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最後の妻となった橋本田鶴子さんとアントニオ猪木

高倉健にも寵愛された「アントニオ猪木・最後の妻」の《恐るべき正体》...「すべての権利を掌握しようと…」

2022年10月1日、79歳で亡くなったアントニオ猪木。今なお熱烈なファンを擁する猪木だが、世に喧伝されるそのイメージは二重三重の皮膜に包まれてきた。

話題の新刊『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社刊)は、猪木家の末弟である啓介氏から見た、5歳年上の兄・猪木寛至の「人間の記録」だ。ブラジルへの移民、力道山との出会い、新日本プロレス、政治と事業、4度にわたる結婚、そして晩年の兄弟断絶と闘病。70年余に及んだ兄弟の歴史がすべて記されている。

猪木のプロレス引退後、突如現れた謎の女性カメラマン――最後の妻となる「ズッコ」こと橋本田鶴子氏の登場により、猪木家の歯車は狂い始めていった。橋本氏は猪木の身の回りのことを全て取り仕切り、家族や仕事の関係者たちを徹底的に排除しようとしていた。これまで沈黙を貫いてきた実弟がいま、そのすべてを明かす。

『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(第18回)

最後の妻となった橋本田鶴子さんとアントニオ猪木
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高倉健にも気に入られていた

橋本さんがまだ30代のころ、ある新聞にその仕事ぶりが紹介されたことがある。1989年に公開された映画『あ・うん』に、スチール撮影のスタッフとして参加していた彼女は「気配りの人」として、主演の高倉健にたいそう気に入られていたそうである。一介のカメラマンが、あの健さんに気に入られるとは驚きだが、私は納得できる。

橋本さんは、兄貴の身の回りの世話をすべてやっていた。それは客観的な事実である。仕事のスケジュール管理から、着るもの、食べるもの、兄貴が疲れたと言えばマッサージもしていたし、「今日の薬はお昼がそれ、3時にこれ」と至れり尽くせりの立ち回りだった。その意味では非常に優秀なマネージャーである。

自分の立場をアピールすることにも余念がなかった。兄貴の血糖値を測るとなれば、わざわざ仕事の関係者が全員集まったタイミングで器具を取り出し、自身の役どころを見せつける。私は彼女のひとつひとつの行動にどこか芝居がかったものを感じていたし、カメラマンとして兄貴に近づいてきたのは、「撮影したい」というアーティストとしての欲求というよりも、それ以上の個人的関係を結びたいと思っていたからだと考えている。

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