鷹取山玄江院は、小諸市耳取にある曹洞宗の寺院です。日本人の多くは帰依する菩提寺を持ち、自らも檀信徒であり、仏教徒であるという自覚のもとに信仰生活や仏事を行ってきたのですが、近年、わが家の宗派を知らないという人も増えてきたようです。斯く言う私自身、曹洞宗について、ほとんど知らなかったのです。
曹洞宗ですが、達磨さまによって開かれた禅宗が、洞山良价禅師によって曹洞宗となり、道元禅師により、日本曹洞宗として完成しました。曹洞宗の本尊はお釈迦さまです。そう、曹洞宗は、鎌倉時代に道元によって日本に伝えられた禅宗の一派で、坐禅を実践し、心身を整え、日々の生活全てを修行と捉える教えを基盤としています。
信徒である私ですが、先日、玄江院に行き、初めて座禅のやり方を教わりました。





山門

薬師堂







本堂






鐘突き堂






仁王様

・私はリタイア生活となり3年が過ぎました。気ままな日々ではありますが、古希を過ぎて、この歳になってようやくというか長い人生において初めて、「自分自身のこころを静かに見つめなおす」という、曹洞宗における座禅に出会いました。
朝の座禅でしたが、自分一人のために住職様がご指導くださり、有意義な貴重な時を過ごすことが出来ました。心身をリラックスして、静かに呼吸をし無に近づくということ。日々の座禅(瞑想)を通じて、日々の生活を新しい気持ちで過ごせるということ。
12月7日。自分の心に残る想い出の一日となりました・・・・。
<宗教と私 1・2>
宮沢賢治の童話を知っている、あるいは読んだことがある人は多いでしょう。が、宮沢賢治の詩を読んだことがある人は、少ないのではないでしょうか。
「雨ニモマケズ」の文は一般には詩として受容されているようですが、私は、詩とは受け取らず、メモとして残された言葉・文章として受け取っています。一般に、詩とは、文芸の一つの形態。人間生活・自然観察から得た感動を、一種のリズムをもつ形式で表したものとあります。
では、宮沢賢治の詩とはどのようなものなのでしょう。私自身、今回、改めて宮沢賢治の詩に向き合うことになったのです。宮沢賢治詩集『春と修羅』ですが、その序として、
わたくしという現象は 仮定された有機交電燈の ひとつの青い照明です
とあり、 ある手紙の中で、『春と修羅』も、それから今まで書きつけてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。ほんの粗硬な心象スケッチでしかありませんと言っているのです。ですが、私は、この心象スケッチと言われた詩こそ、今まで誰もが目にしたことがない宮沢賢治の詩であったのだと思うのです。
では、今まで誰もが書きえなかった、第四次延長のなかで主張された『春と修羅』の紹介です。

心象スケッチ『春と修羅』
「屈折率」
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへんおおきいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向うのちぢれた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のように
(またアラツデイン ランプとり)
いそがなければならないのか
「くらかけの雪」
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしゃぽしゃしたりくすんだりして
すこしもあてにならないので
ほんとうにそんな酵母のふうの
朧ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風な信仰です)
「日輪と太市」
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面を
どんどん浸してかけている
吹雪も光だしたので
太市は毛布の赤いズボンをはいた
「丘の幻惑」
ひとかけづつきれいにひかりながら
そらから雪はしづんでくる
電しんばしらの影のインディゴや
ぎらぎらの丘の照りかへし
あすこの農夫の合羽のはじが
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年代の
佐野喜の木版に相当する
野はらのはてのシベリヤの天末
土耳古玉製玲瓏のつぎ目も光り
(お日さまは
そらの遠くで白い火を
どしどしお焚きなさいます)
笹の雪が
燃え落ちる 燃え落ちる
「カーバイト倉庫」
まちなみのなつかしい灯とおもって
いそいでわたくしは雪と蛇紋岩との
山峡をでてきましたのに
これはカーバイトの倉庫の軒
すきとほってつめたい電燈です
(薄明どきのみぞれにぬれたのだから
巻煙草に一本火をつけるがいい)
これらのなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのではなく
またさびしいためからでもない
「コバルト山地」
コバルト山地の氷霧のなかで
あやしい朝の火が燃えています
毛無森のきり跡あたりの見当です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えています
「ぬすびと」
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
「恋と病熱」
けふはぼくのたましひは疾み
烏さへ正視ができない
あいつはちょうどいまごろから
つめたい青銅の病室で
透明薔薇の火に燃される
ほんとうに けれども妹よ
きょうはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
「春と修羅」
(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんのてんごく模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖はりの風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろとエーテルを吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろうの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまといおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
「春光呪咀」
いったいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつているか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
春は草穂に呆け
うつくしさは消えるぞ
(ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれっきりのことだ
(おおこのにがさ青さつめたさ)
「有明」
起伏の雪は
あかるい桃のしるをそそがれ
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天にのどを鳴らし
もいちど散乱のひかりを呑む
(波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶)
「谷」
ひかりの澱
三角ばたけのうしろ
かれ草層の上で
わたくしの見ましたのは
顔いっぱいに赤い点うち
硝子様鋼青のことばをつかって
しきりに歪み合ひながら
何か相談をやっていた
三人の妖女たちです
「陽ざしとかれくさ」
どこからかチーゼルが刺し
光パラフィンの 蒼いもや
わをかく わを描く からす
烏の軋り……からす器械……
(これはかはりますか)
(かはります)
(これはかはりますか)
(かはります)
(これはどうですか)
(かはりません)
(そんなら おい ここに
雲の棘をもつて来い はやく)
(いいえ かはります かはります)
………………………刺し
光パラフィンの蒼いもや
わをかく わを描く からす
からすの軋り……からす機関
「雲の信号」
ああいいな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光ついるし
山はぼんやり
岩頸だって岩鐘だって
みんな時間のないころのゆめをみているのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられていた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
「風景」
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
さつきはすなつちに廐肥をまぶし
(いま青ガラスの模型の底になっている)
ひばりのダムダム弾がいきなりそらに飛びだせば
風は青い喪神をふき
黄金の草 ゆするゆする
雲はたよりないカルボン酸
さくらが日に光るのはいなか風だ
「習作」
キンキン光る
すぱにあ製です
(つめくさ つめくさ)
こんな舶来の草地でなら
黒砂糖のやうな甘ったるい声で唄つてもいい
と また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ふくふくしてあたたかだ
よ 野ばらが咲いている 白い花
と 秋には熟したいちごにもなり
す 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ 立ちどまりたいが立ちどまらない
ば とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ みきは黒くて黒檀まがひ
の (あたまの奥のキンキン光って痛いもや)
手 このやぶはずいぶんよく据えつけられていると
か かんがへたのはすぐこの上だ
ら じつさい岩のやうに
こ 船のやうに
と 据えつけられていたのだから
り ……仕方ない
は ほうこの麦の間に何を播いたんだ
そ すぎなだ
ら すぎなを麦の間作ですか
へ つげさんが
と ひやかしに云つているやうな
ん そんな口調がちやんとひとり
で 私の中に棲んでいる
行 和賀のこんだ松並木のときだって
く そうだ
「休息」
そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
(上等の butter-cup ですが
牛酪バターよりは硫黄と蜜とです)
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴っている
(よしきりはなく なく
それにぐみの木だってあるのだ)
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあって
みんなぎらぎら湧いている
帽子をとって投げつければ黒いきのこしやっぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
このかれくさはやはらかだ
もう極上のクツシヨンだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨きな網の目になった
それが底びかりする鉱物板だ
よしきりはひっきりなしにやり
ひでりはパチパチ降ってくる
「おきなぐさ」
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛の質直
松とくるみは宙に立ち
(どこのくるみの木にも
いまみな金きんのあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやっぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲
「かはばた」
かはばたで鳥もいないし
(われわれのしよふ燕麦の種子は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつづけ
光のなかの二人の子
1922年5月17日
・心象スケッチ『春と修羅』は、大正11年(1922年)・12年(1923年)に書かれたようです。一世紀前に書かれた作品で、大正の時代に私は生まれていなかったので、実際のところ、この心象スケッチ『春と修羅』を、どれだけ理解できたかおぼつかないです。
でも、宮沢賢治が、そのように感じたこれらの作品は、そのとおりの心象スケッチであり、すべてこれらの命題は、心象や時間それ自身の性質として、第四次延長のなかで主張されます。

ふるさと佐久市にある鼻顔稲荷神社(祭神は宇迦之御魂命・うかのみたまのみこと)は、日本五大稲荷の一つに数えられています。父親が信仰していたので、子供の頃、「初午祭」に連れていかれたことが想い出されます。もっとも、私が住む近くに小さなお稲荷さんがありますので、キツネがたたずむお稲荷さんは身近に感じます。
その幼かった頃から、どのくらいがたったのでしょう。ふと、鼻顔稲荷神社と紅葉を見たくなり一人で出かけて見ました。この、11月10日の頃でした・・・・。









・幾重にも並ぶ朱色の鳥居と紅葉と落ち葉がなんとも言えぬ秋を演出しているようでした。帰り際、荻原井泉水と山頭火の句碑に出会いました。

空をあゆむ ろうろうと 月ひとり 荻原井泉水
浅間のむこうに 深い水を 汲みあげる 山頭火
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