Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】介護未満の父に起きたこと ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

合言葉は、「ビジネスライクに」。
80代父のケアに娘が奔走した、「介護前夜」の5年間。
ワケあって突然ひとりで暮らしを整えなければならなくなった82歳の父。幸いまだ元気だが、家事がほとんどできないため、その生活に黄信号が灯る――。唯一の家族である娘が、毎食の手配から大掃除までをサポート。それでも、「ペットボトルが開けられない」「明日の予定がわからない」など、日に日に「できないこと」が増えていく父。「老人以上、介護未満」の身に何が起きるのか? その時期に必要なケアと心構えは? 父の「介護前夜」に奔走した娘が綴る、七転八倒の5年間。


「以前のようにごはんが自分で食べられるようになったら家に連れて帰ります」
「トイレに自力で行けるようにしてください」

僕自身、仕事でたくさんの高齢者を診てきて、そのご家族と接する機会も多いのです。
転倒による骨折や肺炎がきっかけでの身体機能低下、認知症の進行にともなう意欲の低下などで、「自宅でみるのが難しくなってしまった」という理由で入院、あるいは施設入所をされる高齢者はたくさんいるのですが、「以前のように〇〇ができるようになったら家で」と仰る家族は多いのです。

現実的に考えると、大病をして、あるいは認知症が進行して、負のループに入ってしまった高齢者は、リハビリをしても、「以前と同じようにできる」ようにはなりません(もちろん、例外はありますが、ごくごく一部です)。

人間の身体・認知機能って、加齢にともなって低下していくのが当たり前なんですよね。
そんなことは、誰だって、ちょっと考えてみればわかる。
ところが、自分の身内になると「前はできたのだから」「がんばればできるはず」と、嚥下機能が低下し、食欲もなくなった親の口に「食べて食べて!」とどんどん食べ物を詰め込んでしまう。

著者のジェーン・スーさんが、お父さんについて書いた本『生きるとか死ぬとか父親とか』を僕が読んだのは2018年ですから、もう7年前になるんですね。
いまは60代は元気な人が多くて、70代になるとかなり個人差が大きくなります。70代は元気だった人でも、80歳を過ぎると、加齢による身体・認知機能低下と無縁ではいられない場合がほとんどです。

fujipon.hatenadiary.com


そして、介護というのは、「自分で動ける人相手だからこその難しさ」というのもあるのです。
自分で動けるから、と夜中にトイレに行こうとして転倒したり、身体は動くけれど認知機能が低下していて徘徊して迷子になったり、危険な場所に入り込んでしまったり、火の不始末があったり。傍からみれば「年齢のわりにちゃんとしている」ように見えるけれど、「もの盗られ妄想」に陥って家族を疑い、通販で不要なものを大量買い、なんていう困った行為につながることも少なくありません。
本人が動けるから、自分でできると思っているからこそ、目が離せない。

 本書は、わが父の82歳から87歳までの生活記録である。要介護認定されるほどではないが、足腰と記憶力が弱り、自分ひとりでは回せなくなった父親の生活を、如何にして滞りなく進めるかを試行錯誤した記録だ。しかも、同居はせずに。


この本は、そんな「自分である程度自分のことはできるけれど、少しずつ身体・認知機能が低下していく独居の父親」と、「同居、という手段をとらずに、さまざまな人や技術の力を利用して、父親のプライドを尊重しつつ独居生活と体調の維持を試みていった娘」の記録なのです。

率直に言うと、ウーバーイーツで好みの食事を宅配してもらう、とか、家事代行サービスを定期的に頼む、とか、お父さん自身が年を重ねても「モテる人」で、それなりにお世話をしてくれる女性がいる、なんていうのは、「ただし、都会住まいでお金と人脈がある人に限る」みたいな話だなあ、とも思うのです。

その一方で、「昔はあんなに元気だったのに」とか「高齢の親を独居させておくと、近所の目が気になる」みたいな「情」の部分を極力排除して、「可能なかぎり、父親に独居で自由・快適な生活を提供する」というミッションを成功させる、というスタンスは、参考になる人も多いのではないでしょうか。

「そんなにお金も頼れる人もないし」で思考停止するのではなく、「自己犠牲を前提にしたミッション(介護・見守り)を当たり前のこと、みんなやっていることだと安易に受け入れない」というのは、これからの少子化時代の子ども側には大事なことだと思うのです。

読んでいて、「うーむ、なんかリクルートとかキーエンスっぽいよなこれ……」という気はしましたし、作家としては「ネタ」にできてある程度コストは回収できる(お父さんは了解済み)のも事実でしょうけど。
ジェーン・スーさんは「問題解決が好きなのは、私の長所であり短所なのだ」とも仰っています。
そういう研究者的なスタンス、次々と降りかかってくる課題を「どう解決するか」を楽しめる性質は誰にでも備わっているわけではないとしても。

 父の生活を立て直すにあたり心がけているのは、とにかく情に流されぬための工夫を凝らすことだ。親子のことを気持ちのぶつかり合いで処理できるのは、子が成人になるまでだろう。親が老いたらそれは猶更難しく、漠とした不安に押しつぶされそうにもなる。ならばビジネスライクに進めようと試行錯誤を続け、あるときから、父のケアは「終わらないフジロックフェスティバル」だと思うことにした。
 父は往年の海外一流アーティスト。たとえばザ・ローリング・ストーンズミック・ジャガーだ。わがままの度が過ぎるときは、オアシスのボーカル、リアム・ギャラガーでもいい。
 私は招聘元で、とにかく今日のステージがうまくいけばそれで良しと考える。ビッグアーティストだから言うこともコロコロ変わるし、こちらが言ったことも忘れる。相手がミック・ジャガーなら、私はそれを真正面から咎めることはしないだろう
「ミックさん、私の気も知らないでひどい!」なんて絶対に言わない。ニコニコうまく誘導して、気持ちよくステージに上がってもらうよう努めるに違いない。だってそれが仕事だもの。
 肉親に対する真摯なコミュニケーションとは言えないかもしれないが、そんなことは気にするもんか。すべては、精神的・肉体的に健やかなひとり暮らしを一日でも長く続けてもらうため。それが、父のフジロックだから。
 父のためと言いながら、どこかで父の生活を蹂躙しているような後ろめたさは、「終わらないフジロック」を運営するようにしてから徐々に消えた。


「自分の親だから」「昔はあんなにきちんとした人だったのに」という「肉親だからこその期待」が自分も、相手も消耗させてしまう。「割り切る」こともお互いの生活を維持していくためには必要なんですよね。

「終わらないフジロック」って、面白いたとえだなあ、と思いながら読んでいたのですが、これを書きながらあらためて考えてみると、『フジロック』とか「ミック・ジャガーに気持ちよく過ごしてもらうための全面サポート」とかは、「終わりが見えている」からこそ当事者たちもやれているのではないか、終わらなかったらたまらないよな、その「たまらない」「いつ終わるかわからない」のが親の見守りや介護なんだよなあ。


この新書では、著者が具体的にどのようにして、お父さんをサポートしていたのかが書かれています。
たとえば、2020年の時点での【日々の食事管理】の項は、こんな感じです。

 毎食(朝昼兼用の一食と夕飯)のメニューを父がスマートフォンで撮影し、LINEで私に送る。内容をみて、足りないものがあれば次の食事で摂取するよう提案する。当然、次の食事ではそれが補完されているかも確認。
 何度かトライしたが、どうしても一日三食は食べられないため、通販サイトのアマゾンで甘酒と栄養補給飲料のメイバランスを定期便で注文し、朝イチのLINEで「甘酒かメイバランスを飲んでください」と伝える。タンパク質が足りない日は、寝る前にもメイバランスを飲むよう伝える。それらの減り具合で、体調もわかる。
 昼や夜に食べるものがない時には連絡を寄越すように伝え、その場合はUber Eatsで大戸屋から総菜を発注。頻度は低いが、いざという時にはUber Eatsがあると思うと心強い。とにかくバランスの良い食事を摂取し、体重を減らさないことが目的。たまに刺激を与えるため、ホテルのレトルト食品など目先の変わるものを送りつける。「気に入った」とか「気に入らなかった」という反応だけでも会話になる。 
 字面だと面倒に思われるかもしれないが、定期便は一度頼めばそれで終わりだし、一日に二度三度のLINE連絡も、習慣になってしまえばなんてことはない。残念だったのは、何度試しても冷凍食品にはほとんど興味を示さなかったこと。これがOKだったら、可能性は無限に広がったのだが。フルーツの摂取が少ないのも気になる。本プロジェクトの次の課題。


うーむ、なんてマメなんだ……と僕は圧倒されたのですが、「習慣化」してしまえば、そんなに負担にはならない、とのことでした。なんかビジネス書っぽいな……というか、そういうスタンスで書かれている本なんですけどね。

新型コロナウイルス禍で外出や外部からのサポートが困難な時期が長く続いたり、なかなか体重が増えないお父さんにどうやって栄養補給していくか試行錯誤したり、同じ80代でもこの本が綴られはじめた80代前半と終わりのほうでは、かなり身体・認知機能に変化がみられていたりと、「介護未満」にも、さまざまな段階や状況があることもわかります。


巻末で、お父さんの現状がこんなふうに書かれています。

 正直に話すと、現状維持に努めつつも、できなくなったことが増えたのは事実だ。食品用のラップがめくれない、お椀がうまく持てない、の次は、ペットボトルの蓋ふが開けられなくなる、だった。段ボール箱を自分で開けるのも難しくなってきた。こういった小さな変化で、システムの見直しが必要になることもある。「アマゾンでペットボトルの飲料が24本入った段ボール箱を送る」ではなく、「コンビニの宅配で、紙容器に入った飲み物を手配する」に変更するといった具合だ。こういった微調整を、これからも繰り返していくのだろう。


僕の両親は既に亡くなっていて、僕自身は50代半ばなのですが、「Amazon段ボール箱を開けられない自分」を思い浮かべるのは難しいのです。
でも、人間、生きていたら、いつかはそうなっていく。
「できてあたりまえのこと」が、できなくなってしまう。

たぶん、「この本に書かれている、その後くらい」がもっとも家族にとっても大変な時期になるのでは、とも思います。
本人は自宅で自由に生活したい、でも、周りは危険だと感じるし、本人の気持ちを尊重したくもある。

入院したり、施設に入所したら、家族にとっては、気持ちの面で割り切れれば、ラクになることが多いのです。
でも、そこに至るには、数々の逡巡がある。

これから、高齢化、少子化がさらに進んでいくなかで、「子どもが親を介護しなければならない」というプレッシャーに、次の世代が押しつぶされないように、そして、そんな「世間」が、少しずつでも現状を認識して変わっていくように。

介護をする側もされる側も、気になったかたは、ぜひ、読んでみてください。
本を読めるっていうのも、いつまでも「あたりまえのこと」じゃないのだから。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com

プロフィール
id:fujiponid:fujiponはてなブログPro
最終更新:

40代後半の男。内科医として働いていますが、現在はQOL重視でなるべく機嫌よく過ごすことを心がけて生きています。

お問い合わせはこちらへ
mtfuji1029@gmail.com

検索
参加グループ
注目記事
follow us in feedly
アクセスカウンター

引用をストックしました

引用するにはまずログインしてください

引用をストックできませんでした。再度お試しください

限定公開記事のため引用できません。

読者です読者をやめる読者になる読者になる

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp