今年亡くなった長嶋茂雄は、記録よりも記憶に残る選手だと称された。
物心ついた頃には巨人の4番が原だった世代なので、長島の記憶は全然なく、868本というホームランの世界記録をもつ王よりも、長島のほうが人気があるという大人たちの感覚がまるでわからなかった。
まったく同じように、記録よりも記憶に残るアーティストのすごさを、後追い世代には正確に理解することが難しい。
それが自分にとっては、たとえば吉田拓郎であり、矢沢永吉であり、中島みゆきであり、佐野元春であった。
曲を聴いたり書かれたものを読んだりしてみても、同時代を生きた人たちによって、かれらがなぜそこまで神格化されているのか、なかなか掴めずにいた。
また、逆の立場として、小沢健二や椎名林檎や奥田民生が90年代に放っていた輝きをいまの20代や30代に説明するのはすごく難しい。
最近読んだスージー鈴木さんの『日本ポップス史 1966-2023』という本は、そんな記録よりも記憶に残る「ポップスター」たちのすごさを、なんとか後世に伝えようとする試みだった。
ただし、記録よりも記憶といっても、長嶋だって444本ものホームランを打っているわけで、それなりの数字を残した上での話。
本書で扱う「ポップスター」も、音楽的にすぐれているだけでなく、その才能でもって大衆の心を鷲掴みにし、結果としてセールスに繋がっている人たちばかりである。
「あの音楽家がいちばんすごかった時代」と「あの時代にいちばんすごかった音楽家」、両者をかけ合わせた視点から生まれた無二のポップス史。レジェンド音楽家が何を成し遂げたのか、誰に何を継承したのかー日本の大衆音楽が辿った進化の道筋をひも解く。
「1974年の荒井由実」「1987年の甲本ヒロトと真島昌利」「2023年のVaundy」といったかたちで、各アーティストの売上のピークとかではなく、その才能が爆発し、時代の空気とシンクロしていた年を刻んでいくスタイルで、1966年から2023年の間の30人のアーティストを紹介していく。
吉田拓郎が、職業作詞家・作曲家による楽曲が占めていた世界に、若者の日常を切り取ったリアルな言葉とペンタトニック・スケールの人懐っこいメロディで殴り込みをかけ、圧倒的な支持を得たこと。
忌野清志郎が、長い不遇時代を経てロックバンド形態となったRCサクセションで、はっぴいえんどのような都会的で通好みな路線と、キャロルのような野心的な成り上がり路線のいいところどりで独自の立ち位置を確立したこと。
米津玄師が、ニコニコ動画という広く解放された場所から登場し、時代の空気に呼応するようなマイナーキーを多用しながら、原作の世界観を高すぎる解像度で解釈するタイアップ楽曲を量産していること。
といった具合で次々に語られていて、よく知っている時代のことは共感しながら、生まれる前の時代のことは新鮮な驚きとして、一気に読み進めてしまった。
ユニコーンが同時期のバンドブームのバンドたちとは別格であるという感覚や、小沢健二『LIFE』の多幸感にノックアウトされた体験は、自分のなかにもあるものだけど、こうして錚々たる歴代のポップスターたちと並べて語られると、感慨が深い。
スージーさんの音楽評論は、その曲がすぐれている理由を、音楽理論に基づいて、しかも平易な言葉で解読するところだと以前にも弊ブログで語ったことがある。
音楽を「魔法」としてではなくプレイヤー目線で「科学」として語るという評論スタイルは、個人的に強く影響を受けています。
本書でもそのスタイルはいかんなく発揮されていて、たとえばユニコーンの「スターな男」っていう一見ストレートで派手なロックンロール曲が、じつは転調しまくっていることなんて、他の人が書いてるのを見たことがない。
それと同時に、そのアーティストが時代の空気とシンクロしたり、半歩先をリードしたり、カウンターを食らわせたりした様も、スージーさん自身の当時の実感をもとに語られている。
この部分こそが後追い世代にはありがたくて、1980年にはすでに吉田拓郎が古臭く聴こえただとか、『ザ・ベストテン』でサザンオールスターズを見た翌日の小学生たちの会話とか。
一方で、1966年から2023年を扱った本書には、あえて90年代後半から2015年までの空白がある。
借り物の言葉で適当に埋めようとすればできたかもしれないが、時代の空気などの要素は体重が乗った言葉で語れてこそなので、それができる範囲でちゃんとやるっていう誠実さのあらわれでしょう。
それと、90年代後半から2015年までの間には、スージーさんのお眼鏡にかなうポップスターがいなかったとも言えそう。
その期間といえば、CDバブルが崩壊し、かといって今のようなサブスクが前提の世界も構築されておらず、着うただのコピーコントロールCDだのナップスターだのと、業界全体が新しい方向を模索してもがいていた時代。
大資本とは関係なく才能ある人たちはたくさんいて面白い音楽をつくり続けてはいたけど、それが「ポップスター」として世間に押し出されてくるような土台がなかったんだと思う。
ただ、この空白は誰かが埋めてくれることを期待するとも、あとがきに書かれていた。
僭越ながら、
1999年の椎名林檎
2007年の中田ヤスタカ
2010年の前山田健一
はいつか自分が書きたいと思った次第です。
日本のポピュラー音楽の歴史を語るうえで欠かせない、コミックソングという存在。
半世紀以上前から現在まで、テレビやラジオやSNSを通じて、またはステージの上から、常に様々なおもしろい楽曲が作られ届けられてきた。
これまでコミックソングを語るにあたっては、当然ながら「おもしろいかどうか」が評価の軸になってきたが、今回、われわれLL教室は、そこに新たな切り口を提示したい。
それが、「楽曲派」という概念をコミックソング語りに持ち込むこと。
楽曲派というのは、アイドルオタク界隈で10年以上前から言われていた用語で、アイドルのルックスやパフォーマンスや人間性ではなく、あくまで楽曲の良さで評価するという立場のこと。
「いや、perfumeのライブに来ているのは、別にのっちがかわいいからとかじゃなくて、あの、あくまで中田ヤスタカのエレクトロな曲がかっこいいからであって…」みたいな感じで、本心からなのか何かの言い訳なのかわからないけど、こういった発言をする人が2008年頃にたくさん出現した。
その後も、ももクロをぶっ飛んだヒャダイン楽曲として、bisを切れ味鋭いラウドロックとして、negiccoをシティ・ポップ再評価の先駆けとして、でんぱ組.incをカバー曲のセンスの良さでもって、評価するようなスタンスのファンが一定数存在する流れがあり、そのようなファンは楽曲派と呼ばれていた。
その考え方を、コミックソングに適用しようというのが、コミックソング楽曲派ということ。
2025年11月23日(日)に東京ビッグサイトで行われる「文学フリマ東京41」(南1-2ホール H-40)にて、新作ZINEとして世に問いたいと思っています。
LL教室の試験に出ないJ-POP講座 [文学フリマ東京41・評論・研究|音楽] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
気になるその内容はというと、おもしろさよりも、あくまで楽曲の良さに着目して選んだ100曲以上のディスクレビューを中心に、クレイジーキャッツからMC TONY(とにかく明るい安村)まで網羅したコミックソング60年史の年表、そして、「オトネタ」をライフワークとするマキタスポーツさんとLL教室の対談も収録!
ぜひ文学フリマ東京41で手にとっていただければと願っておりますが、当記事では、コミックソング楽曲派ZINEへの導入も兼ねて、コミックソングをあり方の軸で2つに分類して語ることとしたい。
今回、大量のコミックソングを聴き直していく中で気づいたのが、コミックソングには大きく分けて「やらされ型(企画型)」と「セルフプロデュース型(自作自演型)」があるということだった。
企画型とは、テレビ番組のコーナーから生まれたようなものや、一発ギャグを楽曲に仕立て上げたようなものだったりで、お茶の間レベルで認知されているコミックソングはだいたいこちらでしょう。
一方、自作自演型とは、嘉門達夫や所ジョージ、清水ミチコ、マキタスポーツやピコ太郎といったあたりの、音楽ネタを自ら作って演じるタイプの人たちによる楽曲。
ギターの弾き語りというスタイルが多いことからも、この系統のルーツとして、1960年代に関西で盛り上がったフォークソングのシーンが大きな影響を及ぼしていると思われる。
1960年代といえば、ボブ・ディランやビートルズらの影響でシンガーソングライター(自作自演家)という存在が世の中に認知され、自分の言葉を歌にするという行為が、最高にフレッシュでクリエイティブなものとして世界中の若者の目に映った時代。
そんな世代の代表選手として、関西の大学生を中心に絶大な人気を誇った岡林信康やフォーク・クルセダーズは、メッセージ性とコミックソング性を同じレベルで持っていた。
岡林信康のように、風刺のために笑いの要素を武器にしたパターンもあれば、フォーク・クルセダーズのようにそれぞれ別の曲としてアルバムの中に同居させたパターンもあった。
これらのアーティストの楽曲や空気感に影響を受けた人たちによって、自己表現のひとつの形態として笑いの要素を含む音楽=自作自演型のコミックソングが生み出されていった。
自作自演型は、みずから作詞作曲をするフォークシンガーのスタイルがルーツになっているが、とはいえ、作詞作曲できることはマストの要件ではないと思う。
本人が作詞作曲をしているかどうかに限らず、セルフプロデュースの要素が強いものも自作自演型には含みたい。
すなわち、芸人自身が音楽に造詣が深かったり、本人のキャラクターと特定の音楽ジャンルやスタイルが密接に結びついているといったこと。
たとえば、タモリのアルバムにおけるジャズ、志村けんがドリフに持ち込んだソウル〜ファンクの要素、藤井隆の80'sポップに対する造詣などなど。
これらの人たちはいずれもシンガーソングライターではないが、自分の音楽活動を明らかにコントロールしようとしており、持ち込まれた企画に乗っかるだけの企画型とはやはり一線を画していると言っておきたい。
企画型の場合、歌わされている芸人自身に音楽への思い入れが特になかったり、本人のキャラや意向とは別のところから立案されて作品になっているパターンが大半であろう。
明石家さんま、ビートたけし、ダウンタウンあたりはそれぞれに数多くの楽曲をリリースしているが、音楽性に軸というものは特になく、求められるものに自分を合わせにいってる印象。
音楽的な自我よりも企画が先行していることが特徴だが、それは逆にどんな企画でも乗りこなすという意味でもあり、そこに芸人としての矜持を感じられてそれはそれでグッとくる。
昭和〜平成のお笑い芸人の音楽活動といえば、企画型であれ自作自演型であれ、どちらであっても基本的にコミックソングだった。
一部でシリアス路線の楽曲をリリースすることもあったが、そのことを仲間からイジられて笑いに昇華するところまでがセットだった。
やはりどうしても「芸人風情が真面目に歌ってる」みたいな見られ方になってしまうということ。
しかし、M-1グランプリなどの影響もあってか、お笑い芸人の社会的地位がここ10年で飛躍的に向上した。
その結果として、ここ最近のお笑い芸人の音楽活動のあり方が大きく変わってきた。
ラランドのサーヤや霜降り明星の粗品といった人たちの音楽活動からは、芸人風情が…といった見られ方や、先回りした自虐がまったく感じられない。
まったく堂々と、自作自演型でアーティストとして音楽活動に取り組んでいる。
このこと自体は普通に良いことだし、他人の目を気にせずフラットに自分らしさを表現できていてものすごく現代っぽいなと思う。
ただ、楽曲派の立場からは、雑なやらされ感の果てに咲く企画型の花も、それはそれでこれからも咲き続けてほしいとも思っています。
本人の自我などそっちのけでお膳立てされたほうが小さくまとまらず飛距離は稼いだりするもんだし。
ということで、この続きは文学フリマ東京41で!
よろしくお願いいたします。
ポップミュージックはリバイバルを繰り返しているし、ほとんどすべてのミュージシャンが意識的か無意識かにかかわらず、過去の音楽を参照している。
藤井風を聴くとスティーヴィー・ワンダーを思い起こすし、Vaundyのこないだのアルバムにレディオヘッドっぽさを見つけてしまう。
レコーディングスタジオでは、どんな録り音にしたいか、具体的な既存曲を例に挙げながらイメージを固めていく。
この時代を生きるすべてのミュージシャンやエンジニアたちが、それぞれの感性でふさわしい音の響きやコード進行やメロディのたどり方を選択していっていて、それらの集合体として、2020年代におけるサウンドの「今っぽさ」みたいなものが形成されていっている。
その漠然とした「今っぽさ」というものは、すなわち、これまでに存在してきた膨大な過去のサウンドの中から現在のミュージシャンがどれを選んでどれを捨てたかの結果にほぼ等しい。
同じくファッションやデザインも、どの時代を参照するかのセンスによって「今っぽさ」が形成されている。
で、2020年代の「今っぽさ」のソースといえば、たとえばこんな感じだと思う。
音楽でいうと、いわゆるシティ・ポップのリバイバルに繋がったような、AOR〜ブルー・アイド・ソウル〜フュージョンあたりのクリアでハイファイなサウンド。メジャーセブンスのコード感やクリーントーンのギターカッティング、エレピ、16ビートのリズム、みたいな。
ミュージシャンはみんな短髪で、ジャケットを羽織っていたりネクタイを締めていたりして、清潔感がある。ロケ地はリゾートや大都会の夜。
またはこっちの感じも「今っぽさ」のソースになっているだろう。
ポスト・パンクやニューウェーブ周辺のサウンドから漂う、ソリッドで金属的でヒリヒリした質感。体温のないコールド・ファンク。反復的で痙攣的な動き、ニヒルな世界観、意味性から遠ざかろうとする言語感覚。
こっち側のミュージシャンもみんな短髪で、見た目もコンセプチュアルなアートの一環ですよといった佇まい。ロケ地は地下のクラブや廃工場。
2025年現在において、このあたりが「今っぽさ」のおもな参照元になっていることは、なんとなく共感していただけるだろう。
ただ、個人的にはこのモードには正直ちょっと飽きがきている。
シティ・ポップ的なサウンドは、2010年代前半から少しずつおもしろがられていたし、そこから考えるともう10年以上も続いているトレンドだと言える。
キリンジのデビュー時、90年代のローファイな価値観へのカウンターとしてAORに光が当たったところからカウントすると、もう20年以上たった。
ポスト・パンクの再評価も、ゼロ年代にディスコ・パンクの波が来たときに、フランツ・フェルディナンドやラプチャーに影響を与えたバンドとしてギャング・オブ・フォーやポップ・グループが再発見されてからなので、こちらももう20年続いているトレンド。
どちらも実はとっくに20年ぐらい続いているモードなのである。
こちとら、80年代〜90年代の移り変わりの激しい音楽シーンで育った人間なもんで、20年も同じモードが続くと、飽きる。
なので、そろそろ次のモードに期待したいところなんだが、このあたりはどうでしょうか。
すなわち、長髪、ノーネクタイ、ロンドンブーツ、ベルボトムみたいな出で立ちで、ギターはテレキャスではなくレスポール、鍵盤はエレピじゃなくてオルガン、シンセじゃなくて本物のストリングス。
都会人のクリスタルな恋とか、ポストモダンな虚無感とかじゃなく、寓意や内省を歌う。
アダルトでコンテンポラリーではなく、ダークでヒリヒリしてるわけでもなく、マスタリングされていない波形を大音量の生音で鳴らし、ときに大仰でときに甘酸っぱいような。
1991年のニルヴァーナのブレイクにより、もともと「じゃないほう」だったオルタナが、ゼロ年代にはすっかりロックのメインストリームになり、さらにはそもそもロックバンドという存在が古びてきている2020年代。
今こそ逆に、かつての王道を参照元にすることで、おもしろいものが作れるような気がする。
ただ、当時の王道の価値観をそのまま持ってきても刺さらない部分があるのも確か。廃れたものには廃れた理由がある。
とはいえ十把一絡げに捨ててしまうのではなく、現代の空気感になじみやすくて、フレッシュに感じられるようなものをピックアップしていくことは可能だと思う。
実は、上記に挙げたトッド・ラングレンや10cc、チープ・トリック、EL&Pやピンク・フロイドといったあたりはそこに配慮して選んでみました。
70年代の王道ロックとしてまっさきに想起される、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスやエアロスミスやキッスは、それはそれで魅力的だけどあえて除外してあり、2020年代の目や耳にフレッシュに届きそうな感じを狙ってみた。
既存のジャンル名で呼ぶとしたら、パワーポップやグラムロックやプログレッシヴ・ロックみたいな名前になるんだけど、このあたりを包括する呼び名として、「お茶ノ水系」と勝手に呼んでいる。
御茶ノ水〜神保町界隈の、楽器店に飾られたヴィンテージ機材、ディスクユニオンや今はなきジャニスに並ぶレコードや再発紙ジャケCD、古書街にある当時のロック雑誌、といったものによって形成されてきたカルチャー(ミュージック・マガジン誌のオフィスも神保町にあるし)をイメージしてのネーミング。
いかがでしょうか、御茶ノ水系。
2020年代にはいい具合に埋もれていて手つかずなので、このあたりの感覚をフレッシュに掘り起こせば一大ムーブメントになるのになと何年も前から思っていて。
実はそんな期待にバッチリこたえてくれた近年のバンドが一組だけいまして。
ザ・レモン・ツイッグスっていうんだけど、ファッションもサウンドもめっちゃ御茶ノ水系で最高なんすよ。彼らがでてきたとき、待ってた流れがついにきたぞと思ったもんだった。
しかし、2025年現在、彼らのあとに続く人たちはまだそんなにおらず、御茶ノ水系がムーブメントになるには程遠い状況。
若くて活きがいい人たちが和製レモン・ツイッグスみたいなことをやってくれたら、めっちゃおもしろいと思うので、誰かお願いします。
今年もフジロックに行ってきました。
97年の初回から、毎年一日だけでも参加するっていう連続記録をまた更新できた。
学生だったり独身だったりした頃は、木曜の前夜祭から月曜の午前まできっちり遊び切っていたけど、結婚して子どもができて仕事も責任が重くなってきて…というここ10年は、アーティストラインナップを睨みながら、金土日のいずれかに的を絞り、家族や職場に仁義を切った上で短期集中で遊ぶスタイルになった。
家族同伴で行ったのは、長男がまだ赤子だった頃に一度だけ。
朝霧JAMなど他のフェスには家族全員でよく行くんだけど、フジロックだけは環境の過酷さ、特に会場の広さや雨が降ったときの逃げ場のなさが他のフェスの比ではないので、なかなか子連れという選択に踏み切れずにいたのだった。
特にうちの子は、2人揃って落ち着きがなく人の話も聞けないので、引率するだけで疲れ切ってしまい音楽を楽しむどころではなくなりそうだなと。
しかし、今年は子供たちが2人とも好きなVaundyが出るということで、親としても覚悟を決めて一家でフジロックに行くことにしたのでした。

7月25日金曜日、空模様はくもりがちでたまに雨がパラつく程度。幸い雨具が必要な状況にはなっていない。
会場外からゲートをくぐってグリーンからホワイトへ、場内を大移動するだけで30分ぐらい歩きっぱなしになるわけだけど、今のところ子供たちは楽しそうにしてる。
疲れて心が折れてくると、『鬼滅の刃』の善逸なみにエンドレスでグチり続けるタイプなので、やや意外。
12時過ぎにホワイトステージに到着。
目当ては、おとぼけビ~バ~。
フジロックには、前回は2022年に深夜の苗場食堂に出演していて、わたくしその現場で初めて生でおとぼけビ~バ~を見て、すっかり心を掴まれたんだった。
おとぼけビ〜バ〜生で見るの初めてでしたが完全にやられたわ。SGの濁った歪みも、変則的な展開でも崩れないドラムも、カウントなしで曲を始められるバンドの息の合い方も全部エグい。気づいたら物販でピクチャーレコードを買っていました。#fujirockpic.twitter.com/YCLtg3zmmb
— ハシノ💿LL教室 (@guatarro)2022年7月29日
当時のツイート。
この3年間で、レッチリのオープニングアクトを務めるなどで以前から盛り上がっていた海外での人気がさらに加速し、日本でもものすごい数のライブをこなして脂が乗りまくっている状態になっている。
金曜のトップバッターにしてはホワイトステージにはかなりたくさんの人がいたんだけど、熱心なファンと言うよりは、噂のおとぼけビ~バ~をちょっと見てみたい!っていう感じの雰囲気、つまり初見だけど期待してる感じの人が多かったと思う。
そんな人たちの期待を、おとぼけビ~バ~はしっかり超えてたんじゃないだろうか。
まもなく産休に入るドラムのかほキッス氏が刻む、高速で変則的で正確なビートを、ベースひろ氏がゴリッと骨太に立たせたリズム。それを軸として嵐のように矢継ぎ早に繰り出されるキャッチーでハードコアで変則的な楽曲たち。
ギターよよよしえ氏が曲間に放つ煽りはジングルのように機能していてライブ全体のリズムが整うし何よりかっこいい。
そしてステージ中央に屹立するのがヴォーカルのあっこりんりん氏。中高年男性ファンを「ジジイ」呼ばわりするんだが、これは毒蝮三太夫の愛ある「ババア」とはちょっと違っていて、いわゆる有害な男性性(Toxic Masculinity)に対する指摘も含んでいる。
たしかに女性ロックバンドって、その手の音楽好きジジイたちに囲まれて消費されることをある程度は許容することで人気を獲得していくっていうパターンが多いと思うけど、自分たちはその道を選ばずにやっていくんだという意思表明のようなものを、「ジジイ」呼ばわりから読み取っています。自分も音楽好きジジイの一人として。
そういった意味で、フェミニズムを言葉として打ち出しているわけではないけど、めっちゃ体現はしていると思う。
ライブ会場でいつも思うのが、暴れたいラウド系ファンからジジイまで幅広い客層を抱えている中で、女性ファンがかなり多いなってこと。それはやはり、おとぼけビ~バ~の存在や言動が支えになっているという意味だと思われる。
この日、「孤独死こわい」って曲の後のMCで、「いまは孤独死よりも虐殺がこわいですけど」って発言もあった。いろんなオピニオンの代弁者のような役割を過剰に背負わされかねないポジションにまつりあげられかねないのに、その重さを引き受けなくてもいいのに、自分自身であるために言いたいことはちゃんと言うっていう淡々としたかっこよさを感じた。
ことほど左様に、音もパフォーマンスも発言も姿勢もかっこよすぎるので、軽い期待とともにホワイトステージに集まっていたジジイたちは完全に心を鷲掴みにされていた。
これをきっかけに、日本での人気にさらに一段階はずみがつくのではないでしょうか。
もうチケットがなかなかとれなくなったりするかもしれない。そんな前向きな嘆きをさせてくれるような、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
次は小学生たちをキッズエリアに残して、ヘヴンのキリンジへ。
キリンジは兄弟揃っていた頃から好きな曲がいっぱいあるし、今の体制になってからもいい作品を作り続けてて、日頃そんなにツイートなどで言及してない(このブログで「キリンジ史観」なんて言葉を発明してバズったことはあり)けど、新譜は常にチェックしています。
ただ実はライブを見るのは初めてで、その意味でもかなり楽しみだった。
ここ10年のシティポップのブームよりもずっと前から洗練されたサウンドを志向してきたキリンジは、近年のアルバムでも上質さとユーモアは健在。あと大人のほろ苦さ。
たとえばこの日だと、旧体制からの曲として唯一セットリストに入った名曲「Drifter」の、「たとえ鬱が夜更けに目覚めて 獣のように襲いかかろうとも」っていう生々しい一節に心がひんやりしたりするわけですよ。2020年代に都会で生きるアンニュイなおじさんは。
個人的には、80年代のユーミンが都会で働く女性たちを鼓舞したり慰撫したのとまったく同じ刺さり方で、2020年代に都会で生きるアンニュイなおじさんの心に入ってきてくれる感じがしている。
ライブも、ベテランの手練れ感とフレッシュさがどちらもあって、非常によかったです。
子供たちと昼ご飯を食べ、ホワイトステージ手前の川へ。
一通り川遊びをした後で、エムドゥ・モクターのためにホワイトの最前列で待機。
今年のフジロック初日では、実はこのグループが最大のお目当てでした。
北アフリカはサハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のギタリストで、右利き用のギターを左利きで弾くスタイルもあって、「砂漠のジミヘン」なんて呼ばれている。
エムドゥ・モクター(Mdou Moctar)、過激さが増した新作『Funeral For Justice』で剥き出しの怒りを放つ | Mikiki by TOWER RECORDS
トゥアレグ族の音楽が最初に世界的に注目されたのは、2012年にグラミー賞を受賞したティナリウェンというグループから。「砂漠のブルース」と表現されるような、乾いたギターサウンドが特徴的だった。
エムドゥ・モクターもその流れなんだけど、さらにハードロック的とでも言えそうな激しいギタープレイだとか、サイケデリックな展開だとか、ベースとドラムによるグルーヴだとかが加わってすごく強力になった最新型って感じ。
そんなに曲調にバリエーションがあるわけではないが、とにかくギタープレイで煽りまくる。
バンドとしては、タムの使い方のインパクトが強いドラムだとか、グルグルしたグルーヴを作り出してるベースがヤバくて、最高にダンスミュージックでした。
それにしても、今年は人が多い。
いつもフジロックの客層や客数をなんとなくウォッチしてきた経験から言うと、全体的に若返ったし数も多い。
ゼロ年代のフジロックといえば、自然を舐めきった軽装で泥酔してる若者やゆるふわ森ガールたちがたくさんいたものだけど、そういう層が10年代ぐらいに一旦ほぼ姿を消した。
生き残ったフジロッカーたちは高年齢化かつ環境への適応が進み、隙がなく色気もないアウトドアギアに身を包んだ40代が目立つようになったのがここ10年ほど。みんなDIY意識が高すぎて、その反面浮ついた祝祭感覚みたいなものが薄くなってるのが気になっていた。
ところが、近年はまた様子が変わってきて、色とりどりな感じの若い人が目立つようになってきた気がする。いろんな要因があるだろうけど、ひとつは、近隣の東アジア諸国からの遠征組の増加でしょう。サブスクの影響で世界中で日本の音楽が聴かれるようになったり、日本のアーティストが東アジア圏をツアーすることが増えたりしてて、フジロックに出るようなあたりのアーティストの交流が盛んになってる。
韓国や台湾のアーティストがフジロックに出ることも増えてるし。
その流れの決定版みたいな感じだったのが、グリーンステージのHYUKOH & SUNSET ROLLERCOASTER | AAA。韓国のヒョゴと台湾の落日飛車の合体バンドなんだけど、彼らのライブ中に自分たちのまわりにいた何組かの若い女性のグループは、のべ十数人がみんな中国語話者だった。そしてその人たちはそのままその場所でVaundyも楽しんで見ていた。
近年のフジロックを象徴するようなこの感じ。
いい傾向だなと思うし、自分もいつか韓国や台湾のフェスに行ってみたい。
コーチェラでもやっていたこの曲に家族全員でうっとり。
日も暮れかけた頃、いよいよ子供たちのお目当てのVaundyがグリーンステージに登場。
2022年のアニメ『王様ランキング』で「裸の勇者」が主題歌になったときから、Vaundyに親しんできた子供たち。その後も『チェンソーマン』や『SPY×FAMILY』や『僕のヒーローアカデミア』でVaundy楽曲に親しんできた。
われわれ大人も、アルバム『replica』を車でヘビロテしたりして、クオリティの高さやキャッチーさ、そして底知れない音楽性の幅広さを味わっている。
あとはやっぱり、過去2回の紅白歌合戦で見せてくれた、ロックスター然とした立ち居振る舞い。
こちとら、もうおじさんもおじさんなので、若い人の健康的なイキリはむしろ好ましく見てしまう。
この日も、「踊れるかい?」と軽く煽ってからの「踊り子」だとか、「Vaundyを品定めしにきてる人がいっぱいいると思うけど」みたいな発言があったり。元気があってよろしい。
ステージの演出としては、ステージ脇や後方の大型ディスプレイはあえて一切使わず、照明もシンプルそのもので、ストイックに演奏していくというもの。
その心意気もいいなと思えたんだけど、ただ、たぶん全曲で同期音源を流してそれに合わせて演奏してる。そのせいか、生々しいパフォーマンスでありながら、密室感があって不思議だった。
あれはやっぱり、音源通りの自分の声でハモらないと絶対ダメっていうこだわりなんだろうか。
そのあたりも狙いがあってコントロールしてるんだろうけど、個人的には、同期なしで音源とは違った味わいのライブを追求していってもいいんじゃないでしょうかと思いました。
子供たちは生Vaundyにとても感動して、口々に感想を述べ合っていた。
今までそれなりにいろんなライブを一緒に見てきたけど、やはり思い入れのあるアーティストだと感じることが格段に多かったんだろう。
本当はここからEZRA COLLECTIVEや坂本慎太郎も見たかったけど、子どもがもう限界なため現地から離脱。
これが子連れの宿命。宿が近ければまた話も違っただろうが、仕方がない。

いつもは一人で参加し、朝から深夜まで遊び回すため、一日だけでも十分にお腹いっぱいになれるんだけど、今年はやはり遊び足りなかったらしく、あの頃のようにがっつり木曜から月曜まで行きたいかも…っていう気持ちが再燃してきたのでした。
2025年7月5日にイギリスはバーミンガムで開催された『バック・トゥ・ザ・ビギニング』。
このイベントは、55年前にこの地で結成されたブラック・サバスの引退を記念し、彼らの影響下にあるアーティストが数多く集結して盛大に行われたもの。
このイベントが、そしてブラック・サバスという存在が、どれだけ音楽シーンにとって重要なものだったか、今回はそのことについて書きます。
ヘヴィメタルという音楽ジャンルは、重さ速さ暗さエグさエモさを極端に突き詰める独特の美学によって聴く人を選びつつも、80年代に英米を中心に世界各国(日本ではラウドネスや聖飢魔IIやXなど)で大きなムーブメントとなった。
90年代にはブームは下火になったものの、無数のサブジャンルに枝分かれしつつ各国にしっかり根付いて現代に至る。
ヒップホップにおけるアフリカ・バンバータ、ボサノヴァにおけるアントニオ・カルロス・ジョビン、アフロビートにおけるフェラ・クティのように、いろんな音楽ジャンルには始祖やそれに近い存在がいるが、ヘヴィメタルにおけるそれは、ブラック・サバスというイギリス出身のバンドなんですよ。
1970年のデビューから立て続けにリリースした数枚のアルバムで、彼らは後にヘヴィメタルと呼ばれる音楽ジャンルの原型を定義づけた。
当時はウッドストック・フェスティバルが行われたラブ&ピースの時代であり、また黒人音楽ではマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーがメッセージ色を強めていたり、日本ではフォークソングが若者に熱狂的に受けていたような、そんな頃。
その同時期に、ブラック・サバスは、ロックに重さや暗さやおどろおどろしさを持ち込んで、誰も聴いたことがないかっこいいものに仕上げた。
その後ブラック・サバスは紆余曲折あってメンバーが入れ替わりまくり、ヴォーカリストのオジー・オズボーンはソロアーティストとして数々の名曲をリリース。メタル界の帝王と呼ばれるようになる。
ちなみに、オジー・オズボーン脱退後の80年代ブラック・サバスは、こういうエモいハードロック路線にいっており、初期とはかなり別物。
そんなエモ路線時代を経て、21世紀にオジー含むオリジナルメンバーで再結成を果たし、現在に至るという感じ。
1970年のデビューから55年を経た2025年、ブラック・サバスとオジー・オズボーンは引退を宣言。最後のライブとして企画されたのが、『バック・トゥ・ザ・ビギニング』というわけ。
いわばヘヴィメタル界にとっては大きな節目、一つの時代の終わりを意味するものであり、ヘヴィメタル55年史の集大成のような超豪華ラインナップが招集された。
80年代のスラッシュメタル、90年代のグルーヴメタル、00年代にはさらにテクニカルかつ凶暴さが発展し…と、まるでメタルの歴史をなぞるように、メタリカ、スレイヤー、アンスラックス、パンテラ、マストドン、ゴジラ、ラム・オブ・ゴッドといったバンドが次々に登場し、またサバスを敬愛するミュージシャンたちによるスペシャルなコラボも繰り広げられた。
と、ここまでそれっぽい説明をしてきましたが、メタルファンならお気づきのとおり、このラインナップではメタル55年史の半分ぐらいしかカバーできていない。
最初の方で、ヘヴィメタルのことを、重さ速さ暗さエグさエモさを極端に突き詰める音楽と表現しましたが、初期ブラック・サバスとその影響下にあるバンドたちはおもに、重さ暗さエグさに重きをおいた一派。
一方で、速さやエモさを追求した一派もいるんだが、そっち方面のバンドは『バック・トゥ・ザ・ビギニング』からは見事にお声がかかっていないんですよね。
速さエモさ一派はおもにヨーロッパ(ドイツとか北欧とか)に多いので、その結果、『バック・トゥ・ザ・ビギニング』の出演者は大半がアメリカ人という結果に。
ロックの歴史は大西洋を挟んで相互にインスパイアし合って発展してきたんだけど、メタルにおいてもそれは当てはまるらしい。
このブログでも常々書いてきたけど、1991年のニルヴァーナのブレイクをきっかけに、世界中でヘヴィメタル全体がダサいものとなり、人気が凋落。代わりにオルタナティヴ・ロックが勃興し、現在に至るまでオルタナの流れをくんだロックが主流派になっている。
90年代初頭のオルタナ勢はインタビューで、旧世代のメタルバンドをクソミソにこき下ろしていたもんだった。
つまりオルタナにとってメタルは、倒すべき旧体制みたいな存在だったわけで、またメタルにとってオルタナは、自分たちを主役の座から引きずり下ろした奴らってこと。
それが今回、あのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロがですよ、メタルの速弾きギターソロを葬り去った新世代オルタナギターヒーローのあのトム・モレロが、トリビュートバンドのリーダーをやるっていうから驚いた。
90年代の自分に、レイジのトム・モレロとジューダス・プリーストのKKダウニングとホワイトスネイクのベースを従えたスマパンのビリーが、ジューダス・プリーストの「Breaking the law」を歌う未来があるよって言っても絶対に信じてくれないだろう。
日本でたとえるなら、田渕ひさ子が中心になってYOSHIKIと高崎晃と峯田和伸がバンドを組んだみたいな話。どれだけ信じられないか伝わったでしょうか。
ただ、当時主流派だったポップなメタルを駆逐して革命を起こしたオルタナ勢だったけど、カート・コバーンをはじめ、初期ブラック・サバスのことはみんな好きだったわけで。
80年代後半あたりのヘヴィメタルの主流派のサウンドにはブラック・サバスの影響はほとんど見受けられず、逆にブラック・フラッグやメルヴィンズあたりの、グランジに影響を与えたオルタナバンドのほうがよっぽどサバスを感じられる。
↑この記事によると、カートは『ネヴァーマインド』の音をブラック・サバスみたいにしたいと言ったらしい。
『バック・トゥ・ザ・ビギニング』に出演したバンドはみんな、自分たちの曲に加えてブラック・サバスのカバーを演奏した。
マストドンは「スーパーノート」のうねるベースや後半のパーカッション乱打がかっこよかったし、ラム・オブ・ゴッドは「チルドレン・オブ・ザ・グレイヴ」をツーバスとデス声でモダンに解釈していたし、パンテラの「エレクトリック・フューネラル」はザック・ワイルドのギターが最高にハマっていた。
初期サバス一門がずらりと並ぶ中でちょっと浮いてる感じがあったガンズ・アンド・ローゼズだが、ピアノ弾き語りの「イッツ・オーライ」と軽快な「ネヴァー・セイ・ダイ」というマニアックかつバンドの色にすごくよくマッチした名カバーを披露。そういえば昔からカバーのセンスがいいバンドだった。
みんなそれぞれの色があってよかったんだけど、80年代サバスをカバーしたバンドはさすがにいなかった。まあオジーを中心としたイベントなのでそこはみんな遠慮したっていう面もあるだろうけど、『バック・トゥ・ザ・ビギニング』に招集された重さ暗さエグさ一派はみんな初期サバスが好きなので、自然と初期の曲ばかりになったんでしょう。
1980年代から2020年代までの各世代を代表するバンドたちによる初期サバス愛にあふれたライブに続き、いよいよオジー・オズボーンのソロ名義のライブへ。
名盤『ブリザード・オブ・オズ』収録の大ネタ連発からの、バラード「ママ、アイム・カミング・ホーム」で場内のエモが最高潮に達する。
さんざんヘヴィメタルの重さ暗さエグさを背負った存在だと書いてきたところで申し訳ないが、結局この、無骨で温かいバラードが、8時間を超える長丁場だった『バック・トゥ・ザ・ビギニング』全体のピークだったように感じた。
この曲で終わっていても文句なかったし、むしろそれがもっとも美しかったかもしれない。
しかし、その後にトリとして初期メンバーが集結したブラック・サバスが控えている。
そのブラック・サバスは、全員70代後半とは思えない達者な演奏で、正直おみそれしましたって感じ。
演奏した4曲は、1970年のデビューアルバムとそれに続くセカンドから。
まさに『バック・トゥ・ザ・ビギニング』。
そして彼らが最後に演奏したのは、「パラノイド」。
たしかに、メタルファンならみんな知ってる有名曲だし、いまも色褪せないかっこよさがある。
ただ、歌ってる内容はというとですね…。
People think I’m insane because I am frowning All the time
みんな俺が頭おかしいと思ってるんだろ いつもしかめっつらだから
Think I’ll lose my mind if I don’t find something To pacify
何か気晴らしでもないと本当におかしくなりそうだ
I tell you to enjoy life, I wish I could But it’s too late
お前は人生を楽しんでくれよ 俺もそうしたかったけど手遅れだ
てな感じでまことに救いがない。
正直さっきのオジーのバラードのほうが芸歴55年を締めくくる感動のフィナーレにはふさわしいかもしれないけど、こんな陰々滅々とした歌詞の曲が代表曲っていうところが実に初期サバスらしくてこれはこれで最高でした。
それでこそ、ロック音楽の歴史に重さ暗さエグさを持ち込んでヘヴィメタルというジャンルの始祖となったブラック・サバス。さすがすぎる。
ヘヴィメタル55年の歴史における句読点になった『バック・トゥ・ザ・ビギニング』。
始祖は引退してしまったけど、この日登場したベテランや中堅はこれからも元気にやっていくだろうし、オーディエンスも幅広い世代が集まっていたので、まだまだメタルは終わらないと思いました。
YOASOBIや藤井風といった人たちが海外にファン層を急拡大させているとか、竹内まりやや大貫妙子に代表されるシティポップ勢が海外で高く評価されているといった話は、ここ数年広く知られているところだけど、実は、J-POPやシティポップだけでなく、90年代以降のインディペンデントなアーティストの一部も、海外で熱狂的に支持されている。
その代表格が、フィッシュマンズ。
アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」のオールタイム・ベストで、『ロングシーズン』が、なんと28位に入ってる。
28位がどれぐらいすごいかっていうと、なんとビーチボーイズ『ペット・サウンズ』や、スティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ』や、ポーティスヘッド『ダミー』という、この手のランキングで常に選ばれるような文句なしの名盤よりも順位が上っていうこと。
たしかにフィッシュマンズのオリジナリティと高い音楽性は世界でも類を見ないものだと思うし、海外に熱狂的なファンがたくさんいると聞いても変な感じはしない。
また、フィッシュマンズ以外にも、海外の音楽通に評価されている日本のアーティストはいろいろいて、Nujabes、Boris、BOREDOMS、コーネリアス、坂本龍一、メルトバナナ、Lampといったあたりの名前がよく挙がるんだけど、いずれもオリジナリティや音楽性の観点から海外で評価されていることに何ら違和感はない。
どこかの国のとある音楽通が、遠いアジアの国にとんでもなくユニークで豊穣な音楽シーンがあることを発見したとしたら、知的好奇心が刺激されまくってワクワクが止まらないだろうなと想像することはたやすい。
同じくどこかの国の音楽好きの一人として、その気持ちはものすごくよくわかる。
ただ、日本の音楽通に高く評価されているアーティストは前述した人たちの他にもたくさんいるにもかかわらず、海外に刺さるものと刺さらないものにはっきり分かれているという現状は、どうにも不可思議。
海外の音楽通と国内の音楽通との間で、日本のアーティストに対する評価がかなり違っているのはなぜか。そのズレがどこから生まれるのか。
明確な結論があるわけではないけど、考えてみました。
下記に貼った画像のように、海外の音楽通が作った、好きな日本のアーティストのジャケ画像をたくさん並べたリストが、ネット上にはたくさん転がっている。
それらを見てもわかるとおり、みんな信じられないほどめちゃくちゃディープに日本の音楽を掘っている。
なので、日本では評価が高いのに海外で評価されていない理由を考えるときに、日本語の言葉の壁だとか、知名度のなさとかは理由にならないと思う。
じゃあ、なぜなのか。

たとえば、キリンジはなぜ海外の音楽通に刺さっていないのか?
「エイリアンズ」が日本の若手アーティストに絶大に支持され、神格化されつつある日本の状況との落差、すごいことになってないですかね。
たとえば、小沢健二、岡村靖幸、ブランキー・ジェット・シティ。
日本のオールタイムベストの常連でありながら、海外の評価をほぼ見かけない。
いずれも個人的に大好きだし、音楽的にすぐれているところをいくらでも語れちゃうんだけど、一方で、正直この良さが異国の人たちに伝わる気があまりしない。
いや、異国の人どころか、日本の20代の人たちにも難しいかもしれない。それだけ、音楽の良さと時代の空気が密接で、つまり文脈に依存してるってことなのかも。
たとえば音楽にめっちゃ詳しい海外の人に初期のブランキーをいきなり聴かせたら、おそらく好意的な評価をしてくれるとは思うんだけど、「サイコビリーをうまく解釈してリリカルさとパンク成分を兼ね備えたサウンドになってるし歌手の歌い方も独特でいいよね」みたいな、いや、そうなんだけどそういうことだけじゃないんですよ…って感じになりそう。
岡村靖幸なんか聴かせたら、単なるプリンス論に終始したコメントが返ってくることは想像に難くない。
日本人にとっては、そばやお茶漬けのように馴染んでいる味なんだけど、寿司や天ぷらやラーメンほどの海外人気がない。
なにか口に合わないのか、物足りないのか、日本らしさが足りないのか、食べ方がわからないのか。出汁のニュアンスが難しいからか。
ラーメンの旨味は、どの国の人の味覚でも旨いと感じるだろうけど、そばは難しいかもしれない。ましてや、つゆにドボドボ浸すのは野暮だとかなんとか言われたら、もうどこでおいしさを感じればいいのか。
ちなみに、念のためですが大事なことなので言っておくと、海外で評価されるほうが偉いとかいう話をしたいわけではまったくなくて。
ラーメンは世界で評価されているからそばよりも上、とかいう意見があったら変すぎるでしょう。
ただただ、なんで刺さらないんだろうかと考えたいんです。
それでいうと、竹内まりやや大貫妙子がシティポップ文脈で評価されてるのに、荒井由実はなぜダメなのかも気になる。
初期サザンもなんで刺さってないんだろうか。
日本で人気がありすぎるからっていう理由で海外の音楽通が敬遠しているとは思えないけど、ただ、不思議と大衆性と音楽性が両立してる人たちほど刺さってない傾向がありそう。
もしかして、われわれには感じられなくなってるエグみみたいなものがユーミンやサザンにはあるんだろうか。そしてそのエグみのおかげで日本でだけ国民的な存在になったんだろうか。
自分の家の匂いって自分ではわからない的な。
これだけ日本食がポピュラーになったご時世でも、納豆だけはハードルが高いっていうし。
タキイ種苗:在日外国人へ『日本の食文化に関する意識調査』を実施 | タキイ種苗株式会社のプレスリリース
でも、自分が海外の(特に米欧以外の)音楽を聴くときには、その土地ならではのエグみのようなものを積極的に摂取しにいってるところがあるんだよな。
海外の音楽通はそういう聴き方をしていないってことなんだろうか。
そういえば、日本に対してその土地ならでは感を求めた結果、演歌に興味を持つに至るマーティ・フリードマンみたいな人が一定数いるけど、リズム歌謡や筒美京平のディスコ歌謡みたいなラインは演歌ほど注目されていない。
日本ぽさって面でいまいちキャッチーじゃないんだろうか。寿司や鉄板焼みたいな派手なものに比べると、肉じゃがや焼き魚みたいな存在はどうしても埋もれるってことなんだろうか。
それとも、カレーライスとかたらこパスタのような和製洋食として、ニセモノっぽく感じられてしまうんだろうか。
そっちにこそ極上の旨味が詰まっているってことを教えてあげたいんだけど。

2025年5月22日にド派手な授賞式が放送されたMUSIC AWARDS JAPAN(以下MAJ)。
音楽業界主要5団体が連携して新たに創設した賞で、文化庁のバックアップなんかもありつつ日本のグラミー賞を目指すとかアジアの音楽業界と連携していくとか、かなり気合が入っている。
YOASOBIや藤井風を筆頭に、J-POPが世界中で人気を博しているここ数年の状況。
この追い風をさらに加速させたいという業界や政府の思惑を、賞のカテゴリだったり選考方法からひしひしと感じることができる。
これまでの日本の代表的な音楽賞だった日本レコード大賞は、新聞社の社員と業界の大御所数人による審査で決まるっていうスタイルがもはや時代に合わなくなって久しいわけで、MAJはそんなレコ大を反面教師にしようとしているんだろう。
アーティストを中心にした音楽関係者5,000人以上の投票によって各賞が決まる仕組みは、たしかに特定の有力者の圧力がかかりにくいし、フレッシュな選考になることが期待される。
「審査員が金品や接待を求めた」過去も 元審査員が明かす「レコ大」の裏側(全文) | デイリー新潮
ただ、実は多くの賞は5,000人の投票メンバーの投票が行われる前に、チャート上位300曲の「エントリー作品」というかたちでふるいにかけられている。
この「エントリー作品」の制度によって、一定以上の人気がすでにある楽曲・アーティストしかそもそも候補になり得ないようになっていることが、個人的には窮屈に感じてしまう。
投票メンバーにとっても、本当に投票したい楽曲・アーティストはリストに載っていないっていう事態があったんじゃないでしょうか。
エントリー作品規定
Billboard JAPAN Hot 100の6指標(ラジオ、CD、ダウンロード、ストリーミング、MV、カラオケ)およびTop User Generated Songsのいずれかの指標でランクインした各指標300位の総合週次チャートを作成し、上位300位を選定。その上で、1年を2ヶ月のピリオドに分け、上記の総合週次チャートを当該ピリオド内で楽曲ごとに合算し、同ピリオドでの総合チャートを作成し、上位300曲を選定。
最終的に、その300曲を全6ピリオドでポイント順に並べ、最大ポイント以下の重複を削除し作成した年間のオリジナルチャートの全曲の中から国内アーティストによる楽曲をエントリー作品とする。
Best Japanese Song : MUSIC AWARDS JAPAN
たとえば、最優秀国内オルタナティブアーティスト賞のエントリーはここに載ってる人たちで、ここから投票によってノミネート5組(羊文学、Kroi、離婚伝説、TOMOO、土岐麻子)が決まり、最終的に羊文学が受賞した。
【MAJ】「最優秀国内オルタナティブアーティスト賞」は羊文学 活動休止中メンバーへメッセージ | ORICON NEWS
羊文学に不満があるとかではないけど、エントリーされたものの中から選ぶ仕組みじゃなくてもいいのではないかとは思った。
オルタナティブ部門なんて特に、まだ世間に知られていない気鋭のアーティストを心ある関係者がフックアップする場にしてもいいんじゃないか。ノミネートも10組ぐらいあっていい。
というか「オルタナティブ」っていうカテゴリが令和のご時世には難しいな。土岐麻子は果たしてオルタナティブなんだろうか。
MAJは、オルタナティブなんていう文脈依存なワードを今さら冠するよりは、インディーズのアーティストを対象としたインディペンデント賞みたいなものにするのはいかがでしょうか。
※そもそもオルタナティブとは何かっていう話は弊ブログの過去記事を参照で
あと、やっぱりここ1年以内にリリースされた曲みたいな縛りはあったほうがいいんじゃないか。一度ヒットした曲は何年も聴かれ続けるっていうサブスク時代の特徴はあるにしても、「怪獣の花唄」とか「アイドル」がノミネートされてるのは違和感あるし、「今夜はブギー・バック」がヒップホップ/ラップ楽曲賞にノミネートされてるのはさすがにどうかと思う。リバイバル楽曲賞は別にあるんだし。
このあたりのことは年を追うごとに整っていけばいいと思います。
ところで、22日の授賞式は豪華でしたね。
細野晴臣御大による賞の意義を端的に言い表したスピーチから、YMOの「ライディーン」をいろんなアーティストがマッシュアップしたパフォーマンスへ。
Perfumeにはじまり砂原良徳にSTUTSと、YMOの遺伝子が濃そうなところに繋がり、ちゃんみなやNumber_iやVaundyといった今が旬の面々が目まぐるしく入れ替わっていき、10-FEETに千葉雄喜やアイドル勢で幅広さを見せ、YUKIや岡村靖幸といった現役の重鎮で締めるという、実によくできた人選と編曲。
幻となったほうの東京オリンピック開会式のリベンジを見ているようだった。
その後も各賞の発表の合間にYOASOBIやちゃんみならの気合の入ったパフォーマンスが繰り広げられ、MAJにかける業界の意気込みがこれでもかと伝わってきた。
なかでも、ベテラン現役アーティストを讃える「MAJ TIMELESS ECHO」部門を受賞した矢沢永吉や、AI×Awich×NENE×MaRIによる「Bad Bitch 美学 Remix」のパフォーマンスは強烈だった。
NHKの地上波にNENEがあんなに長くデカデカと映ってて、うれしく思いつつもなぜだかハラハラしてしまった。
初回だからことさら気合を入れたんだとは思うけど、来年以降も露骨にトーンダウンするわけにもいかないだろうし、紅白歌合戦や、ある時期のFNS歌謡祭のような、テレビで特別なパフォーマンスが見られる番組としての一定のクオリティを保っていただきたい。
その上で、テレビ界や芸能界ではなく、あくまで音楽業界から発信されたものであるという立ち位置と、アジアや世界に向けたものであるという目線を忘れず、独自の存在であり続けてもらえたら。
つまり、単に人気者をたくさん呼べばとか座りのいい大御所がいればいいということではなく、筋の通った座組みであってほしいということ。
今回の「RYDEEN REBOOT」はその趣旨を見事に体現できていたと思うので、今後も期待したい。
とはいえ、日本の音楽界に「ライディーン」ほどの大ネタはそうそう豊富にあるわけではない。
音楽性の高さと世代を超えた影響力という意味では「勝手にシンドバッド」「風をあつめて」「君は天然色」「卒業写真」「雨上がりの夜空に」「今夜はブギー・バック」あたりが思い浮かぶけど、いずれもグローバルな知名度は低い。
いっそ毎年「ライディーン」でもいいかもしれない。アーティストを入れ替えればあと何年かは味がするはず。
それか、YMOよりさらにさかのぼって「上を向いて歩こう」はどうか。
星野源、藤井風、miletあたりがしっとりと歌い上げたり、髭男やaikoが複雑なコードでアレンジしたり、PUNPEEがラップしたりっていうのはなんかイメージできるし、結構いいものになりそう。
あとは世界的にロックが絶滅しかけている状況に対するカウンターとして「リンダリンダ」をぶつけるとか。BPMをグッと落としてトラップのビートにしちゃってもいけそうだし、余白の多いメロディはアレンジしがいがあるな。で、アメリカからリンダ・リンダズに来てもらったり。
永ちゃん枠でいうと、芸能界っぽくないほうがいいし音楽業界へのインパクトっていう意味では、松任谷由実か井上陽水かサザンか。山下達郎が出てきたらかなり大事件だけどまあ無理か。
まあ、こうやって考えてみたら少なくともあと何年かは普遍性と斬新さとグローバル目線を兼ね備えたパフォーマンスのネタはありそう。
世界の音楽シーンと切り離されて独自の進化を遂げたガラパゴスだとなかば揶揄されてきたJ-POPが、その独自性が極まってきたことと、アニメやゲームとの親和性が強まったおかげで、そのままのかたちで世界に受け入れられてきたここ数年。
とはいえ、まだグローバルに評価されているのがYOASOBI、竹内まりや、BABYMETAL、フィッシュマンズ…みたいに局地的な点々でしかないのも事実だと思う。
そんな点を面にするようなイメージで、日本にはもっとたくさんのいい音楽があるってことを知らしめる機会として、ますますの発展を期待します。
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