推しの力は鉄道すら動かす。JR東海「声優新幹線」にみる大企業の新事業垂直立ち上げ 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第114回
JR東海の株主向け事業報告の第一ページに「推し旅」の文字が輝く。売上1.7兆円、営業利益0.6兆円。こんな巨大企業が遂に「推し」やエンタメをピックアップするようになったのか、と感無量な気持ちもあるが、本来こうしたインフラ企業のなかでそんな新規事業が立ち上がることも稀である。JTC(Japanese Traditional Company)のなかでもより歴史の古い鉄道会社で、どうやってこの「推しの新規事業」に至ったのか。それにはコロナという非常事態、社内でたった2人から始まった新規事業、貢献を惜しまない協力者たちの姿があり、2021~23年の血と涙がにじむような苦労があった。行政、地方自治体、広告代理店、こうした昭和のビジネスモデルからTransformしたJR東海の新規事業「推し旅」について、その立ち上げ役となった大江紀洋氏・福井一貴氏に話を伺った。
【目次】
■JR東海に起きた“異変"、時速285kmで動く1000名のライブ会場「声優新幹線」
■すべてはももクロからはじまった。2018年、最初は一発屋企画だった「推し旅」
■毎日40万人、日本トップ級の交通量路線では苦労しても全体の0.2%。コロナで急転した会社のマーケティング
■着地開発の限界点、“自由と特別の折衷案"としてVoiStockと発明した「推し旅ボイス」
■1→5→15名と増えていった社内新規事業。鍵は「五等分」「マケイン」「あんスタ」
■プロジェクトは「誰とやるか」がすべて。徹底した数値化と情熱ある外部個人が成功要因
■製作委員会への入り込み方:「型」の完成と動かないものを動かすための秘訣
■地方自治体、観光協会地方創生、地域観光とIPはどう組んでいくべきか
■大企業を動かして新規事業を作る転換点、永続する事業部の作り方
■JR東海に起きた“異変"、時速285kmで動く1000名のライブ会場「声優新幹線」
――:お二人の自己紹介からお願いします。
大江:東海旅客鉄道で営業本部マーケティンググループにおります大江紀洋(おおえ のりひろ)と申します。2000年に新卒入社しまして、2016年に営業本部観光開発グループに配属になって、それ以来ずっと新幹線のご利用を増やす仕事をしています。はじめは「そうだ 京都、行こう。」など既存の観光キャンペーンの改善、拡張が中心でしたが、コロナ禍をきっかけに「ずらし旅」「推し旅」といった新しいコンセプトを打ち出して具現化していくようになります。2023年からはマーケティンググループ専任になって、裏方的な立場から営業本部の販売系グループ全体の仮説立案・効果検証サイクルの構築に取り組んでいます。
福井:同じく営業本部需要創出グループ(筆者注:現在は総合企画本部に異動)の福井一貴です。2008年に新卒入社した後、新幹線の販売促進や在来線システム管理などにかかわりながら、ある時には航空会社に出向し国内路線の運航計画に携わってきました。2021年から大江の元でアフターコロナに向けた新たな収益源を創る業務に着手し、2022年からは「推し旅」の主担当になりました。
――:今回は「声優グランプリ」創刊30周年で幕張メッセ「声グラ FES.」にあわせて大阪→東京までの“声優新幹線"を2024年11月30日12時便に中山も乗らせていただいて、インタビューをしております。
大江:1車両ではなく、1300人乗れる「のぞみ」の1列車まるまるが専用車両。新大阪駅から東京駅までの2時間30分で、実際に車両内を声優さんたちが練り歩いたり、新幹線の車内放送で限定トークを展開したり、と世界の鉄道史上でもあまり例のない取り組みだと思います。
――:これまでもこうした「推し」を使ったビジネスをJR東海さんはやられてきたんですか?
福井:「推し旅」というキャンペーンを始めたのは2021年11月ですが、2023年度の案件数は50件、2024年度は100件と、このところ急激に増えています。なかでも「新幹線の中で推しのボイスが聞ける」という形が「推し旅」の中核になってきていますね。
大江:そんな中でかねてから「推し旅」にいろいろご協力いただいているイマジカ・インフォスさんの『声優グランプリ』さんのおかげで、石飛恵里花さん、久保田未夢さん、田中ちえ美さん、中島由貴さん、岬なこさんの5人の声優とファンたちだけで新幹線を貸し切ってしまうという夢のようなプロジェクトに漕ぎつけました。弊社営業本部の法人営業グループでは、2022年12月から新幹線車両を号車単位で貸し切ってオリジナルイベントが実施できる「貸切車両パッケージ」という事業を立ち上げたんですが、「推し旅」と「貸切車両パッケージ」ってコロナ禍からもう一度新幹線を元気にしていくための両輪だったので、この2つのコンセプトが今回の「声優新幹線」でドッキングしたというのが僕にとっては感無量でした。新幹線1編成全体がそのままライブステージ会場のようになり、2時間30分が「移動」ではなく「体験」するためのものになった、というのが画期的すぎます。
▲12時発の「団体360」は見慣れない表記で「団体専用列車です。一般のお客様はご乗車いただけません」となっていた。
▲10分程度の限られた乗車時間に、一般のお客さんが乗らないようにチケット整理しながらのせていくのはオペレーション難易度が高い
――:JR東海が“おかしくなっている"、という褒め言葉?を聞きつけて、今回ぜひこの取り組みを取材したいと思いました。JR東海の株主総会の事業報告書の1ページ目にいきなり「推し旅」の話が載っているんですよね。え、JR東海ってそんな会社なの!?って。
大江:「頭おかしい」は私にとって間違いなく誉め言葉です(笑)。「推し旅」って始めたときは福井くん一人しかいない「1人プロジェクト」ですからね。それが今やIRにも載せてもらえるようになって…それをご覧になっている株主様にどこまで評価していただけてるのかはわかりませんけど(笑)。社長の丹羽も折に触れ「推し旅」に言及してくれてまして。2024年6月にテレビ東京のカンブリア宮殿に出演したときなんかは、「推し旅」がまあまあなメインになってて、慄きました。
“お堅い会社"からの脱却 JR東海 大改革の裏側
https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/cambria/vod/post_298612
福井:こちらに掲載されてるのは、カプコンさんが40周年記念のタイミングで『モンスターハンター20周年』や『ストリートファイター6』などのカプコンを代表する作品とのコラボ企画をやったもので、新幹線内での100問クイズを出したり、旅先でポイントをあつめて景品がもらえるキャンペーン、旅先のカプコンショップでも連動イベントが動き、大盛況だった事例が取り上げて頂きました。
――:まさに今一緒に新幹線でインタビューさせていただきながら、この後の『声優グランプリ』での幕張メッセへ向かっております笑。
■すべてはももクロからはじまった。2018年、最初は一発屋企画だった「推し旅」
――:この「推し旅」というコンセプトにはどんなふうにたどり着いたんですか?
大江:最初の最初の原型は、2018年7月17日の「ももクロ新幹線」です。当時は関西・中部地方から首都圏にお客様を送客する「トーキョーブックマーク」という観光キャンペーンをやっていたのですが、その担当者が新しいこと、面白いことはどんどんやりたいという超エネルギッシュな若手社員で、ももクロと東京スカイツリーをつなげよう!となったんです。
ちょうどももいろクローバーZ結成10周年を記念して「ソラクロ祭 ももクロ in トーキョースカイツリー」というイベントをやるという話を聞きつけ、JR東海として間をつなぐので関西・中部地方からもももクロファン「モノノフ」を東京に送り込む企画をやろう、その象徴として「貸切新幹線」をやろう!と発案しました。スカイツリーさんと盛り上がり、スターダストさんもいいね!と言ってくださって。イベント初日にあわせて約1000名の「モノノフ」たちが東京駅到着、そのままスカイツリーまで足を運んでいただき、展望デッキや天望回廊でももクロの特別映像を鑑賞するなど「ソラクロ祭」の初日を大いに楽しんでいただきました。
――:結果はどうだったんですか?
大江:お客さんからは大変評判がよかったんです。スカイツリーさんも喜んでくれて。でも・・・社内は大変だったんですよね。コロナ前の2018年、新幹線の輸送量は絶好調で、正直こうしたことをしなくても新幹線は混雑していました。皆が大量のお客様をどう効率的にお運びするかということに集中していた時期に、この1000人のお客様だけを特別におもてなしするオペレーションを追加することに対しての風当たりは非常に厳しかったんです。発売直後のアクセス集中をどうしのぐ、改札の混乱を避けるために新大阪駅に受付を別に作る、駅構内の導線をどうするなど、表に出ないところにたくさんの工数が発生し、いろんな現場にめちゃくちゃ迷惑をかけました。プロジェクトとしても正直コストを回収しきれなかったです。
――:確かに。それは仕方ないですよね。日本で最も高収益な路線ですし・・・
大江:さまざまな練習などもしなければいけなかったですし、「この1車両を特別にするための苦労」には正直見合わなかった、というのが経営的な評価だったんじゃないかと思います。当時の上司にも「ほらな」と言われましたね・・・。2018年9~11月にやった、京都国立博物館の特別展「京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」をフックにした刀剣乱舞さんとのコラボも、お客様にはとても喜んでいただいたんですが、経営的には同じような評価で、こういった取り組みは単発で終わってしまった格好です。
ただ、僕はこの時の感動が忘れられなかったんですよね…。お客様の笑顔はもちろんですが、たとえば、新大阪に入線してきたももクロ新幹線はピカピカの新車だったんです。事実は検証してないからわからないですけど、たぶん現場の方がこっそり配慮してくれたんじゃないかなと。乗務員もとてもうれしそうに話しかけてきてくれたんですよね。なので、現場の社員も含め、実際は喜んでくれてた人がそれなりにいたんじゃないかなと。
■毎日40万人、日本トップ級の交通量路線では苦労しても全体の0.2%。コロナで急転した会社のマーケティング
――:年間1.7億人の輸送人員を誇る東海道新幹線を運営する「JR東海」という会社からすると、オペレーションを新しくするって相当チャレンジなことなのですね。
大江:2018年は事業も絶好調でしたからね。正直アイドルグループをいれて乗客を乗せながらコンテンツを提供していって、1000人が満足してくれたといっても日々の輸送人員40万人/日の0.2~0.3%、数字だけみると「余計なことするな」という反応になるのも分からなくはないんです。
当時は特別なオペレーションになることそのものが忌避されていた時代でした。でもそれが、2020年にコロナ禍で急激に変わるんです。
――:交通・宿泊系のサービスやっている方には2020年4月の緊急事態宣言から始まるこの3-4年は地獄のような状態でしたよね。
大江:はい、2020年4月は対前年9割減でした。お客様が1人も乗ってない車両を目の当たりにして、全社員が衝撃を受けたと思います。普段からお客様を増やすのがミッションである営業本部としては、コロナ禍でもどうにかしてお客様を戻す取組みをするしかない。
僕が思い出したのはももクロ新幹線の企画です。推しをもっているファンの人たちの熱量は消えていないはず。「彼らが移動できる口実を作ろう」と思ったんです。最初にやったのが2021年11月に「馬主ならぬ“象主"に」という企画です。コロナで経営が厳しくなった業態は我々も含めていろいろありましたが、動物園や水族館もそのひとつです。JR東海として何か手助けはできないかと思って、豊橋総合動物植物公園「のんほいパーク」というところと組んで、「1年間限定で象主になれる」という権利を6頭限定で売ったんです。1年間何度でも入園できて、VIP待遇していただける。その象徴が「象の足の裏を洗うことができる!」といううたい文句でした。足の裏って、象の飼育のなかでは最上級の名誉仕事なんですって。
――:え笑、それ本当に人が来るんですか?
大江:好きな人は好きなんです。結果は応募倍率はなんと7倍超でした。たった6人とはいえ、顔の見えるお客さんが象と直接触れ合いその動物園との特別な結びつきをつくる、そういったものをJR東海が支援してもいいじゃないか!「顔のみえない何万人より、顔のみえる6人」と思って、事業提案しましたね。
――:ももクロの「1000人」でも不十分だったのに、「6人」というのはさすがに・・・
大江:役員説明した上司によると、プレゼンで会議室に沈黙が流れたそうです。「6人・・・?」と皆が絶句したと。1日40万人運んできた我々は、今こんなことまでしないといけないほどにヒドイのか、という感じでしょうかね。でも、のんほいパークの方々も、実際に足を運んでいただいた6人のお客様にも、本当に喜んでいただきました。イチゲンさんをたくさん、ではなく、何度も足を運んでくださる少数の常連さんを大事にする。大量輸送機関としての鉄道に携わっていると、この発想は、頭ではわかっても身体が動かないんです。でも、「推し旅」は間違いなくこの発想に基づくものです。コロナという緊急事態がなければ「推し旅」のような特別な動きはJR東海では起こりえなかったと思います。
■着地開発の限界点、“自由と特別の折衷案"としてVoiStockと発明した「推し旅ボイス」
――:2021年、他にはどんなプロジェクトを進めたんですか?
福井:象の企画と並行して2021年11月には7ORDER(2019年5月に活動を開始した元ジャニーズ事務所の6人組のボーイズグループ)と「推し旅UPDATE」というキャンペーンをやりました。Webページでは「象」と「日本酒」と「7ORDER」が並んでいて、一体何のキャンペーンなんだと思われるような作りになってしまっていました笑。
「絶対にコロナを発生させないコンサート」として、新幹線から移動のバスまで全部貸し切り。参加前と参加後で全員コロナ検査、席では会話なし食事なしを徹底して。東京五輪の「バブル方式」を完璧にした感じの、大赤字の大出血コンサート事業です。ここまでやったらコンサートも復活できるでしょ、というかなりチャレンジングなやり方でした。あの時期に芸能系でこうした「旅に出よう」というキャンペーンにのっていただける事務所さんってまずなかったんですよ。だからそこに勇気をもって手を組んでくれた7ORDERさんにはすごく感謝しています。
――:そうか、日本の緊急事態宣言は2020年4-5月、2021年1-3月と4-9月と3つのウェーブになっていましたが、まさにその真っ最中に「推し旅」として企画が立ち上がっていたんですね!?
大江:まだ「推し旅」というワードには突き当っていない時期ですね。我々には観光キャンペーンなどの仕事を通じて、「着地開発」という表現を使っていましたが、旅の行き先を作る仕事にはある程度経験値がありました。でも「推し」の方にとって、作品の聖地でもない限り、ここに行きたい、ここでなければならない、という着地はないんですよね。例えばコンサート会場なら日本全国にあって、ここじゃなきゃいけないというのがあるわけではないですよね。着地開発とエンタメを結びつけることはできないか、といろいろ動いてはいましたが、なかなかスムーズにまとまりませんでした。
福井:象企画と7ORDER企画から、しばらくの間はとん挫していました。2022年に入って色々な企業にコラボ提案しても、正直ほとんどが門前払いでしたね。一緒にキャンペーンをして「安全に移動する人を増やしましょう」「熱量を復活させましょう」といって、もうそれこそ名前をあげれば誰もが知っているようなアニメ会社、ゲーム会社、ライブ演劇会社など10社、20社と足を運びましたが・・・、本当になしのつぶて。
はじめてブレークスルーできた事例が2022年5月の劇場版アニメ『五等分の花嫁』とのコラボですね。弊社のグループ会社の東京ステーション開発経由で、同社が管理する東京駅の東京キャラクターストリートで催事をしている会社を紹介いただき、その会社の担当者を通じて着地開発としてなんとか理由付けを作って名古屋港水族館さまとつなげました。これをきっかけに、コロナ以前までは手間が大変などの理由から必ずしも前向きでなかった施設さんでも、コロナ禍ということもあって非常に協力的にコラボに向き合ってくれる事例が少しずつ出てきました。
――:2021~22年、旅行・観光産業が全員等しくダメージが大きかったために、イレギュラーなことに手間暇おしまず頑張れた、というのがあるんですね。
福井:JR東海側も実質の工数は私一人なのでやれることに限りはありましたけどね。着地の施設さんを組み込んだ旅行商品がすぐ売れるわけではないですし、コラボするIPと、着地点の企業、移動を仲介するJR東海、3社がそれなりに本気になって取り組まないと、ファンも喜ばないですし、結果も出ませんよね。それで「着地開発だけに依存するモデルは難しいな…」と突き当りを感じるタイミングでもあったんです。
大江:そのころなんですよ。22年秋にVoiStockさんと飲んでいて、新しいモデルを発見するんです。
――:この「推し旅」は2年前に中山も取材した、12万種類の声優ボイスを扱う事業をしているSingaporeのVoiStockさんと一緒にやられているんですよね。
大江:VoiStock福井陽孝さんとは、彼が創業した㈱コム時代にJR東海の採用サイトをつくっていただいていたところからの関係で、もう四半世紀の付き合いなんですよね。僕もやさぐれてて「動物園の象さんを応援する事業とかやってるんですよ。なんだってやりますってあちこち駆けずり回ってます。でもなかなか協力先が見つからないし、仕上がってたとしてもそんな簡単にお客さんが集まらないし、その先のスケールなんて全く見えなくて…」と話してたら、福井さんとサンチルさん2人がものすごく楽しそうに僕の話を聞いてくださって。真剣な顔をして、「それだったら声、やってみませんか?」って。
彼らは声優の声を扱うビジネスを『声優グランプリ』のイマジカインフォスさんとやられていて、声優さんやキャラクターの声のパワーを知っている。そう言われるとそんな感じの“推し"の方々をあちこちで見た気もする。何度もブレストしていくうちに、新幹線の中だけで聞けるボイスを新幹線内限定コンテンツとして作ってみたらどうだろう!?って話になったんですよね。
――:あれは発明でしたよね。僕も2023~24年の関西への移動中、何度か使わせていただいてます。
大江:新幹線で東京~大阪の2時間30分って本当は「自分の好きなタイミングで行きたい」ものじゃないですか?なんぼいいコンテンツがあったとしても、全員が12時に集合して一つの列車に集合して遅刻もできないというのはお客様にとっても拘束が強い。こちらも毎日そんなイベントができるようなリソースはない。そうした中で「自由と特別の折衷案」として、新幹線の中でしか聞けない声「推し旅ボイス」が始まったんです。
高速移動をしている新幹線の中でしか作動しない「新幹線の中だけで聞けるオリジナルコンテンツ」というのは、僕にとっては完全に想定の枠外のアイデアでしたね。音声って、完全にデジタルなコンテンツで、収録も事前にできますし、現場のオペレーションを複雑にするようなこともないですし、アジャイルに立ち上がるんですよね。そのうえデータがとれるので、何人が実際に使っているかも計測できる。画期的ですよね。
――:そうなんですよね。車とか別の手段で移動していると作動しないのでハックもできない。これは誰が運営しているんですか?
大江:VoiStock、というかサンチルさんを中心とした数人ですかね。いままで150くらいのコンテンツを作ってきましたが、100くらいまでのところは全部彼が動かしてきたんじゃないかと思います。20くらいのコンテンツが同時並行で走ったりしますから大変です。
最近はVoiStockさんも推し旅に関わる人数をかなり増やされて、スタッフの方が1日何往復しながらデバッグ(全コンテンツが想定通りに作動するかどうかを実機を使ってその場で確認)して、おかしいところがあればエンジニアチームに伝えてその場で修正してもらう、みたいなとんでもないオペレーションをして安定稼働させてくれています。VoiStockさんのようなベンチャー企業でなければ、実現できないでしょうね。
――:VoiStockとJR東海さんではどう役割分担をしているんですか?
大江:システム面は基本全部VoiStockさんです。IPさんや事務所さん、着地施設との交渉、プロジェクトの設計から実行といったマネジメントはJR東海ですね。
▲大江紀洋氏
■1→5→15名と増えていった社内新規事業。鍵は「五等分」「マケイン」「あんスタ」
――:私も大企業で新規事業を開発する、というのを何度もやっているんですが、大きい会社であればあるほど、なかなか数字がみえていない段階で「人を張る」ところが難しいですよね。「推し旅」の事業部はJR東海の中でどうやって人を増やしていったんですか?
大江:おっしゃる通りで立ち上げでは全然人がつきませんでしたよ。2022年6月まではずっと、社内でフルコミットしているのは福井くん1人だけで、管理職の僕は0.3人月くらいの兼任なので、ほぼ「ひとりプロジェクト」状態でした。22年7月からは懇意の広告代理店から出向してもらうなんて形も含めて、部内でなんとか集めて5人の部署に。数字にようやくなってきたのは2023年だったと思いますが、ここで計画値も大きくぶち上げて、24年7月からはなんと15人に増員となりました。基本的に人員といえば効率化だったJR東海でここまで一気に人を張った例は結構珍しいんじゃないですかね。
――:じゃあ、2022~23年あたりが一番苦しかったですね。案件数も2021年1件→2022年数件→2023年度50件と増えて、2024年度は100件みたいな状況ですよね?
福井:幸い?なことに、僕は2022年から出向していただいたその代理店の方にめちゃめちゃ大きな影響を受けたんです。代理店の中でも目立った、すごく特殊な人で(笑)。「福井さんは、なんのためにこの推し旅をやってるのか」って何回も質問してくるんですよ。自分の言葉でしゃべらないと、聞いてすらもらえない。左見て右見て、この辺かな…とかやってると、ついてきてくれない。動かなくなっちゃうんですよ。僕ははじめてそんな人に出会って。世の中で自分を表現するためには。。。と初めて考えた時でした。
組織のためとかそんな曖昧な表現や考え方ではなく、「自分がやるべきと考える」事業とは・・・自己実現のために何をすべきか・・・、人を食ってでも成果を出すことにコミットしているその方から、毎日のように千本ノックで鍛えられて、自然と「個人の力で設計していく(絵を描いていく)」術を学んだかもしれませんし、主語が常に自分になったかもしれません。そのころから、「どうしたらいいですかね」と大江さんに聞きにいくこともなくなりました。
――:JR東海が「お客さん」だったのに、それはいい人を引きましたね。メンターのように、顧客のように、内部チームを鍛えてくれたんですね!!
福井:まさにそんな感じでした。ちょうどVoiStockの「推し旅ボイス」も形になってきて、2023年3月に自治体と連携した取り組みの試行として「マケイン(負けヒロインが多すぎる!)」でコラボしました。原作者雨森たきび氏の出身地ということもあったんですが、正直アニメ化前で「え、こんなラノベで大丈夫?」という声も多かったんですが…それが大流行しました。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2410/23/news197.html
アニメ化は2024年7-9月でしたので、その1年も前に見切り発車のコラボでした。
ちょうど同じころ2023年6月に「あんさんぶるスターズ!」とのコラボが進みます。これが「推し旅ボイス」の効果でもありました。版元さんも面白いといってくれて大きな盛り上がりとなって、2023年はその前の悶々とした2年間からすると「ブレークスルー」みたいな時期でしたね。
大江:このマケインあたりで私は異動しているんですが、それが地方自治体との提携案件のきっかけとなり、カプコンさん40周年との交渉が始まり、2023年末にようやくスイッチが入って、同じ豊橋で2024年4月に地方自治体も予算を付けてくれた大規模なコラボが実現しました。大型IPだと本当に交渉も含めて1年モノですね。
――:この15名の事業部ってビジネスの型、というか収益の柱は何になるんですか?
大江:ビジネスの型としてはやっぱり「行き先を作る(着地開発)」と「移動の中にもその推しの世界をつくる(移動の体験化)」の2つです。でも当初と違って、いろんな柔軟性をもって形にする力がついてきた。
「着地開発」のほうは、薬屋のひとりごと×薬師寺とか、現地で連動した企画ができるように施設側と交渉していきます。施設には季節による閑散期があるから、そのタイミングにキャンペーンを走らせて喜んでいただけるようにしたりしますね。「聖地巡礼」とも相性がよい話なのですが、それにむけてストーリーの番外編を書いてもらって販促物にしたり、観光への付加価値をつけるお手伝いをしたり、というのは結構な労力なので、どこまでやるかをよく見極める必要があります。
「移動の体験化」のほうは、前述のとおり、時間を決めて専用車両を出すモデルは“重すぎる"仕掛けですよね。年に何十回もできるようなものではない。ここで画期的発明になったものが「推し旅ボイス」でした。これで年100回みたいなとんでもない回数をこなせるようになるんです。
好きな人は往復して何度か聞いていたりしますし、実際にデータで取るとこの「推し旅ボイス」を理由に移動してくれた人数が数人、数十人じゃなくて、数百人・数千人単位になっていったりするんです。この2本柱の数字から社内的にはどの程度コストをかけるかを決めていくんです。
▲福井一貴氏
■プロジェクトは「誰とやるか」がすべて。徹底した数値化と情熱ある外部個人が成功要因
――:やっぱり数字はありきなんですね!?そうでないと年間100個も走らせられないですよね。
大江:そうなんです。きちんと数字はとってます。初期から比べるとケタが変わりました。この数字がなかったら「社内でもっと専属スタッフを充てるぞ」にはならないですよね。
――:鉄道とか不動産って皆、「昔から付き合っている広告代理店」がいるじゃないですか。先ほどの「特殊な出向者」みたいな例外もありますけど、こういうIPさがしたりコラボしたりって普通、そういうところに任せませんか?
大江:そうですね、それもコロナ禍がもたらしてくれたメリットかもしれません。地域開発にウン億円!みたいな、よくわからない制作費構造で代理店にマルっとお願いしちゃうって業界あるあるですよね(苦笑)。結果蓋をあけたら、2社・3社と間に入った会社のマージンがたくさん抜かれていて、地域開発に実際にどこまで「実費」がかけられたかというと結構不透明だったり。
JR東海は企画会社じゃないから、どんなコンテンツをもってくればいいのか発想して推進して協業を試みる、みたいな人材が勝手に育つわけじゃないんですよ。だから広告代理店など動きがよくて人が出せる会社さんに企画の中身はお任せしちゃってて、自分たちがやってることって煎じ詰めれば予算管理・・・みたいなことってどうしても起きがちなんですよね。でも「推し旅」ってまだ世の中にないものだし、鉄道会社がいったい何してくれるの?っていうのが初期段階ではIPさんからみても地域からみても明確ではない。JR東海の担当者が自分を主語にしてやりたいことをIPさんに語らないと誰も本気になってくれるわけがないから、この「推し旅」は基本的に直営スタイルでスタートしましたね。
――:1→5→15人という事業部の人員って、まさに事業規模に相関させるものですもんね。でもフィジカルな人の移動に関わるものって絶対的にはその効果とる数字を追うのは無理ですよね。数字はどうやって抽出するんですか?
大江:一般論として、販促イベントとかキャンペーンって、何が目的か、わかりにくいですよね。あんまり言っちゃいけないかもしれないけど(笑)。いろんな取組みに意味はあるはずなんだけど、人の移動という数字にすぐ直結するかというと、そんな簡単な話じゃない。そういうのが積みあがると、これは地域貢献だと言ってみたり、CI(コーポレートアイデンティティ)とかCSRなんじゃないかと考えてみたり、要するに儲かった粗利の販促費消化なんじゃないのと批判する人が出てきたり…。でも私はそういう不透明な状態だと新規事業は続かないと思っていたので、推し旅を立ち上げたころにいろいろなマーケティングに強い会社にヒアリングして回ったんです。捕捉できないKGIをどうやって数字化してKPIにしていくか、というようなことを。そこで例えば、それまでどうせアンケートでしょと思ってた市場調査がどれだけ大事か教えてもらうことになります。
かの有名な観光施設が毎日毎日お客様から直接アンケート調査してるの知ってます?対面でどこにいってどこで時間を過ごして何がよかったかって、ヒアリングしている。消費財の世界では、世界的なマーケ企業はどこも泥臭くカスタマーインサイトを拾い続けてることも知って。すごいな、マネしないとな、と。
――:なるほど!デジタルで無理なら強引にアナログを使ってでも数字は取りに行く、ということですね。
大江:会社は「かもしれない」だと1回は通せても2回は通らないんですよ。ももクロの時も「お客さんが喜んでいました」だと、その後が続かなかったように。誰もが納得するような共通言語で話せないといけなくて、そこまでいって初めてプロジェクトを直接見ていない人も含めた意思決定が動き出します。
見えにくい効果、インパクトを推論ベースでもいいからなんとか可視化する、というのはずっと気をつけていたことです。だから何人が推し旅を理由に乗客となってくれて、彼らが着地でどのくらい体験してくれているのか、ということは結構労力をかけて調べています。
――:あとすごく興味あるのはどうしてSingaporeにある声優ボイス事業をやっているVoiStockというベンチャー企業とやっているか、です。普通上場大手となると、関係するシステム会社があったり、もっと安定的で堅牢なシステムを作れ、みたいになりそうじゃないですか?
大江:アジャイルで毎週立ち上げていくのは間接的な関係では不可能です。各案件でJR東海の担当者と福井さん・サンチルさんの情熱が化学反応を起こして、触発しあうからうまくいくんです。クイズ入れたりボイス付きスタンプラリーしてみたり、声以外にも車内限定の映像や読み物といったコラボアイデアってどっちから出たかわからないときすらある。IPの版元さんの情報も福井さんが探して持ってきてくれた例もあります。毎回みんなでブレストしていて、企画はJR東海、システムはVoiStockという役割分担を超えてみんなが夢中になってやっている。彼らは待ちの姿勢なんて一切なくて、言われなくても徹夜してバグ直して問題がシューティングされていた、なんていうこともありました。そんなのを目の当たりにすると、途中から「よく使う代理店に頼んだら」とか「懇意にしているシステム会社でちゃんとした仕組みでいれたほうが」とかって声はいったん無視ですね笑。
外部の力・情熱のある個人とつながれたこと、社内でも福井という個人がたった一人で立ち上げの苦しいところを粘ってくれたこと。それがこのプロジェクトの成功要因ですね。
■製作委員会への入り込み方:「型」の完成と動かないものを動かすための秘訣
――:ただ2022年どこもなしのつぶて、とおっしゃってるなかで、2023~24年は何で動いたのでしょうか?アニメも製作委員会という特殊な構造で、新規参入するのにはハードルありますよね?
福井:最初は「製作委員会に入ってないとムリだよ」とか「タイアップしたいなら代理店を入れて」と色々な人から言われてましたね。その時からずっと思っていたのは「自分たちが業界にメリットを生み出せる存在になれば、決して不可能ではない」でした。初期は代理店でもなく、IPでも製作委員会でもなくて、実は物販系・デザイン会社とか一部のステークホルダーが一番協力してやってくれた、というのがありますね。彼らには我々と組むことによるメリットがあって、リアルな展開との相性が良かったのだと思います。
鉄道会社、着地となる沿線の観光施設、商品化企業の3社って、何一つ利害がコンフリクトしないんですよ。我々は新幹線移動を後押しする、施設には新たな送客がある、そこでグッズが売れる、3者それぞれにメリットがあって、この仕組みは新幹線を持つ我々にしかできないポジショニングで、我々はいわば皆にメリットを生み出す新たな概念の「代理店」じゃないかと。しかも我々はプロジェクトから直接的な収益をいただく立場ではない。
――:ホントそれはスゴイですね!?「金をとらない代理店」って最強のモデルじゃないですか!?
福井:ここに気づいたことで急激に「推し旅」プロジェクトは『型』になったんです。2023年10月くらいでしょうか。その後の営業が加速して、2024年度に100件の推し旅コラボ、そして「呪術廻戦」のような大型コラボにつながっていきました。
――:このパターンはたしかにみたことないですね!?製作委員会からしてもメリットしかないです。これは「新しい商流の開発」に近いですね。
福井:「移動」や「旅」という切り口は、どのプレーヤーとも被らなかったです笑。ただ、我々はあくまで「推しを楽しめるようなきっかけや体験をご提供する」という立ち位置で、その先に新幹線のご利用増があればいいなと。ファンの方々にとって大事な作品の世界観などを踏まえて、ファンが楽しめるものをご用意する。ファンにベネフィットがあって、それが「結果的に」副産物として我々にも利益が落ちる構造になる。それがIPの周辺で経済圏を作る、ということなんだと思います。
結果的に「世界観を完全につくる声優新幹線モデル」-「日常の中に推しの世界をわずかに作る推し旅ボイス」-「行った先での観光地コラボ」というそのIP、そのファンにあわせた機動性をもった「型」をつくることが出来ました。こういうのは代理店を通じて間接的にやっていたら絶対に気づけなかったポイントですね。自分たちで失敗しながら手をかけて経験したからこそ「発見」できたんです。大企業然として発注者としての立場を守ろうとしていたら実現しなかったと思います。
――:いや、これは画期的ですね。大企業、というか版権をもっている企業ほど「担当者が手を動かす」ことを嫌がるんですよね。社内人件費が高いんだから、とりあえず「業者を使えよ」と言われがちです。そしてそのままに「ノウハウが育たない」状態となる。
大江:うちも放っておくと「大企業然とした事業部」になりがちなんですよね。もともと発注の上流にいて提案を待っているだけで仕事が進むようなところもあるから。適当に発注している奴って必ず出てくるので「あかん!もっとこうやらな!」と指導みたいなことをいれながら、社内のチームの純度を上げ続けることも重要ですよね。
■地方自治体、観光協会地方創生、地域観光とIPはどう組んでいくべきか
――:「着地開発」をしてきた地元とゆかりの深いJR東海さんだからこそ聞いてみたいことがあります。私も地方創生でイベントに呼ばれたりするんですけ「地元の観光協会」が主導で“推しをつかって人を呼びたい!"といわれるんですけど、現場で見るとなかなかに厳しいなと思うことが多いです。
大江:地元に任せているだけではなかなか実現しないんじゃないかなと思います。特に観光は地方自治体と観光協会、代理店が昔から出来上がった誘致のパッケージ構造みたいないものがあって、しかも3者が3者ともゴールにしているものがけっこう違ったりするわけです。違うだけならまだしも誰も肝心のファンをちゃんと見てなかったりする。民間だけだったら「皆が儲かるかどうか」という当たり前のテーゼが先に立つからそれが皆を一つにしますよね。儲かる仕組みが一度できればいろんな主体も参画しやすくなってどんどん回っていたりする。逆に行政の支援金だけでまわっているプロジェクトだと儲けを気にせずにやっちゃうので継続も再現性も難しくなります。今回JR東海がIPコラボで着地開発と移動の体験化で成功した自治体や企業では、「次は自分たちのお金でやります」って発言も出てくるようになってきているんですよね。
――:行政が前に出過ぎるとKPIが曖昧になるんですよね…。「儲けてもいいけど、儲けすぎないで」とか「人がたくさんくればいいから」とかゴールのビジョンが人それぞれ。正直原画展など地方でやると、行政主催のものの売上って、民間の十分の一くらいになっちゃう。「我々は儲けるためにやっているわけじゃないから」ということがゴールをロスしてしまって、協力者たちが皆曖昧な動きになるんですよね。
大江:地方自治体、地元の観光協会、そこに小さな地場のお土産小売店までもが一体となって一つのIPをかつぎながら観光振興をするって、聞こえはいいのですがビジネスモデルとしては全然嚙み合ってないかもしれません。だからこちらで熱量をもった人間が主導して動かしていかないと実現が難しいです。
でも逆にいうと動き出した歯車に「地方自治体」が参画すると抜群に機能するケースがあります。“大義名分"のように全体のコンセンサスをつくって、協力者を増やしてくれるのは行政が一番うまかったりする。自治体の予算ありきでなくとも、オーソライズして風を送ってくれたら種火で小さな成功事例にみんなが集まってくるんです。
――:あ、そうか。「火種」は作れないけど。火に送風するみたいな機能としての行政が、結構貢献してくれるわけですね。
大江:ゼロイチは自治体主導だと起こりづらいですね。助成しすぎると育たない。でも、自治体が入ってくれないとできない動き、というのは確実にありますね。
――:JR東海はすでに「動いているビジネス」があるがゆえに、最初に予算が切れる強さがありますね。
大江:幸いJRは日々ビジネスが発生してますし、想定される収益から使える宣伝費というのも予算として既にある状態です。だから持ってる予算の一部をいったん回すと仕切ってしまえば、相手に依存せずに最初の立ち上げをつくることができる。
最初の立ち上がりのリソースを、見ず知らずでメリットがあるかもわからない人たちに集まってもらってそれぞれに捻出してもらって、とやるよりも、こちらで型を作ってしまって、これに協力したいというところはぜひ!と巻き込んでいく、という。
――:あとは単価という観点もありそうです。1人のお客さんの集客コストって結局1万円のテーマパークやコンサートならよいですが、数百円のグッズ買ってもらう、だとほとんど出せません。
大江:地域とIPの利害調整という意味ではJR東海の役割は重要だと思いました。これが1人300円、400円という単位のビジネスだと粗利も少なくて捻出できる最初の予算がない。でも私たちは持ってる予算からある程度最初のリスクをとることができる。とはいえ予算は有限ですし、リスクをとった引き換えに自分たちが何を得ようとしているのか、協業先の方々はどういう目線でそのプロジェクトを判断しているのか、といったことを見極める真の実力がないと活きたお金にはならないですが。。
IPとのコラボ事業って基本的には「調整」ですよね。そのリテラシーも含めたコストを地方できちっと払ってやっていこうという覚悟を決められるのは、1施設や1イベントだけでは難しいとは思います。
■大企業を動かして新規事業を作る転換点、永続する事業部の作り方
――:社内の評判が変わる転換点はあったんですか?
大江:2023年6月からの「あんスタ×JR東海」かもしれませんね。当時のボスが「あんスタってすごいらしいな。うちの娘がすごいって言ってたぞ!?」と言ってくれて、急に風向きが良くなりました(笑)。あんスタさんとはすでに第4弾までコラボを重ねるまでになってきました。ありがたいことです。
「推し旅ボイス」も軌道に乗って、実績としての数字もあがってくる。そうするとですね・・・社内の雰囲気がグッと変わってくるんですよね。それまではどっかで「あいつら、チャラチャラやってるけどなんか成果出してるのか?」とみてた人もきっといると思うんです。自分たちは日常オペレーションで頑張って売上を立てているのに、その利益を外に向かって色々使っているだけだろう、と。結局企業って「利益を生む部隊」にならないと、正式な意味で認められないんだと思うんです。
――:あとは版元の反応ですよね。コラボといっても決してて協力的なところばかりではないですよね。
大江:それはありますよね。ファンの動員力が強いIPであればあるほど、たしかにその制約もあって。我々も初めて学びましたけどIPの方からするとコラボって「第三次収入」なんですよね。第一次がアニメで、第二次がゲームや商品化、そして第三次がコラボ。
どこまでいっても第三次ですからね。ライセンス担当者レベルだと面倒くさいからと断られることも多いし、やる、となっても優先順位が高くないからなかなか返事が返ってこなかったりするんです。それはコロナ前に私自身が経験してきたことでもありました。だから、初期メンバーは本当に大変だったと思います。先方でわざわざ作ってくださった曲を使って…とか、こちら側で付加価値出そうと作りこんだガイドブック…とか、何か作るたびに、とんでもない監修工数を越えながらサービスを作っていくわけです。こちらのメンバーもみな倒れそうになりながら、最後の数日なんて目を血走らせて仕事をしているんですよね。逆にそういう「強いIP」と何度も組んでやっていくことで、チームが鍛えられました。
――:大企業で新規事業を作っていくときのコツって何かありますか?
大江:「型が見える」までが勝負ですよね。わかってくると今回はガイドブックはやめとこう、みたいにできますし、安定的に工数を管理しながらIPごとにできること、できないことを振り分けていけるようになりました。2023年から徐々にそうした熟練感がでてきて、2024年からスケール具合が強まった感じです。
――:大江さんが2018年の時に評価を受けなかったプロジェクトなのに2021、22、23年とここまで“粘れた"のはなぜなんですか?
大江:ももクロのときに、泣いているお客さんもいたんですよね。どんどん大ステージに出世していって、観客との距離は遠ざかるばかりだった。そうしたももクロがふっと自分に触れるかどうかみたいな距離感で車両の真ん中を颯爽と歩いたときに「路上でやってた昔のももクロが戻ってきたみたいだ」と泣いちゃうような。
それをもう一度実現したいと思ってやっていたら2023年9月にはなんと「新幹線プロセス」までやれるようになって。「移動の体験化」の一類型である貸切パッケージもかなり機動的にできるようになってきました。
――:「タレントとの距離感」は僕も驚きました。当然ですけど声優さんをこの距離でみるっていままで見たことないです。
大江:これは今後も課題ですよね。新幹線はそうはいっても交通手段ですので、通路と座席の距離はちょっと「近すぎる」んですよね。今回は行儀のよいお客さんばかりだったのでよかったですが、この接近距離で何が起こるかわかりませんもんね。
ももクロのときもそれが一番怖かったんですよ。でもあのプロデューサーの方(川上アキラ氏)、有名な方ですよね?「うちのファンは絶対大丈夫です」って言うんですよ。ご本人も車掌長という役職でアナウンスに登場していただいて。出発直後に「おまえら、いらんことするなよな?わかってるよな?!!」って車内放送してくださったら、みんなピシっとしてました(笑)。凄いですよね、ももクロのファンとアイドルたちの関係って。ファンダム経済圏ってこうやってできあがるんだなと目が開かれるような事例でした。
象主も7ORDERもぜんぶそうですね。大きな数字にまだなってなくても、すべてにお客さんの熱量がありました。これは、踏ん張れば、いつかなんとかなるぞ、と。
▲この距離感なので、ファンの熱狂度も高い
――:大江さんや福井さんはいままで何回か新規事業を立ち上げてきたんですか?またJR東海ってこういう動きが積極的な会社なんですか?
大江:とんでもない。これが初めてですよ。この「推し旅」が仕事人生25年のなかで初めて自分でつくった新規事業です。
でもすでにコロナ前のピークの1日40万人移動時代にもう戻ってきているんですよね。「もうええんちゃうか」とならないかって心配はあります。ただ今は結構安心できるところもあって、先ほどの数値化のように経済効果としても会社に利益貢献できているという自負もありますし、オペレーション側でも様々な知恵をつけてきているから、コストや労力をかけすぎて疲弊しないようにと効率化できるようにもなってきています。ほかの部署の負担になるような状態ではずっとは続かないですから。
――:今後この推し旅プロジェクトはどうなっていくのでしょうか?
大江:アニメやゲームのみならず、アーティストさんやVチューバ―さんとの取組みもどんどん形になって存在感が出てきてますし、2025年も面白い仕込みがいっぱいありますね。私は2023年からは違うグループに異動になっているので全部を把握しているわけではないですが、今の15人を今後30人規模にしていっても十分なくらいの企画案と結果は出していけるんじゃないかと思いますね。
福井:型をつくるところまでが勝負でしたが、今は今で「それに固執するとスケール化が難しくなる」というのも感じています。というところも含めて、この事業を起点に別の事業を生み出そう、というのが最近のテーマで、究極的には「推し旅」という名前を変えてもいい、ということくらいまで思い切った選択肢すらあると思ってます。
あと最近の一つの進化パターンとしては「作品」ではなく「企業単位」でのコラボ、というのがカプコンさんのコラボ案件で気づきました。今までは呪術、モンハンなど個々のコンテンツでみてきましたが、何度かやっていくうちに相性もみて企業さん企業間連携のようなパターンも考えていけたら。皆さんが驚くような“仕掛け"が次々登場するといいですよね。

中山淳雄エンタメ社会学者&Re entertainment社長
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場