29 「見附・天竜川図」(静岡県磐田市) 天竜川は船渡しである。遠景近景の両方に大小の渡し船を配して遠近感を深めた単純な構図である。ここでも人物の背中に味わい深いものがあります。 にぎやかなはずの川越しの情景ですが、手前に描かれた二人の後ろ姿が…
鷹取山玄江院は、小諸市耳取にある曹洞宗の寺院です。日本人の多くは帰依する菩提寺を持ち、自らも檀信徒であり、仏教徒であるという自覚のもとに信仰生活や仏事を行ってきたのですが、近年、わが家の宗派を知らないという人も増えてきたようです。斯く言う…
28 「袋井・出茶屋ノ図」(静岡県袋井市) 宿場のはずれにある出茶屋である。わずかな木陰を利用し、簡単な葭簀がけである。店のおかみが火吹竹で火をおこす一方、駕籠かきは煙管を差し出して火を拝借。土手に腰掛けた旅人は、茶を所望し、立札にとまった鳥…
27 「掛川・秋葉山遠望」(静岡県掛川市) 季節は田植えの頃か。遠くの田んぼに菅笠の人々が姿を見せる。高く上がった凧が、画面の枠を突き破っているのは、現在のコミック風でもある。 凧揚げは、掛川周辺の名物です。糸が切れて吹き飛んでゆく凧も遠くに見…
宮沢賢治の童話を知っている、あるいは読んだことがある人は多いでしょう。が、宮沢賢治の詩を読んだことがある人は、少ないのではないでしょうか。 「雨ニモマケズ」の文は一般には詩として受容されているようですが、私は、詩とは受け取らず、メモとして残…
26 「日坂・左夜ノ中山」(静岡県掛川市) 道の真ん中に大きな丸石が転がっており、旅人が立ち止まって見ている。その昔、妊婦が山賊に襲われて殺され、その際産み落とした赤子を慕って、その母の魂のこもったこの石が夜泣きをしたと伝えられる「夜啼石」で…
25 「金谷・大井川・遠岸」(静岡県島田市) 大井川の西側は遠見国である。遠くに金谷の宿を眺める。ひときわ大きな輦台には、駕籠が載せられている。河原には、さまざまな休憩の姿が見え、のどかな景である。 遠江側の風景です。遠景に山々を描き、山腹に建…
ふるさと佐久市にある鼻顔稲荷神社(祭神は宇迦之御魂命・うかのみたまのみこと)は、日本五大稲荷の一つに数えられています。父親が信仰していたので、子供の頃、「初午祭」に連れていかれたことが想い出されます。もっとも、私が住む近くに小さなお稲荷さ…
24 「嶋田・大井川駿岸」(静岡県島田市) 大井川は、東海道第一の急流であり、徒渡し(歩いて渡ること)の最難所であった。河原で順番を待つ人々の姿が描かれる。駿岸は大井川の駿河(島田)側の岸のこと。 大井川は徒行渡ししか許されない、東海道屈指の難…
23 「藤枝・人馬継立」(静岡県藤枝市) 宿場で荷駄の引継をする人馬たちを、俯瞰してとらえている。帳面を広げ、役人に説明する人物の他は、荷の整理をしたり、休んだりとさまざまである。旅の途中の何でもない光景であろうが、こうしたつかの間の休息の時…
先日、次女が保育園見学のため市内の幾つかの保育園に行ったのです。そのうちの一つが自分が遥か昔に行った所だったのです。次女が、そのことを話すと、園長さんは、当時の卒園アルバムから、一枚の写真をコピーしてくれたのでした。 私は驚きでした。実際、…
22 「岡部・宇津之山」(静岡県藤枝市) 宇津山は、かつては在原業平が「つたかへでは茂りて、もの心細く」と書き記した淋しい山道で蔦の細道と呼ばれていた。後にひらかれた宇津谷峠をこえると岡部の宿がみえてくる。 宇津の谷峠の寂しい山道の描写です。坂…
21 「丸子・名物茶店」(静岡県静岡市駿河区) 名物「とろろ汁」を売り物にする店は現在でも繁盛しています。いかにものんびりとした景は、広重独特の俳句的な世界で、名作である。 藁ぶき屋根の茶店と丸みをおびた小高い山の姿と、茶店内の旅人がとろろ汁を…
3 「宗教と私」として書いてきて私は何を言いたかったのでしょう。 宗教とは、神や仏のような人間を超えた存在を信じるところからはじまるようですが、人間と神様が隔絶されていて、ただ神様や仏様を拝むだけでは、何か物足りなさを感じていた私です。 それ…
1 「宗教と私」として書いてみたいと思います。 概要として。 宗教の定義は、神や仏のような人間を超えた存在を信じ、それに伴う教義、儀式、組織、社会集団などを指す思想体系、またはその営み全般のことです。 日本語の「宗教」という言葉は、元々仏教の…
晴天の日でした。小諸城址懐古園に次女たちと紅葉を見に出かけました。小諸は自分の高校生活をおくった場所で、小海線での通学でした。懐古園内には、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料などが展示された藤村記念館があります。 島崎藤村の詩には『若菜集…
27 「東海道江尻田子の浦略図」(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず) 「駿州江尻」と同じく静岡県静岡市清水区に存在した東海道五十三次の宿場町である江尻宿をテーマとした一図であるとされています。 本図は、遠景には富士山とともに三保の松原と思…
26「御厩川岸より両国橋夕陽見」(おんまやがしよりりょうごくばしせきようをみる) 御厩川岸とは、浅草三好町付近に存在した河岸を指し、現代でいう東京都台東区蔵前近辺の地域となります。 本図は、渡し船を手前に大きく据えて、長い竿を持った鳥刺しや…
手塚治虫漫画というと、子供の頃、テレビで見たアニメ「鉄腕アトム」を思い出します。それから、中学・高校・社会人となり、「火の鳥」「ブラック・ジャック」などとの出会いがありました。私はブログに書きましたが、マイナーというか、個人的な日常のささ…
20 「府中・安倍川」(静岡県静岡市葵区) 府中は現在の静岡市の中心部。ここでは阿部川の輦台渡しを主題とし、例によって背景は自由に再構成している。広重の風景画は自由な筆使いが中心であるが、ことに女性となると、彼自身の美人画そのものであり、その…
19 「江尻・三保遠望」(静岡県静岡市清水区) 江尻は今の静岡市清水区。港と駿河湾に伸びる三保の松原を望む景である。遠方に見えるはずの箱根連山や伊豆半島の山々は描かずに海にしてしまっている。広々とした趣の図に仕立てるための広重のテクニックであ…
とある秋の日、公園にて・・・・。 ・スマホでの写真ですが、おのおの光と影の雰囲気が心地よく現れたのではと思う私です・・・・。最後の写真は、右の木陰から、かわいい幼児の女の子が走ってきて姿を現したところです・・・・。
私がカルマという言葉を耳にしたのはいつだろう。カルマとは古代インドの思想や仏教・ヒンドゥー教などに由来する言葉で、「行為(カルマ)」とその「結果」を指し、過去の行為が未来に影響を与えるという「因果応報の法則」を意味します。 ということは、前…
18 「興津・興津川」(静岡県静岡市清水区) 難所の薩埵峠を越えると、眺望の優れた場所に出る。この興津の宿の中心は清見寺であるが、ここでは道中の関取衆を描く。 二人の旅人が、駕籠と馬に乗って川を越しています。視点を低く取り、砂浜から水平線までを…
17 「由井・薩埵嶺」(静岡県静岡市清水区) 東名高速道路を東へ向かい薩埵トンネルを越えると、急に眺望が開け富士山がはっとするほど美しく見える。青く広がる駿河湾と富士山が、弓なりに続く海岸線をはさんで、ほどよいバランスを保って見えるこの場所は…
昨日は一日寒い日でした。すっかり、街路樹も秋模様です。先日、近くの公園に再び出かけました。 ・秋冷の候となり、朝・夕と寒さを覚えるようになりましたが、昼頃は、その冷気が心地よく感じられました。この散歩のとき、半そで姿は、次女だけでした・・・…
中山道(なかせんどう)は、江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸(現在の東京)の日本橋から京都(三条大橋)までを内陸経由で結んだ街道です。全長約530kmにわたる道中には「中山道六十九次」と呼ばれる69の宿場町が設けられ、当時の旅の重要な交通路…
16 「蒲原・夜之雪」(静岡県静岡市清水区) 富士川を渡って海岸沿いの街道を行くと蒲原である。ごく普通の宿場だが、雪の夜という設定の保永堂版の一図によって忘れられぬ場所となった。人物のわずかな色を除いて、モノクロームの世界。色のみならず、音ま…
15 「吉原・左富士」(静岡県富士市) 江戸から京に上るとき常に東海道の右に見える富士の姿が、このあたりでは「街道の左に富士が見える」と評判であった。「左富士」以外に、およそ何もなく単調に道が続く様子がよく表されている。馬の乗り方は「三宝荒神…
瞑想について、ヤーマ、ニヤーマについてなど書いてきましたが、日常生活のすべてが瞑想でもありますので、その日常生活において、忘れてはならないのが、超作ということなのです。 超作とは。玉光神社宮司であられた本山博先生の提唱した言葉のようです。人…
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