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「宇崎ちゃん」献血ポスターはなぜ問題か…「女性差別」から考える

21世紀を生きるためのノウハウ

日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調するもの。「宇崎ちゃん」という名のキャラらしい。

日本事情に詳しい米国人男性が英語で、過度に性的な絵で、赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信(10月14日)、日ごろから女性差別問題について活発な発信をしている女性弁護士がそれに同意し「環境型セクハラ」と批判を続けたところ、「表現の自由だ、表現を規制するのか」「自分の基準で勝手なことを言うな」「たかが絵なのに文句を言うな」等々の、ほとんど罵倒と言ってもよいようなものも含めて、非常に多くの反批判を受けた。

私自身もこの件で複数回ツイートしたが、いずれもリツイートや「いいね」を多数いただいたものの、上記と同趣旨のリプライも山ほど浴びた。

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改めて、何が問題なのか

結論から言えばこの件は、議論する以前に答えは出ている。

女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。

たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。

男女共同参画社会基本法(1999年制定)の下で策定された「男女平等参画基本計画」(2000年)でも「メディアにおける女性の人権の尊重」が盛り込まれ、2003年には内閣府の「男女共同参画の視点からの公的広報の手引き」でこれを「地方公共団体、民間のメディア等に広く周知するとともに、これを自主的に規範として取り入れることを奨励する」としている。

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同じ趣旨で各地方自治体でもガイドラインを策定しているが、たとえば、東京都港区は、

「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」「(性の商品化とは)体の一部を強調されたり、不自然なポーズをとらされることで、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われること」(東京都港区「刊行物作成ガイドライン「ちょっと待った! そのイラスト」、2003年)

としている。

最近のものでは埼玉県が、自治体のPR動画やイベントポスターなどで過度に性的な「萌えキャラ」等が問題となっている事態を踏まえて、女性を性的対象物として描くことに注意喚起し、「人権への理解を深め、男女共同参画の視点に立った表現をすることが一層重要となっています」(埼玉県「男女共同参画の視点から考える表現ガイド」(2018年))としている。

今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。

条約には強制性はないし、基本計画や自治体のものもあくまで「手引き」「ガイドライン」で、法や条例そのものではないし罰則もない。国や公共団体にはとくに遵守が求められるだろうが、一般の企業や商店を直接に縛るものでもない。

しかし私企業であれ、広告を出すにあたっては公共性を一切無視するわけにはいかないだろう。企業イメージにかかわるし、コンプライアンス意識が問われるから、まっとうな企業なら配慮は必須だ。

赤十字社はましてや日本赤十字社法による認可法人であり、公共性はじゅうぶん高いのだから、今回の事態は遺憾だ。上述の手引きやガイドラインは考慮されていなかったのかなどこの広告を出すに至った経緯を検証し今後の改善を図ってもらいたい。あわせて一般の企業も、広報にあたってはこうした観点からのジェンダーチェックを事前に行うことを常識化していただきたいものだ。

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「個人の気持ち」の問題なのか?

これで「話は終わり」のはずなのだが、実際はそう簡単にはいっていない。まず問題を指摘された当の赤十字社は、「漫画ファンの若い人向けに作った」とコメントしているが(10月30日付、朝日新聞デジタル)事実として誰もが目にする場所に掲示されていたわけだから、少なくとも「それなのに設置場所について不注意であった」と反省すべきだろう。

このキャラとコラボするにしても、もっと穏当な絵柄をポスターにして、「献血していただいたファンの方には特製クリアファイルを差し上げます」とでも書いておけば想定のファンには意図はちゃんと伝わっただろう。

この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士や評論家と称する人たちにさえ「個人の気持ちの問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ。

またこれは表現の自由に属する問題でもない。いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるわけがない。「エロい」画像を子どもを含めた一般の人々が目にする場所に掲げていいというのは、さすがにモラルに悖(もと)ると考えないのだろうか(なお、あの絵を「エロい」と思うほうがおかしい、たかが絵にすぎない、といった「反論」もあったのだが、さすがにそれは無理筋なのでここで触れる必要はないだろう)。

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「女性差別」がわからない

彼らは条約や基本計画、ガイドライン等に無知なのだろうか。その疑いは捨てきれないが、しかし多くは「確信犯」なのだろう。たかがポスターが女性差別のわけがない、こういうのは一部の女たちの勝手な言い草、だいたい女性差別撤廃条約とか基本法とか自分は賛同した覚えもない、そんなものを強制するな。…彼らの思いはこんなところなのではないか。

そういう人たちに考えてみてほしい。

物心つく前から、街頭で目にするポスター、本屋やコンビニの店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的なポーズを取り男性の欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥な言葉を浴びせられる。学校の先生や男子たちから体つきについてからかいや嘲笑を浴びる…。

日本で普通に生きていてこんな体験をしたことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方そのものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから、自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約や基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ。

あのポスターが女性差別のわけがないと言う男性は、こうした女性たちのリアルを知らずに生きてきただろう。しかしすでに、これまでの「人権」の考え方に女性の視点を入れることで「何が人権侵害なのか」「差別なのか」は変化し豊かになった。それが条約やガイドラインの文言に現れているのだ。

この流れはもう止まることはないし、今回の件含め、女性を不当に扱う表現や行為に「それはおかしい」という女性たちの声がSNS上で大きく上がるようになってきた。女性たちは間違いなく進化している。このことをしっかりと受け止めてほしい。

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萌え絵ポスターと下着広告

フェミニズムは女性への性的搾取を厳しく批判するとともに、女性の性的主体性の回復性の自己決定を主張してきた。

この二つは表裏一体なのだが、これを「矛盾」「ダブルスタンダード」と受け取る向きもあることが今回の騒ぎの中であらためてわかった。その典型が、女性用下着を身につけた広告ポスターを件のポスターと並べ、「どこが違うんだ」と怒っているものだ。

女性が肌の露出の多い衣服を着たりすることは、かつては「女のくせに恥かしい」「たしなみが無い」と非難され、「ちゃんとした」格好をするよう少女のころから女性たちはしつけられてきた。これは女性の身体を勝手に性的にまなざすがゆえのことにほかならず、女性から性的主体性を奪ってきた。

女性が自らの身体を愛し、可愛かったりかっこよかったりする下着を凛とした表情で身につけて堂々としているポスターはまさに女性の性の主体性の回復だ。これがくだんの献血ポスターと同じに見えるとは、そんな区別もつかないのかと呆れたくなるが、「女性身体=性的」、「性にかかわる批判=保守反動」という思い込みが今も日本の社会には少なからずあるようだ。

それにどうも、ある年齢以上の男性たちには、肌の露出が多かったり性的刺激が強いほうが解放的で進歩的、というような錯覚や誤解がありはしないか。

この手の炎上が繰り返されるのを見ていると、自治体や企業のお偉いさんが、内心はちょっといかがなものか、と思いつつも、堅苦しい年寄りだと見られたくなくて、若い世代のCMプランナーや社員のアイディアに「いまどきこれくらいやらなくっちゃね」と調子を合わせて追従しておられるのではないかという気がする。

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21世紀のノウハウ

でも、まだ時代は過渡期、NGか否かの区別がつきにくい男性たちもおられることだろう。そういう方々に申したいのは、「身についた感覚は簡単に変わらなくとも、知識や認識は新たに学べる」ということだ。

老若問わず、女性の身体や性にかかわることがすべて「エロい」「恥ずかしい」と感じさせられてきた人々が、下着広告ポスターどころか女性下着そのものや生理用品さえ「エロい」と感じてしまったり、女性にとっては普通の服装なのに「胸元が開きすぎ、スカートが短すぎ、エロい」などと思ったりするのもやむを得ないと言えなくはなかろう。

でも、反射的にそう思うとしても、態度や口には出さないこと!それらはあくまで女性の日用品、当たり前の服装。30年前はともかく、そういうものを性的・恥ずかしいと感じる時代はもう終わっているのだと認識のバージョンアップをし、内心は表に出さず普通に振舞ってください。

それを続けていれば、同僚や友人女性たちを一人の「人間」として尊重する態度が自然と身につき、「性的」の意味の区別もつくようになるはず。

そうやって認識のバージョンチェンジをしてみれば、街角のあちこち、電車の吊り広告やスポーツ新聞に溢れる、過剰な女性の性的イメージや、男はいつでもセックスしたがっているといわんばかりの表現に、違和を感じるようになっていくでしょう。

それが21世紀を生きる現代人のスマートな感覚だと思います。

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