2025(令和7)年10月1日(水)曇り
3日め。今日の天気は一転、下降傾向で、雨になるかもしれません。
本日は、八戸駅でレンタカーを借りて、上北地区太平洋沿岸の六ヶ所村、三沢市方面を巡ろうと思います。
目次
本日も7:00にホテルを出て本八戸駅に行き、本八戸駅発7:43の八戸行き普通列車で八戸駅に向かいます。
上り方面も高校生が多いですが、会社員風の人も多くいて、結構混み合っています。10分ほどで八戸駅に着きました。
東口に出て10分ほど歩いてニコレン営業所になっているガソリンスタンドへ行きます。会員となっているので、クルマの傷の有無を確認しただけですぐ出発できました。

時間的に余裕がないので、ナビを六ヶ所村の原燃PRセンターに合わせて出発します。途中余裕があれば大平洋沿いの漁港か何かに立ち寄ろうと思います
県道19号線に乗り、はじめは東へ向かいますが、フェリーターミナルの手前で進路を北に変え、後はひたすら北上します。片側2車線の大きな道で、交通量も多いです。平日のためか大型車が多いように思います。

五戸川を渡り、奥入瀬川を渡ると、おいらせ町に入ります。
おいらせ町は、2006年に下田町と百石(ももいし)町が合併してできた人口約2万4千人の町で、全国的に流通している銘酒「桃川」の産地です。青い森鉄道の下田駅付近とおいらせ川の対岸の中下田地区が旧下田町の中心ようです。
また、下田百石IC近くにはイオンモールがあります。
特筆すべきことには、青森県内で、おいらせ町と隣の六戸町だけが人口が増加しています。なぜでしょうか。その理由として以下のようなことが挙げられています。
まず、雪が少ない地域であること。また、三沢市や八戸市に近いこと、駅が近くにあること(青い森鉄道で、それほど本数があるとはいえませんが。)道路が比較的良いこと、ショッピングモールが近くにあること、都市部より住環境が良いことなどです。
県道はおいらせ町に入ると間もなく2車線道路となります。でも、交通量が少なくなっているので問題はありません。
県道は、その先の一川目(ひとかわめ)というところで国道338号線に合流します。何もないところかと思っていましたが、結構民家があります。
この先は、南から北に向かって一川目、二川目、三川目…、という地名が続きます。川目とは川が海に合流する場所を指すそうで、太平洋に注ぐ小川の辺りに人が定住したことに由来するそうです。六川目(むかわめ)まであります。

少し行って三川目からは三沢市となります。
その先もしばらく集落が続きますが、塩釜の集落を過ぎると家屋がなくなります。交通量もグッと少なくなっています。
しばらく行くと右手に堰がある高瀬川放水路を渡ります。この辺りでクルマを止めたかったのですが、止めるスペースがありません。
すぐに大きく左にカーブして高瀬橋で高瀬川を渡ります。ここから六ヶ所村です。

六ヶ所村は人口1万人ほどの村ですが、日本原燃の原子力関連施設、国の石油備蓄基地、風力発電会社の風力発電所があり、税収が豊かです。そのためインフラ整備が進んでいます。村の中心は尾駮(おぶち)沼の北東岸の地域のようです。
「尾駮の駒」「尾駮の牧」が歌枕として歌われているそうで、中古から馬の産地だったようです。
六ヶ所村の村名は、明治の町村制施行で6つの村が集まってできたことに由来します。
それぞれの村名が馬に由来するという伝記が、200年ほど前の文書に残されているそうです。
古来この地は名馬の産地として知られており、鎌倉時代に『生食(いけづき)』という名馬が源頼朝の軍馬になりました。その馬の門出たところが「出戸(でと)」、身丈が鷹待場の架のようだったので「鷹架(たかほこ)」、背中が沼のように平らだったので「平沼(ひらぬま)」、尾が斑になっているので「尾駮(おぶち)」。さらにその馬に鞍を打ったので「倉内(くらうち)」、鎌倉へ引き渡すために泊まったところが「泊(とまり)」となったとのことです。
江戸時代の旅行家・菅江真澄(1754年~1829年)が、寛政5年(1793年)の冬、平安中期の後撰和歌集に詠われている「おぶちの牧」を見るため六ヶ所村を訪れました。真澄は旧暦の11月30日から、およそ2週間をこの村で過ごし、その自然や人々の様子を歌や絵にし、旅日記を残しています。
何もないところだと思っていましたが、高瀬橋の先の倉内地区には、結構民家があります。その先、民家は途絶えますが、また、平沼の集落があります。
その先で尾駮バイパスに入りますが、とても良い道です。
鷹架沼を渡り、県道180号線との交差点を過ぎると工業団地となっています。原子力関連施設もこの中にあるようです。

ここを抜けると左手に六ヶ所村郷土館があり、左折します。その先に日本原燃の六か所原燃PRセンターがあります。

ここは、ウラン濃縮工場、再処理工場などの「原子燃料サイクル施設」の役割と仕組みについて、模型や映像、パネルで紹介している施設です。
内容が難しいので、ややわかりにくいのですが、特に、原子力の有用性と安全性をアピールしているようです。スタッフも多く、結構、お金がかかっているのではないかと思います。




六ヶ所村の中心部にも行ってみたいのですが、時間がないので、次の目的地「道の駅みさわ」に向かいます。
高瀬橋まで戻って、放水路を渡ったら右折し、県道170号線に入ります。
道路からは見えませんが、右手には小川原湖があるはずです。
左手は、平な土地が広がっています。この先に仏沼湿原があるはずです。

そのまましばらく進むと「道の駅みさわ斗南藩記念観光村」があります。ちょっとわかりにくいのですが、この中に「三沢市先人記念館」がありました。


「斗南藩記念」とうたっていますが、ここは、会津藩士だった廣澤安任(ひろさわやすとう)が会津からここ谷地頭に移り住んで、日本初の洋式牧場である「開牧社」を開いた土地です。その廣澤安任の功績を紹介する施設が「先人記念館」です。
園内には「ホースパーク」があり、乗馬体験などができるようです。また、安任の住居を復元した「六十九種草堂」があります。
広々とした園内はリラックスできそうです。


次は、小川原(おがわら)湖畔にあり、キャンプ場などを備える「三沢市民の森」に向かいます。
そのまま県道170号線を南下し、標識に従って右折します。道が狭いのではないかと心配していたのですが、全くの杞憂でした。
公園内の道路をずっと奥に入ると「寺山修司記念館」があります。

寺山修司は1935(昭和10)年生まれの劇作家で演劇グループ「天井桟敷」の主催者です。生誕地は弘前市ともいわれますが、本籍地は旧六戸村(現在の三沢市)です。終戦後、小間木駅(現在の三沢駅)前の寺山食堂の2階に住んでいたとのことです。
戻って小河原湖畔へ行ってみます。湖水浴場があり、脇に「レイクピア」という観光センターの建物があります。
小川原湖は広大ですが、水が濁っています。

湖畔の道を南に行くとキャンプ場とコテージがあります。ゆったりできそうな場所です。この辺りは、本州では珍しく平らで広々とした土地が広がっているようです。


湖岸の道を南下します。左手方向には、三沢飛行場があります。この飛行場は、アメリカ空軍と航空自衛隊と民間航空の三者が共同使用する飛行場です。
湖岸の道は県道8号線に突き当たるので、ここを左折し三沢市街地へ向かいます。
中央交番がある交差点を左折して市役所通りに入ります。市役所の交差点を左折してホテルルートインの角を右に入り、市営駐車場にクルマを止めます。


徒歩で市役所や三沢市公会堂方面へ行ってみます。米軍関係者が多く暮らすせいか、英語の看板を掲げた店が続いています。

三沢市は、人口3万7千人の都市で、このほかに米軍の軍人及び軍属とその家族が1万人ほど住んでいます。
米軍の基地が、駐車場から見ると市役所の反対側にあります。
出身者の中には、先に挙げた寺山修司の他、県立三沢高校野球部で甲子園を沸かせ、その後、近鉄バッファローズに入団して活躍した太田幸司投手がいます。
昼食を取ろうとしていくつかの喫茶店のようなところを覗きましたが、どこも米軍の軍人でいっぱいでした。基地の方に行った「スカイプラザ」というショッピングモールは、アメリカンな雑貨店があり、まるでアメリカに行ったようです。

いっそのこと、現在の状況を生かして、「リトルアメリカ」のような国際都市を作ったらどうでしょうか。
インターナショナルスクールや英語オンリーで授業を行う大学の誘致なんかはすぐできそうです。将来的には特区として移民の積極的に受け入れ、海外企業の拠点の誘致、三沢空港、八戸港を機能拡張し、国際線、国際航路を広げ、成田・横浜に代わる新たな日本の玄関にするなど行えば、北東北の人口流出、経済的な沈下の防止に役立つと思います。大阪ファースト色の色濃い「副首都構想」よりこっちの方がよいのではないかと思います。(個人的な見解です。)
八戸駅までの時間が読めないので、早めに三沢市を出ることにします。
ナビで目的地に八戸駅を設定して出発すると、県道10号線から県道8号線に入り、有料道路の側を通って下田百石IC近くの下田イオンモールの脇を抜け、そのまま県道8号線で八戸市に入り、陸奥市川駅の北から国道45号線に乗ってニコレン八戸駅東口店に帰ってきました。


新幹線の時刻まで、少し時間があるので、八戸駅周辺を散策しようと思います。
まず、駅前の酒屋「木津商店」で、八戸酒造の「八仙」を買いました。
次に西口の方へ行ってみました。こちらは、建物が少なく、広々としたロータリーとバスターミナルがありました。

東口に戻って、「ユートリー」に行きました。

1階は、三社大祭の山車巡行の様子を示す模型が展示されています。
2階には地元企業の紹介コーナーとレストランがあります。
3階はオフィス等、4階は会議室、5、6階はホテルになっているようです。
駅舎右手の「うみねこプラザ」に行ってみます。
こちらは「図書情報センター」「市役所市民サービスセンター」があり、階上は「ホテルメッツ八戸」となっています。
駅舎に隣接する建物は、百貨店やショッピングプラザなどの場合が多いのですが、近年、特に地方都市では、行政サービスセンターや集会スペースを備えた複合施設となっている場合が増えてきました。
この後、15:42発のはやぶさ60号で帰路につきました。
八戸市は、港町らしい賑わいがある街で、青森市が新しいモダンな感じがする港町なのに対し、ちょっと古く、やや雑多で活気あふれる港町という感じがしました。
櫛引八幡宮や八食センターなど、今回、行けなかったところもあり、再度、訪れてみたい魅力がある街でした。
また、上北地区の六ヶ所村や三沢市は、駆け足で回り、概要を掴んだだけです。日本では珍しい、広々とした湖沼、海岸が広がる地域なので、もう少しじっくりと堪能したいと思いました。いつかまた、訪れようと思います。
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