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不思議と幸せ

小さな幸せ

2025-05-01から1ヶ月間の記事一覧

37 「身延川裏不二」(みのぶがわうらふじ) 本作品は山梨県南巨摩郡身延町を流れる富士川からの富士山の眺望を描いたとされています。 波打つような急流河川の側の山深い脇道を旅人や駕籠、馬子などが多数往来している点から、日蓮宗総本山である久遠寺近…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 37

36 「五百らかん寺さゞゐどう」(ごひゃくらかんじさざいどう) 本作品は三大禅宗のひとつ、黄檗宗が亀戸村に建立した寺院である五百羅漢寺堂内に寛保元年(1741年)に築かれたさざい堂(三匝堂)からの富士山の景観を描いたものです。 さざい堂は、その構…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 36

35 「隅田川関屋の里」(すみだがわせきやのさと) 本作品は東京都足立区千住曙町の京成関屋駅、牛田駅近辺に存在した村落、関屋の里からの富士山の景観を描いたものである。 菅笠を被り旅装束を纏った三人の武士が土手の上を馬で疾走する様子を切り取り、…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 35

1979年(昭和54年)、その小さな印刷会社を辞めた私ですが、その頃の私に一つの大きな精神的出会いがありました。それは、自分の人生における一人の師との出会いでした。人間存在という根本的な疑問に光を与えてくれたのです。玉光神社 宮司で 国際宗教・超…

はてなブックマーク - 自分史として3

8 <越後路> 酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲にのぞむ。遙々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関をこゆれば、越後の地に步行を改めて、越中の国市振の関にいたる。この間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりてりて事を…

はてなブックマーク - 「おくの細道」とともに  8

7 <立石寺> 山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、ことに清閑の地なり。一見すべきよし、人々のすすむるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだくれず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂に登…

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34 「東海道程ヶ谷」(とうかいどうほどがや) 本作品は東海道五十三次の宿場町である保土ヶ谷宿と戸塚宿の道程にある品野坂からの富士山の眺望を描いたものである。 富士山は片側の雪が解けており、晩春の時期を描いたものと考えられる。保土ヶ谷は武蔵国…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 34

33 「隠田の水車」(おんでんのすいしゃ) 隠田とは東京都渋谷区神宮前、いわゆる原宿を指す地域を指し、江戸時代においては渋谷川(穏田川)が流れる農村地帯でありました。 本作品では渋谷川から引き込んだ水流を利用した水車小屋の周りで洗い物をする女…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 33

32 「甲州三坂水面」(こうしゅうみさかのすいめん) 本作品は山梨県南都留郡富士河口湖町から山梨県笛吹市御坂町をつなぐ御坂峠を下った先の河口湖湖畔からの眺望を描いたものとされます。 画面中央にはうの島、妙法寺が描かれ、湖畔の集落である勝山村と…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 32

前回、21歳の自分はまだ泳ぐことが出来 なくて、泳げるようになったのはそれから数年たった頃です。と書きました。振り返って、23歳から25歳の3年間ほど、小金井市に住んでいた私は、小平市にあった小さな印刷所で働いていたのです。そこで働いていたG…

はてなブックマーク - 自分史として2

平凡な人生といえば言える人生でした。そんな私ですが、中学・高校時代は、自分だけの世界に閉じこもることが多かったように思います。自分だけの世界がなにかというと、マンガ本の世界で、昭和40年代は、少年サンデー・少年マガジン・少年キングの名前が…

はてなブックマーク - 自分史として 1

31 「相州箱根湖水」(そうしゅうはこねのこすい) 相州箱根湖水とは秋里籬島の名所図会『東海道名所図会』巻之五に登場する名称で、神奈川県足柄下郡箱根町にある芦ノ湖の別名です。 画面中央に大きく湖が描かれ、その湖畔には箱根神社と箱根駒ヶ岳が配置…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 31

30 「江都駿河町三井見世略図」 (えどするがちょうみついみせりゃくず) 駿河町とは現代の東京都中央区日本橋室町を指し、通りの正面に富士山が見える街並みから駿河国の名を冠した名が付けられました。 この地に呉服商として店を構えた三井越後屋(現三…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 30

29 「江戸日本橋」(えどにほんばし) 日本橋とは東京都中央区の日本橋川に架かる日本橋を指しており、江戸時代においては交通の要衝として賑わいを見せた地域です。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道という五街道の起点となっていた他、高札…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 29

6 <石巻> 十二日、平泉とこころざし、あねはの松・緖だえの橋など聞伝えて、人跡まれに、雉兎蒭蕘(ちとすうぜう)の行きかふ道そこともわかず、終に道ふみたがへて石の巻といふ湊に出づ。「こがね花咲く」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の…

はてなブックマーク - 「おくの細道」とともに    6

5 <宮城野> 名取川を渡つて仙台に入る。あやめふく日也。旅宿を求めて、四五日逗留す。 ここに画工加右衞門といふものあり、いささか心ある者と聞きて、知る人に成る。この者、年頃さだかならぬ名所を考へ置き侍ればとて、一日案內す。宮城野の萩茂りあひ…

はてなブックマーク - 「おくの細道」とともに 5

4 <しのぶの里> 明くれば、しのぶもぢ摺の石を尋ねて、忍の里に行く。遙か山陰の小里に石なかば土に埋れてあり。里のわらべの来たりて教へける。「昔はこの山の上に侍りしを、往来の人の麦草をあらして、この石を試みはべるをにくみて、この谷につき落せ…

はてなブックマーク - 「おくの細道」とともに 4

28 「相州江の嶌」(そうしゅうえのしま) 本作品は湘南海岸の東端、相模湾の沖合に浮かぶ江の島とそこから見える富士山の景観を描いており、干潮を待って砂州を渡って江の島と片瀬海岸を行き来する人々が表現されています。 島を俯瞰するように江の島の密…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 28

27 「東海道江尻田子の浦略図」 (とうかいどうえじりたごのうらりゃくず) 「駿州江尻」と同じく静岡県静岡市清水区に存在した東海道五十三次の宿場町である江尻宿をテーマとした一図であるとされています。 本図は、遠景には富士山とともに三保の松原と思…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 27

26 「御厩川岸より両国橋夕陽見」 (おんまやがしよりりょうごくばしせきようをみる) 御厩川岸とは、浅草三好町付近に存在した河岸を指し、現代でいう東京都台東区蔵前近辺の地域となります。 本図は、渡し船を手前に大きく据えて、長い竿を持った鳥刺し…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 26

「ペン画 1」 私が油絵を描いていたのは2001年頃までかな・・・・。私にとって油絵を描くことは、自分にとっての青春の証のようなものだったかも・・・・。それが、リタイア生活となり、三年が過ぎ、再びスケッチをするようになったこの頃です。時間がかかる…

はてなブックマーク - 私の絵画・ペン画  1

25 「礫川雪ノ且」(こいしかわゆきのあした) 画題の礫川とは東京都文京区の西側にあたる小石川台と小日向台の間を流れる小石川下流地域を指しており、見晴らしの良い茶店で雪見を楽しむ江戸の町民の姿が描かれています。 雪晴れの朝の美しさが描かれ、『…

はてなブックマーク - 葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 25
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