やはり思い入れのあるアーティストだと感じることが格段に多かったんだろう。
本当はここからEZRA COLLECTIVEや坂本慎太郎も見たかったけど、子どもがもう限界なため現地から離脱。
これが子連れの宿命。宿が近ければまた話も違っただろうが、仕方がない。

いつもは一人で参加し、朝から深夜まで遊び回すため、一日だけでも十分にお腹いっぱいになれるんだけど、今年はやはり遊び足りなかったらしく、あの頃のようにがっつり木曜から月曜まで行きたいかも…っていう気持ちが再燃してきたのでした。
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