なんか申し訳ないのだが、というか、こんなことで謝ることそのものが自意識過剰で、こんなブログの更新などしなくても誰も困りはしないのだろうけど、なんか書けない、という状況がしばらく続いている。
でも、なんか書きたいなあ、という気分だけはあるので、最近遊んだ2つのゲームの感想を書いておこうと思う。
(1)Clair Obscur: Expedition 33(クレールオブスキュール:エクスペディション33)
このゲーム(フランス生まれだそうだけれど)は、日本の『ファイナルファンタジー』などのRPG(いわゆるJRPG)の影響をけっこう受けているらしく、ターン制の戦闘や成長システムなど、たしかに『FFっぽい』というか、「FFを悪い夢にしたようなビジュアル」ではあった。
グラフィックの質が悪い、という意味ではなくて、不安感・非現実感と目を覆った指の隙間から覗き見たくなるような美しさが共存した世界、だと考えていただきたい。
哲学的な世界観と意味深な会話、わかったようなわからないようなストーリー。
惰性でAボタンばかり押していたらレベルアップできるわけではなく、それなりに集中しないとレベル上げすらリスクが伴う難易度(「ストーリー重視モード、なんですけどね。ふつうの難易度だったら僕にはクリア不能だと思う)。
何度か攻略サイトのお世話にもなったが、攻略サイトを読んでも、システム的に理解しにくいところも多々あったし、ストーリーは、なんとなくわかったような気分になっているが、まあなんというか、「現実」ってなんだろうな、と考え込まずにはいられないところはあった。
そして、この年齢になって、「わからないもの」を目の当たりにするというのは、けっこう新鮮な体験でもあった。
僕は昔から「現実を見なくてはいけない」と教えられて生きてきた。
物語の世界とかテレビゲームとかは「幻想」だ、リアルを生きろ、と。
何度か書いたけれど、映画『マトリックス』シリーズを観たときには、あんな原始的な「現実」の世界に「戻る」よりは、機械にエネルギーを吸われながらテクノロジーに満ちた社会の夢をエネルギーが尽きるまでみていたほうが「幸せ」なんじゃないか、と内心思っていた。
あらためて考えてみれば、40年前の僕が「夢物語」とか「夢想」だと言われていたものは、2025年には、すでに「現実」の一部になっている。
「形のないものにお金を払うなんて。やっぱりCDがあったほうがいい」と抵抗感があった音楽やゲームのダウンロード販売は一般的なものになり、スマホゲームへの「課金」や動画配信者へのスーパーチャットも、昔ほど「物好きな行為」とはみられなくなった。アニメやゲームについて語ること、「推す」ことは、すでに「現実の一部」になっている。
SNSだって、すでに「悲しいほど現実」だ。
人間の適応力の高さに驚くとともに、あまりにも処理しなければならない情報が増えていて、そのわりには自分の処理能力が上がらないことにジレンマを感じている。
まあでも、僕のような人間にとっては、「今の時代に10代くらいだったら、もっと生きやすかったんじゃないかな」という羨ましさもあるのだ。
僕がインターネットにはじめて触れたのは、20代半ばくらいだったから。デジタルネイティブにはかなわないし、価値観の変化にもついていけない老害だ。
ああ、『33』の感想だった。
個人的には「なんだか久しぶりに、よくわからないゲームを試行錯誤しながら遊んだな」、そして、「よくわからない、をさまようのは、けっこう楽しいな」と思った。
そして、このゲームの結末について、おそらく、40年前の僕と、今の僕とでは、違った感想を抱いただろう。
今年のベストゲームかどうかはさておき、すごくワクワクする、そして、「なんだこの思わせぶりな物語は!」とニヤニヤしてしまう、そんな作品だった。
興味を持った人は、ぜひ触ってみてほしい(ただし、最初のほうは、何が面白いのかわかりづらいので、10時間くらいは辛抱して、必要なら難易度も下げてみてください)。
Steamで遊んだ。遊んだ時点では、セーブデータのネットでの共有ができなかったため、このゲームの続きをやるために、ずっと机の前に座ることになってしまった。でも、そのくらい続きが気になるゲームでもあった。
ひとことで言えば「魔法少女がひどい目にあわされる『ダンガンロンパ』」。
ただし、捜査パートも裁判パートも、『ダンガンロンパ』に比べると簡便で、ミスにも比較的寛容だ。
13人の「仲間」によるデスゲームに、殺人事件の犯人を議論で決するシステム、犯人に対する「処刑シーン」など、ダンガンロンパ』のパクリじゃねえか、そして、操作パートのBAD ENDルートが雑すぎるだろ、昔の『デゼニランド』かよ、とツッコミたくなる。
トリックも、「完璧にやれば物理的には絶対不可能ではないかもしれないが、現実的にそれをうまくやるのは難しすぎるのでは」というものが多いし、「ああ、これはあの有名ミステリのトリック!」と言いたくなる。ただこれは僕がそこそこはミステリを読んでいるからなのかもしれない。
何を書いてもネタバレになってしまうようなゲーム(というか、推理ゲームというか、ノベルゲームに近い)なので、『ダンガンロンパ』をはじめとするデスゲームもの、ノベルゲーム好きはやってみて損なし、『ダンガンロンパ』みたいなゲームだけれど、それは百も承知で、「『ダンガンロンパ』をなぞりつつも、魔法少女のキャラクターと手軽に遊べること、『ダンガンロンパ』3部作でなんかモヤモヤしてしまったプレイヤーへの「もうひとつの答え」みたいなものをつくったのだろうな、と僕は感じました。
同じ人間のはずなのに、見る角度が変われば、印象がまったく変わってしまう。でも、現実には僕は僕にしかなれないわけで、「ゲームだからこその体験」ができる作品でもありました。
『人魚姫』に対する『崖の上のポニョ』みたいなものだ。
いや、あまりにも不穏すぎる『ポニョ』ではあるけれど。
来春にはSwitch版も出るようだし、こちらも、興味がわいた人はぜひ。
あと、このゲーム、音楽がすごく良かったです。荘厳で静謐な気分になります。
なんかもうゲームの感想としても、ものすごくふわっとしている、というか、リハビリ的に思ったことを書いただけなので(まあ、ふだんからそうなんですが)、読み流していただければ幸いです。
最近は、なんだか「作用に対して、反作用がある」ものに疲れてきて、テレビゲームをやったり、本を読んだりして過ごしていることが多い。
そうそう『UNDERTALE』の10周年記念コンサートにも行きました。
僕がいちばん高齢だったのではないか、という感じだったのですが、若い人たちが、ゲーム音楽のコンサートにたくさん集まってきて、楽しそうにしているのをみていて、なんだか隔世の感があるというか、10代の頃の「テレビ(マイコン)ゲームはオタクがやるもの」という偏見にコンプレックスを抱いていた、「ファミコン以前」の僕に、この光景をみせてあげたかったな、と、しんみりしてしまいました。
ああ、こんなエントリでも、書くと少しスッキリするな。
それでは、また。
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