おれは木曜日、ガチ中華で女の人と鍋をたらふく食べた。別れて帰る寒い夜道、おれはアパートに帰りたくなくなった。帰って、寝てしまえば、夜が明けて次の日になる。手術の日が近づいてしまう。おれは、できるだけ部屋に帰るのを遅らせるよう、ゆっくり、ゆっくり自転車を漕いだ。それでも、時は必然として過ぎてしまうのだ。

明日、月曜日から入院する。火曜日には手術をする。十日くらいの入院を予定している。
……あー、マジで言うけど、本当に嫌だよ。いや、嫌なんだよ、嫌だといったら嫌でたまらん。本気でしんどい、つらい、しんどい、勘弁してほしい。なんでこんな目にあわなければならんのかわからん。大腸をぶった切って、小腸の一部を腹の外に出してちょんぎって、四六時中排便できるようにするんだぜ。なんだそれは。かなわん。
いや、わかるんよ、おれも「癌疑い」から「NET G1」確定まで、さんざん本も読んだし、ネットの情報も読んだし、たくさんの闘病記を読んできた。おれの「希少がん」なんてのはかなり軽い。軽いというか、早期発見できたので軽いうちに済んだというか。普通の大腸がんと比べても、前後の抗がん剤治療もない。NET(神経内分泌腫瘍)なので適した薬がないというのもあるが。リンパ節転移はあるが、ほかの臓器には転移もしていない。とりあえず、切り捨ててしまえばそれで終わる……。
けどな、人工肛門よ。おれが最初の最初にクリニック予約して大腸内視鏡検査受けに行った理由は「人工肛門になりたくない」からだった。「がんで死にたくない」より、そちらが大きかった。その心の動きについては、当時リアルタイムに書いたので本当だ。
いや、わかるよ、おれの人工肛門、ストーマは一時造設だ。術後の状態によっては永久になる可能性はあるが、とりあえずは最短三ヶ月で閉鎖予定だ。永久の人に比べたら、まだ救われるかもしれない。
でもなあ、その「一時」の間は、永久の人となにも変わるところのないオストメイトになる。同じトラブルのリスクがある。においは当然気にしなくてはならないだろう。ストーマからの便は通常の便よりそうとうににおうらしい。あるいは装具のトラブルだろう。二十四時間ずっと排泄している状態なのに、それを受け止める装具が外れたりしたらどうなる。人前で漏らす。服を汚す。それも怖い。それも怖いし、就寝中のトラブルというものもある。起きてみたらベッドも布団も汚物まみれということになる。そうなったらどうしたらいいんだ。対策の想像すらつかない。新しい寝具を買うまでの予備として、寝袋でも買っておこうか。悪くないアイディアだ。とはいえ、いつそういうトラブルになるかはわからない。ストーマ造設直後の初心者だけに、そういう危険性は高いだろう。
もちろん、装具トラブルばかりでなく、ストーマ自体のトラブルもおそろしい。前に書いた通り、食べ物にはそうとうの注意を払わなければならない。ただ、何をどれだけ食べたら、どのくらいの時間でなにが出てくるかまるで想像がつかない。腸閉塞はおそろしい。ほかにも皮膚のトラブルなどもありうるだろう。
金もかかる。一時造設のつらいところで、補助金が一切でない。安いとはいえないパウチやさまざまな関連用品を自費で買わなければならない。もちろん、抗がん剤治療などもっとお金がかかると言われればそうであろう。とはいえ、なにがいくらかかるのか? 正しいもの、自分に合ったものを買えるのか? 直接指導を受けなければわからない。
指導といえば、果たして自分はきちんと装具の交換などができるのだろうか。装着ができるのだろうか。そもそも、人工肛門造設者は自分できちんとできるようにならないと退院できない。とはいえ、いつまでも病院にいられるわけでもない。数日間の間にきちんとできるようにならなければならない。「半分くらいできるかな」ではいけない。完璧が求められる。ただ、その道は険しい。人工肛門造設者の自立への第一歩はなにか。「自分のストーマを見られるようになろう」が第一歩だ。二歩目は「触ってみよう」だ。はっきり言って、おれはおれにの腹にできるであろうストーマ、人工肛門、小腸を引きずり出したものを見るのが怖い。触ることなんてできるのだろうか。怖くてしかたない。勘弁してほしい。
あらためて言うが、おれの希少がんが全がんのなかで軽いものであることは否定できない。それは否定できないが、入院前日のおれの実感は実感として、だれに否定できるものではないだろう。だから、恥を忍んで、これを書き残している。嫌なものは嫌だ。なにせおれは、一度だけ痛みもない血便があっただけだ。自分が病気であるかもしれないなにかは、それだけだった。正直言って、いま、この瞬間、おれの身体は健康だ。そう感じている。べつにお腹や肛門にトラブルを抱えているわけではないのだ。それなのに、だ。「嫌な症状が治療して治る」とうのであれば、なにか楽になるところもある。だが、おれの症状というのは大腸にできた一個のポリープであって、その存在は内視鏡やCTやMRIやPET/CTで確認されたものにすぎない。ぜいたくな悩みだと言われるのはわかっている。でも、嫌なものは嫌だ。
嫌だけれど、神経内分泌腫瘍は切り取らねばならない。命の代償がこの「嫌」だ。とはいえ、嫌なもんは嫌なんだ。つらい、しんどい、やるせない。しかし、酒も飲めない。もうどうしようもない。病院に行って、腹に穴を開けられて、小腸を引きずり出されるしかない。それしかないのである。それを幸運だったと言える日がくるのだろうか? もとから未来になにもない、結局は自死か路上か刑務所か選ぶような人生に、こんなイベントは必要だったのか?
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