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なぜ逃げない? 災害大国の日本が陥りやすい「正常性バイアス」問題

インフラ未発達でもキューバは死者ゼロ

「特別警報」を増やしたものの

「これまでに経験したことのないような大雨になっています。重大な危険が差し迫った異常事態。砂崩れや浸水による重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況です」

――2018年7月6日から8日にかけて、西日本を中心に襲った豪雨に対して、気象庁は「大雨特別警報」を発表した後に記者会見を開き、警戒を呼び掛けた。

「特別警報」は数十年に一度の重大な災害が予想される場合に出される。2013年8月末、従来の警報の基準をはるかに超えるような災害が起こる危険性がある場合に最大級の警戒を呼びかけるために、気象庁が導入した。

背景には過去、「大雨警報」や「記録的短時間大雨情報」「土砂災害警戒情報」といった防災情報を繰り返し発表したにも関わらず、避難や被害防止に結びつかなかったという教訓がある。

「特別警報」のイメージ。気象庁HPより

たとえば、2011年に紀伊半島を襲った台風12号による豪雨では、降り始めからの雨量が1000ミリから2000ミリに達する記録的な大雨になると発表したが、「雨量の数値だけを聞かされても、どのくらい危険な状態なのかがわからなかった」という意見が、地元の自治体から相次いだという。

そこで登場したのが「特別警報」だ。今回の西日本豪雨に向けて気象庁は、冒頭のような記者会見まで開いて、九死に一生レベルの危機が差し迫っていることをアピールした。

だが、こうした呼びかけに反応して、ただちに避難した人は少数にとどまり、6日午後8時頃、全域に避難指示が出された広島市安佐北区では、7日午前0時時点で避難所に身を寄せたのは市が把握している限り874世帯1992人で、全体の5%強。

甚大な被害があった岡山県倉敷市真備町では、亡くなった人のうち、約8割が屋内で発見されており、逃げ遅れて溺死した人が多かったとみられている。

「西日本で、経験したことのないような豪雨が降る」というニュースは、日本中で繰り返し報じられ、共有された。にもかかわらずなぜ、ほとんどの人は逃げなかったのだろうか。

災害心理学の専門家は「正常性バイアスが働いたからではないか」と指摘する。

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堤防が高くなるほど、正常性バイアスは強固に

「正常性バイアス」とは、水害、地震、津波、火災などの危険が目の前に迫っていても、日常生活の延長線上の出来事だと判断し、「自分は大丈夫」「まだ安全」などと思い込んでしまう人間の心理的な傾向を指す。

被害が大きかった真備町では、「ダムがあるから安全と油断して逃げ遅れた」という声が多く聞かれた。また東日本大震災では、「チリ地震津波のあとにできた堤防があるから大丈夫」と思い込んでいた高齢者が多数犠牲になった。

「前例のない」災害に対して、前例を基準にして作られた設備は役に立たない。むしろ、そのせいで正常性バイアスが補強され、逃げ遅れにつながったのである。

現在、三陸沿岸部では、東日本大震災並みの津波がきても大丈夫なように、十数mの巨大堤防の建築が進んでいるし、西日本豪雨の被災地では、今後一層大規模なダムや堤防が建設されるだろう。

だが、それらのインフラは強固になればなるほど、高くなればなるほど、住民の正常性バイアスをガチガチに固めてしまうのではないだろうか。

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インフラ未発達でもハリケーンの死者がゼロ

参考として、2016年にカリブ海地域に甚大な被害をもたらした大型ハリケーン「マシュー」でのキューバの事例を紹介したい。

大型ハリケーン「マシュー」によって、ハイチでは842人、アメリカ・フロリダ州では18人の生命が失われた。ところがキューバでは、農業や食糧生産が大打撃を受け、歴史的な町並みで知られるバラコアでは住宅の90%が崩壊という凄まじい被害を受けながらも、死者はゼロだった。

いったいなぜか。それは政府の呼びかけによって100万人もの住民が事前避難していたからだ。

キューバの人たちには、「正常性バイアス」はないのだろうか。

恐らく、日本人よりは、ないに違いない。というのも、キューバには、ダムや防波堤のように、住民を地域ごと守ってくれるハードはない。「たぶん大丈夫だろう」と思い込める要素が乏しいのだ。

キューバはハリケーン被害にあっても犠牲者は少ない photo by GettyImages

キューバは国民1人当たりのGDPは7097ドル(2016年)と低く、決して裕福な国とはいえはない。財政難で、インフラ整備にかける予算も乏しいため、防波堤などの防災設備も皆無に等しいという。

しかし一方で、自然災害対策、なかでも人命を守ることには力を注いでおり、早期警報システムや避難体制の充実を図ってきた。そこには、人命を第一に考える、政府の姿勢が表れている。

つまり「正常性バイアス」は、インフラ対策が充実している経済大国のほうが陥りやすい、恵まれた国の問題ともいえる。

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情報の精度を高めても、人の意識は変わらない

たとえば東京都のハザードマップを見ると、港区辺りは危険区域が意外なほど多いが、住民もオフィスワーカーも「こんな都会の真ん中で、水害や土砂災害など起こるはずがない」と安心しきっている。心配しているのは、地震くらいだろう。

こういう都市住民を含め、防災が苦手な人たちの行動を変えるには、「正常性バイアス」をチェンジさせようとするだけでは追いつかない。

有効な対策のヒントを、横浜市立大学の武部貴則教授が提唱する「広告医学」にみつけた。

広告医学とは、「デザインやコピーライティングなどといった、わかりやすく、人々に影響を与える広告的視点を取り入れることで、生活する人々の行動変容(Behavior Change)を実現する『コミュニケーション』を研究し、生活者の目線からさまざまな医療問題の解決を目指す体系のことを示す」。
(「広告医学」ホームページより)

具体的には、医者がいくら指導しても行動を変えない、生活習慣病予備軍のような人たちに、本人たちが意識しないうちに健康にいい行動をとらせたり、健診に行くよう仕向けたりする方法を探ることだ。

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武部教授のグループは、「上りたくなる階段」「運動したくなるTシャツ」「待ち時間が短く感じる病院の待合室」などを考案し、実証実験を進めている。

生活習慣病予備軍に向けて医師や行政が行う「健康を維持するために運動しましょう」という呼びかけは、「命を守るために早めに避難しましょう」という防災のための呼びかけとそっくりだ。

もし防災意識の低い人にも、情報で避難させようとするのではなく、「避難したくなる避難所」ができたら、災害による死傷者を大幅に減らせるのではないだろうか。

災害心理に詳しい、関西大学社会安全学部の元吉忠寛教授は次のように語る。

「防災が苦手な人たちの行動を、社会を変えずに、変えるのはとても難しいと思います。人は、恐怖などの強い感情が引き起こされる『直接的な危機(目の前の危機)』から身を守るようにはできていますが、強い感情が湧いてこない『間接的な情報(予測的な情報)』に反応して身を守るようにはできていないからです。

毎日の生活を送る中で、目の前に危険がなければ、普段通りに過ごしたいと思うので、後回しにしても当面困らないことについては、適切な行動を取ることは難しい。

ですので、一般に「正常性バイアス」と呼ばれているものはバイアスではなく、人間として当然の反応だということを理解する必要があります。

情報を高度化・精緻化して人を避難させようとしている、現在の防災対策の方向に対して私は否定的です

避難が無駄だったと思わせない仕組みを

東京都の総務局で長年に渡り、防災に取り組んできた森永健二氏は、「正常性バイアス」対策の難しさを痛感した体験を振り返る。

「東日本大震災の時、私は都庁内にいました。我々は災害対策の専門家です。ところが、地震が起きた時に、机の下にもぐって身を守る行動をとった人は、周りに1人もいませんでした。

都庁はご存知のように超高層ビルなので、長周期地震動によるゆっくりとした大きな揺れが長時間続き、天井材が落ちた部屋もありました。幸い、けが人はいませんでしたが、とっさの時に適切な行動がとれない、正常性バイアスの怖さを実感しましたね。

正常性バイアスを外すには、訓練が重要です。それも現実に則した具体的なルールを決め、訓練を行っておくこと。

たとえばこれも東日本大震災の時ですが、地震がおさまった後に外を見ていたら、近隣のビルから近くの公園へ、ヘルメットをかぶって集団で避難する人たちがいました。

驚きました。火災なら外に逃げるのは正解ですが、地震の時は、ビルのなかにいるのが一番安全です。外へ出たら、上から何が降って来るかわかりませんからね。都庁では、火災訓練と地震訓練を分けて実施しています」

狭くて汚くて暗い避難所では、逃げたくならない photo by GettyImages

映画館やホテルを避難所に

では、「避難したくなる避難所」は、どういうものが考えられるだろうか。元吉教授は提案する。

「避難コストの最小化のためには、避難所を行きたくなる場所にすることはとても重要です。日本の避難所は不快で長居したくない場所です。要配慮者がいる場合などは、避難させるのも大変です。自宅にいた方が一見心地がいいし安心なのでみんな移動しません。

まずは体育館に避難するという従来の考え方をあらためる必要があると思います。安全な地域にある親戚の家、公民館やコミュニティーセンターなどの冷暖房のある施設、居住環境の整った場所やホテルなど宿泊施設も避難先にすべきです。

また、実際に行動経験がない場合に避難することは難しい。台風接近のたびに避難しても『無駄だった』と考えないような工夫が必要です。

たとえば、台風が近づいたらお孫さんと過ごす日にするとか、ハザードマップで危険な地域に住む人は、ホテルに割安で宿泊できるとか、映画館で無料で映画を見て一夜を過ごすことができるようにするとか、そのくらいの発想の転換が必要なのではないでしょうか。

現状では、現実的ではないですが……。台風が接近したら必ずそれを行うという風に習慣化しないかぎり長続きしませんし、本当に災害が起きたときに命を守ることができません」

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「避難したくなる」がなにより重要

一方東京都も、「避難したくなる避難所」をめざし、充実化をはかっていきたいと森永氏はいう。

「『避難したくなる避難所』は必要ですね。以前は、首都直下型地震のような災害が起きた時には、一刻も早く帰宅できるように支援するのが都の方針でした。

しかし、東日本大震災時の大混乱と帰宅難民問題を教訓にして、『3日間は帰宅せず、都内に待機してもらう』方向に、対策を大転換しています。それに伴い、避難所の快適性にも力を入れているので、しっかりと広報したい。

ポイントは、充分な水の確保と、正確で迅速な情報発信機能を持つことです。災害で不安な時、人が一番に求めるのは、水と正確で迅速な情報だからです。避難所に行けば、両方必ず手に入るというふうにしたい」

ちなみにキューバの避難所は、「災害時も平時と変わらない、あるいはそれ以上の医療を提供すること」を基本に、医師や看護師、医療品などを充実させているという。

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DMAT(災害医療派遣チーム)に登録し、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大地震等で救援に当たってきた、ある救急医は次のように嘆く。

この20年、日本の災害医療は進歩しているように言われていますが、避難所についてはほとんど変わっていません。暖房も冷房も無い体育館で、床に段ボールを敷き、プライベートもなにもない状況で長期間の避難所生活を余儀なくされる。あれでは、健康な人も病気になるし、災害関連死もなくせません」

本気で、自然災害から人命を守りたいなら、「正常性バイアス」という、人間の特性を変える努力をするよりも、避難所を「避難したくなる場所」にする工夫をこらすほうが確実で、即効性がある。

大規模な自然災害は、起きるのがあたりまえだが、そのたびに、急ごしらえの避難所で、不安で不自由な日々を過ごすのは、決してあたりまえではない。

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