Kindle版もあります。
やりがいか? 搾取か?
シニアワーカーの過酷な実態に迫る!年金だけでは暮らせず、働き続けざるを得ない高齢者が増えている。
とくに、大人になっても自立できない子どもを支える「終わらない子育て」が、シニアに厳しい労働を強いる要因の一つになっている。
背景には、個人と家族に過剰な負担が集中する社会構造がある。地域や共同体による支援が希薄になり、制度も十分に機能しない中で、高齢者は孤立しながら働き続けるしかない。
『副業おじさん』で話題を呼んだ労働ジャーナリストが、21人の高齢労働者に密着取材。やりがいと搾取の狭間で揺れる姿を通して、現代日本が抱える「見えにくい貧困」と「孤立の構造」に鋭く切り込む。
「働く高齢者」の実像に迫る、渾身のノンフィクション!
1970年代や80年代には、還暦である「60歳」で定年、というイメージがありました。
当時は子どもだった僕も、「そりゃ、60歳にもなったら、『働けない』から、あとは余生を盆栽とかいじったり、ゲートボールとかをやりながらのんびり過ごすのが当たり前」だと考えていたのです。
時は流れ、いまや、僕自身も50代。まだ身体は動くし、記憶力の低下は実感しているものの、なんとか働ける。すごく働きたい、というわけではないのだけれど、働かずに残りの人生を心配せずに暮らせるほどの蓄えは無いし、子どもたちの学費も必要です。
「生涯現役」と言えば聞こえは良いけれど、子どもの数が少なくなり、労働人口が減り、高齢化がすすんできている日本では、「高齢者が働けるまで働いて、病気や事故、体力の低下で働けなくなったら、ようやく労働から解放されて、自分が介護される立場になる」のです。
まあ、仕事があるというのは、悪いことばかりではないのかもしれませんが。
なんのかんの言っても、仕事というのは人と社会をつなげるものではありますし、お金の問題だけではなく、「孤独」を癒すために仕事をしている高齢者の話も、この本のなかにはたくさん出てきます。
それはそれで、同じ仕事を安い賃金で「仕事をしたい」高齢者にやってもらう、というのは「やりがい搾取」ではないか、とも思うし、だからといって、家で十分な年金をもらって、ずっとテレビを見たり本を読んだりする生活が「幸せ」と感じる人が少ないというのも現実なようです。
僕などは、物心ついてからの筋金入りのインドア派で、ずっと家でゲームとネットでも全然構わない、むしろ、できることならそうしたい、と思い続けてきたのですが、それを実際にやってみると、忙しさや人とのつながりに「緩急」があるからこそ、孤独やゲーム三昧の時間が楽しいのだな、と痛感しました。
人は「いつでも人とつながれる」という漠然とした認識がある時期には、「孤独」に憧れやすいけれど、どんどん自分が取り残されてしまう年齢になってくると「孤独」や「将来の不安」に耐えられなくなってくるのです。
本書はさまざまな階層の21人の「シニア労働者(働く高齢者)」へのインタビュー取材をまとめたものである。今や日本は60~64歳の8割、65~69歳の6割、さらに70歳以上の半数以上が働く時代となった。
日本における労働社会からの退場は、「60歳定年」という華々しい「カットアウト」から、段階を踏んでゆるやかに舞台上から姿を消す「フェードアウト」へと変貌しいている。令和のシニア労働者は、働き続けながらも、主役から脇役へと静かに終わりを迎えている。
この新書では、生活のため、あるいは、社会とのつながりを保つために働いている60代以降の「シニア」20人以上に取材しています。
また、彼らと接する企業側や同僚の若者たちが、シニア労働者をどうみているのかについても書かれているのです。
正直なところ、この本を読んで、いちばん感じたのは、「現代社会において、結婚して子どもを持つというのは、ものすごいリスクを背負うことだな」ということでした。
長男を私立の中学校に行かせ、次男には知的障がいがあり現在も施設に通っているというAさん(67歳)は、「国の教育ローン」と地元の信用金庫からの教育ローン、さらに小さな借金をまとめた地方銀行のフリーローンと3つの借金の返済を抱えているそうです。
Aさんは何歳まで働かなければならないのだろう。
「75歳くらいまではフルタイムで働く必要があります。その頃までにローンの返済が終わればいいですが、体が動かなくなったらダメでしょう。その時は自宅や土地を処分するしかない」
Aさんは今、返済の重さに耐えられなくなっているという。
他の返済が間に合わず、国の教育ローンは今、利息だけ払っています。支払いが厳しくて、日本政策金融公庫にお願いして、利息だけにしてもらったんです」
Aさんは2年ほど前に不整脈のため心臓の手術をしており、今は体にペースメーカーを入れている。体に不安を抱えながら、借金の返済をしているのだ。
実は長男のためにかかった教育費は、Aさんが返済中のローンだけではない。
「長男本人も日本学生支援機構の奨学金を借りています。金額まで把握してないのですが、毎月払っていると言っていました」
結局、長男の教育費による借金は、利息も含めると2000万円ほどにまで及んでいる。それでもAさんはお金をかけたことを後悔はしていない。
「長男が地元の公立中学校に通っていれば、違う人生になっていたでしょう。そういう意味では中学から私立に通わせて良かったと思っています」
教育費は、将来への投資だ。どこまでお金をかけるかは、家庭の価値観によって異なる。しかし今、教育費は勝負に勝つまで金を投じる「課金ゲーム」「ギャンブル」だと指摘される側面もある。
娘が、ひきこもり状態になってしまった62歳のBさんは、現状についてこう語っています。
「働くことが好き」とはいえ、Bさんが働き続けるのはすでに30歳になる娘のためである。
Bさんの娘は、20歳を過ぎた頃にイラストに興味を持った。そこに希望を見いだしたのは、他ならぬBさんである。美大を受験させ、そこに落ちた後は専門学校に通わせ、高額なイラスト用の機材もBさんが購入した。
「専門学校はどうにか卒業できましたが、今は再びひきこもり状態が続いています。外出もできず、2~3か月もの間お風呂にも入らない。だからすごく臭いんです」
お風呂に入れない、トイレにも行けない、部屋がゴミ屋敷になっているなどが続くのは、いわゆる「セルフネグレクト(自己放任)」と呼ばれる状態だ。
娘はやり場のない焦燥を、高額な人形を購入することで埋めていた。1体数十万円ものフィギュアを、Bさんが手渡したクレジットカードの限度額いっぱいに購入。カードを取り上げると娘は「私を殺せ」と大暴れしたという。ひきこもりの人がカードで高額な買い物をし、親がその返済に追われるという事例はたびたび耳にする。
Bさんはこのクレジットカードの返済に加えて、イラスト用のデジタル機材、生活費など、夫と合わせて年間200万円以上を娘に援助している。
「娘がイラストで生計を立てることができればいいのですが。娘のイラストを褒めてくれる人もいるんですよ。スゴくいい絵だと」
Bさんは娘がいつか、明るい出口にたどり着くのではないかと、暗いトンネルを歩き続けている。ここでも「子育て」は「課金ゲーム」となってしまった。
「親の教育が悪かったのだ」という人も少なからずいるかもしれませんが、親としての僕の実感は、こういうのは「どこの家庭にも起こりうるよなあ」なのです。
「親ガチャ」という言葉が人口に膾炙しましたが、親からみれば「子ガチャ」というのもあるのではないか。もちろんそれを公言することははばかられるけれど。
Aさんの奨学金などは「身の程をわきまえた教育を受けさせろよ」と言われるのかもしれませんが、「子どもには良い環境で勉強させたい」、そして、超エリート校は無理でも、奨学金でなんとか手が届くくらいのところならば「なんとかしてあげたい」というのはわかります。
アメリカでも教育ローンが大きな問題になっているのですが「教育のためにお金を使う」というのは、ギャンブルや高級ブランドのショッピングに比べて「善」だと社会的に認識されているがために、過剰になりすぎてしまう面もあるのでしょう。
宗教団体への「お布施」と同じように。
Bさんの場合は、もう本当にどうすればいいのだろう、と。
支援団体もあるのですが、Bさんのケースでは、この娘さんと支援団体の人が交際して破局し、さらに娘さんが荒れてしまったそうです。
現代では、オンラインで仕事をしている人も増えましたし、SNSに作品を発表したことがきっかけで、プロとして成功したクリエイターも大勢います。でも、そういう「成功例」の陰には、数多の「宝くじ当選者を知ってしまったがゆえに、宝くじを買い続け、外れ続ける人々」がいるのです。
Bさん、どうすればいいのだろう。親だって、いつまでもカードで使ったお金を払えるわけでもない。でも、「家族のこと」だから、外部から強制的に介入することは難しい(そして、誰もわざわざこの状況下に、この家庭に踏み込んでいきたくはないでしょう。僕だってそうです)。
独居の高齢者が、無年金や年金受給額が少なくて困窮している、スーパーで半額になった弁当1個だけが一日の食事で、年金受給日に食べる吉野家の牛丼が最高のごちそう。
ひとりは寂しい、家族がいても地獄。
自分のために働き続けるのならともかく、還暦をすぎても、「子どものため」に働き続けなければならない高齢化社会。
その一方で、高齢者には、高齢者なりの「欲求」があることにも言及されています。
「時給は1230円。週払いだと、いろいろ引かれるから手取りは3万5000円くらいかな」
Dさんと同じ作業をする派遣社員はだいたい2~3名で、女性が多い。
「この仕事のいいところは、派遣の女性たちと仲良くできること。女の人と話せるのがラッキー」
働く目的が「女の人と話せる」というシニア男性は実は多い。Dさんも昼休みに休憩室で派遣の30~60代の女性たちに囲まれ、コンビニ弁当を食べるのが楽しみだ。
Jさんがシルバー人材センターに登録したのは、半年ほど前のこと。65歳になったのを境に、勤めている社団法人の仕事が週3回になり、手持無沙汰な日を埋めるためにはじめた。一番の目的はお金ではない。
「健康維持のためですよ。長生きしたくはないけれど、健康でいたいじゃないですか」
そもそもシルバー人材センターに登録する時、Jさんはセンターの職員にこうハッキリと言われた。
「この仕事で生計を立てることはできません。あくまでも年金やお給料がある人の、副業レベルの収入です。そのことをご承知おきください」
全国のシルバー人材センターで働く人の平均的な報酬額は月3万6000円。時給はほぼ最低賃金だ。シルバー人材センターが紹介するのは、「生活費を稼ぐための仕事」ではなく、健康維持や社会貢献をしたい人のための、「小遣い稼ぎ」の仕事である。
「私が受け持つ仕事の一つ、公園の掃除は運動不足解消にはちょうどいいですよ」
公園のトイレ掃除は業者が入るため、Jさんの役割は落ち葉集めやごみ拾い。自分で掃除をする日が選べて、天気の悪い日は行かなくていい。働く時間は1日あたり1時間半程度。月3万円ほどの収入だ。
Jさんの仕事は「月8回」と決まっているそうです。
著者は20人あまりの高齢者たちに取材をしているのですが、その20人のなかでも、借金があったり、生活資金を稼ぐ必要があったりして、年齢を考えると過酷な労働をしている人もいれば、上記のDさんやJさんのように、「人と接する機会」や「小遣い稼ぎ」のために働いている人もいます。
高齢者に限った話ではないのだけれど、「働きかた」「働く意味」も人それぞれ、なんですよね。
一概に「高齢になっても働く社会なんてひどい」とも言い切れない。
歴史をみれば、高齢者が隠居して盆栽いじりや縁台での将棋で余生を過ごせていた時代のほうが、ごくわずかな期間ではあるのです。
人間がこんなに長生きするようになったのも、長めにみて100年から数百年くらいだし。
正直、僕には「60代になっても、女性と話せるのがラッキー」なんて気持ちはよくわからないし、ひきこもりの子どものフィギュアのために働いている親にも「それでいいのか?」とは思う。
でも、彼らには彼らなりの理由や負い目や打算もあって、その人、立場なりの「合理性」みたいなものが存在している。
ネットでは、今の高齢者は「優遇」されている、という意見をけっこう見かけるのですが、これで優遇されているのなら、お先これからの高齢化社会は、お先真っ暗だよなあ。
id:fujiponはてなブログPro40代後半の男。内科医として働いていますが、現在はQOL重視でなるべく機嫌よく過ごすことを心がけて生きています。
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