Switch2、もう発売まで2週間ちょっとになってしまいました。
おそらく、発売日に入手できるなかでは、多数の当選が期待できるラストチャンスであろう、任天堂の第2回抽選結果発表が行われています。
当選した人はどんどん抜けていっているはずだし、そろそろなんとか……と思っていたのですが、現実はそんなに甘くない。
第2回ニンテンドーオンラインでの抽選結果をネット上のアンケートからの集計で確認したところでは、本体のみとマリオカートセットは、当選率10%前後、2万円高くて当たりやすいとされる多言語版は50%くらいの当選率と出ているのを見ました。
第1回より当たってない……
おそらく、任天堂は第1回の抽選に多くの台数を振り分け、第2回は用意された台数も少なかったのではないかと思われます。配送の負担も考えると、あと2週間ちょっとで発売日に届く台数を、第1回より増やすのは難しいでしょうし。
正直、10%以下だと、前回の「20~30%」とかよりは、まだ「そりゃ当たらないよね」と切り替えやすい気もします。
あの中村悠一さんも「落選」だったのだし。
とはいえ、中村さんなら、任天堂から直接もらえてもおかしくないし、ファンの人や関係者で複数当選した人から、「じゃあ1台あげる」あるいは「定価で売るよ」という申し出があっても全然おかしくないはずです。
たぶん、中村さん自身も「Switch2はものすごく欲しいけど(筋金入りのゲーマーですからね、中村さん)、SNSなどでの話題性や仕事先の任天堂への義理立てを考えると、「当たるまでニンテンドーオンラインの抽選に参加し続ける」ほうが(声優・タレントとしては)メリットが大きいと考えておられるのではないのでしょうか。
「当選」してしまえば、「よかったね」でこのネタは終わりだけれど、「落選」しているかぎり、ニンテンドーオンラインでの抽選が続いているあいだは「中村さんはどうなった?」と、みんな注目するでしょうし。
数々の有名人の落選報道もあり、任天堂の抽選は「公平」だというイメージが定着しているのですが、あまりに「落選」が続いてしまうと、僕はもう闇堕ちしてしまいそうです。
そうだ、ゲームを楽しめるのなんて、あと10年、がんばっても20年くらいなんだから(70歳を過ぎても最新ゲームをやりたくなるかどうかは微妙ですが)、1年くらい買えなくてやきもきし続けるよりは、転売ヤーの軍門に下ってしまうほうが、僕の人生全体にとっては、プラスなのではないか?
5万円のものを10万円で買うのは「すごく悔しい」し、そんなに大金持ちではないけれど、こうして、いつになるかわからない「当選」を待ち続けるよりは、金を積んでさっさと入手して、人生の残り時間を少しでも楽しくしたほうが良いのではないか?
「転売ヤーのおかげで、本当に欲しい人に商品が行きわたらなくなり、適正な価格が維持できなくなる」
まあ、そうなんですよね、それはそうだ。
その一方で、「本当に欲しい人が手に入る」というのは、どういうことなのだろう、とも考えてしまうのです。
これは8年くらい前に書いたものなのですが、「転売ヤー問題」というのは、人気商品ではずっと繰り返されてきたのです。
みんなが欲しがるものを買い占めて、値を釣り上げて儲けるなんていうのは、苦心して適正な、買いやすい価格を維持しようとするメーカーとユーザーにとっては唾棄すべき悪行でしょう。
僕だって、感情としては、転売ヤーを儲けさせたくはないし、滅びろ!と日々念じています。
その一方で、「高くても買えるものなら買いたい」という買い手がいるからこそ、転売ヤーは存在しつづける。
今回のSwitch2の抽選に関しては、ネット抽選販売がメインで、SNSでの当選・落選報告や、SNS経由でその人の属性もかなり透明化されました。
その結果をみると、テレビゲームのヘビーユーザーで、ものすごい時間スイッチで遊び、全身全霊をかけて当選を祈っていたのに外れた人もいれば、「あんまりゲームはしないけど、応募条件にぎりぎりくらいであてはまっていたので、とりあえず応募してみたら当たった!どうしようかな……」という人も少なからずいたのです。
もちろん、転売ヤーがSNSで当選報告することはないとは思いますが。
そして、各ショップからは、「Switch2の抽選への応募条件」として、「直近1年間での5万円以上の当店での購入(提携クレジットカードを持っていればさらに優遇)」というレベルの、けっこうハードルが高いものもあれば、「アプリのインストールとお客様情報の登録」「当店での購入履歴」というような、比較的緩めのものが提示されていたのです。
家電量販店やゲームショップだって「商売」ですから、ここまでみんなが欲しがるSwitch2であれば、お得意様に売ってさらに絆を深めたり、アプリ会員を増やしたり、店の存在を認知してもらったりと、有効に使いたいのは当然でしょう。
僕なども、おかげでさまざまなアプリをインストールし、「お知らせ」が届くたびに、「もしかして……Switch2、当たった?」と淡い期待をしては、全然関係のない通知ばかりで失望しています。いやもうすでにイラついてきました。
今だったら見てくれるだろう、って、どうでもいいものばっかり送ってくるんじゃねえ!
まあ、向こうの立場からすれば、「こういう状況でもなければ、うちからのお知らせなんてお前も見ないだろ?」って話なんでしょうけど。
なんのかんの言っても「たくさんゲームで遊んでくれる人、ゲームや関連商品を買ってくれる人、その店を利用してくれている人」が優先されているんですよね。
Switch2の本体は「定価販売」で、時間差はあっても、昔懐かしの「抱き合わせ商法(『ドラゴンクエスト2』と『バルトロン』の組み合わせとか)」と本質的には変わらない。
でも、「利益を最大化する」という目的では、「お得意様優遇」は、資本主義的に正しい。
僕は転売ヤーは大嫌いですが、転売は「絶対悪」なのか?と考え込んでしまうのです。
この本のなかで、「転売」についての思考実験が行われています。
チケットストリートという転売業者社長の西山圭さんは、自らのブログで、こんな主張をされているそうです。
(買い占めによる価格の釣り上げは違法であり、定価よりも高くなった部分がアーティストの収入にはならないということについて理解した上で)
「『高額転売』と主催者側が一方的に決めるのには違和感を覚えます。高額かどうかを判断するのはライブを見るファンであって、アーティストでも主催者でもない。……『良い席で見たい、そのためにはお金を払ってもいい』というファンの要望は、自然なものではないでしょうか。……正当・公正な抽選なり先着順なりでチケットを手に入れた一般個人が自由にチケットを売る権利は、自由な市場を持つ資本主義経済の根幹として守るべき権利だと考えます」
(中略)
チケット転売問題について、伝統的な経済学者の多くはチケットストリート社長の西山に賛成するだろう。なぜなら、チケット転売は、価値を生み出す正当な行為だからだ。チケットが高額であっても、売り買いする人は、その取引でどちらも便益を受けている。チケットを売る人は、チケットをもって自分でコンサートに行くよりは売った方がいいと思っているから売っている。
(中略)
逆に、買い手はチケットが欲しかったけれど抽選に外れてしまったとか、気がついたら売り切れていたという人で、どうしてもコンサートに行きたいという人がいるだろう。どちらの人も、チケットの転売で得をしているのだ。
コンサートの場合は、回数も席数も限られていて、欲しい人すべてに行き渡るまで時間をかけて増やすわけにはいかないでしょうから、ゲーム機とは違うのかもしれません。
でも、転売業者の販売価格が高いと思えば、買わなければ済むだけの話です。
無理やり買わされたり、そのせいでメーカー希望価格が上がるわけではない。
その金額でも買う価値がある、と判断した人が、買うだけのことなんですよね。
逆に、転売業者の見通しが外れて、参考価格以下で投げ売りしなければならない場合も少なからずあるはずです。
では、チケット転売の問題点として音楽団体があげる「チケット転売のために、本当にチケットが欲しいファンに行き渡らない」という点はどうだろう。人気コンサートのチケットが抽選によってしか入手できない場合と高額であっても転売によって入手できる場合とで、どちらの方が、「本当にチケットが欲しいファン」にチケットが行き渡るかを考えればいい。チケットがどのくらい欲しいのか、的確に表す一つの指標は、そのチケットを手に入れるために、最大いくらの金額を払ってもいいか、という数字だと経済学者は考える。抽選制度の場合だと、抽選に当たる人の中には、その価格ならコンサートに行くけれどそれよりも高いとコンサートに行かなかったという、それほど熱烈ではないファンもいる。逆に、抽選に外れた人の中には、もっと高い価格を払ってでもコンサートに行きたいという熱烈なファンがいるだろう。
抽選に外れた熱烈なファンは、高い価格でもチケットが欲しいと思っているし、抽選に当たった熱烈ではないファンならより高い価格であれば売りたいと考えているかもしれない。転売業者は、両者の願いを叶えることに成功しているのである。
なんでもお金で判断するのは、いかがなものか、とは思いますよね。
同じ「1万円」でも、「生活を切り詰める必要がある」という人もいれば、「そのくらいなら安いものだ」と考える人もいるのだから。
とはいえ、「対象への愛情の強さを示す、お金じゃない客観的な指標」というのは、なかなか見つからないのです。
あえて言えば「時間」なのだろうけれど、これも「もともと時間に余裕があるヒマな人が有利」になるだけ、とも言えます。
こういう伝統的経済学の説明に対して拒否感をもつ人は多い。特に、アーティストを熱心に応援する程度を、「いくらまでならお金を出してチケットを買いたいと思うか」という指標で測るというのは適切ではないというものだ。熱心なファンであっても「お金がないからチケットが高くなったら買えない」のであって、熱心さが足りないというわけではない、というものである。確かにそのとおりだが、残念ながら人の気持ちの大小を比較することはできない。他人との比較ができるのは、気持ちの大小ではなくて、その行動をするのに、何かをどの程度犠牲にしてもいいか、という客観的な指標でしかない。それに、気持ちの問題なら、いくらでも嘘をつけることになる。
では、金額の代わりに「チケットを購入するために何時間なら自分の時間を提供してもいいと思うか」という指標にすればいい、という意見はどうだろうか。それなら、行列に並んでもらって購入する制度が適切な熱意の測り方になる。アーティストは、その測り方がファンの熱意を測る方法として適切であると考え、そういう人にこそコンサートに来てもらいたいので、チケットを安く提供しているのかもしれない。この考え方ならアーティストが最大化したいのは、利潤ではなくて、「何時間でもチケット入手に時間をかけてくれるファンをコンサートに集めること」になる。この場合なら、チケット転売業者が存在するとせっかく時間をかけてチケットを入手する仕組みにしたのに、それを壊されてしまう、ということになる。しかし、抽選によって購入者を決める現在の制度は、時間をかけて熱心さを示すということにも対応していない。
「チケットが定価よりも高額で転売された利益はアーティストに還元されない」という指摘はどうだろうか。確かに、高い価格で売れた利益は、アーティストに還元されないというのは、アーティストにとって理不尽かもしれない。しかし、もともと抽選制だけの場合なら、アーティストにはそもそも高い利益は発生していなかったのだから、比較してもしかたがない。むしろ、アーティストに利益を還元するのなら、最初から高い価格でチケットを販売すればよかっただけである。
身もふたもない話ではありますが、一般的に、人気アーティストほどコンサートのチケットは高くなるのは事実でしょう(会場が大きかったり、演出にお金をかけたりしているという理由はあるにせよ)。
海外でも使いたいとか、母語が日本語ではない、という理由で、本体価格が2万円くらい高い「多言語版」を買う人もいるはずです。
しかしながら、多数派である「日本でしか使わないけれど、2万円高くても当たりやすいから」という理由で多言語版に応募する人たちの行為「悪いこと」だとは思いませんよね。公式から買う、のであれば、金を積んで当選率を買うことに、多くの人はそんなに抵抗感がない。
どうしても観たいコンサート、行きたいプロスポーツの試合、欲しい限定版のゲームソフトを入手できなかったとき、可能な手段は「あきらめる」か「お金を積んで定価以上でも入手する」か「定価で、あるいは安く売ってくれる人を手間をかけて探す」か、になります。
僕などは、人脈も交渉力もない非コミュ野郎なので、「定価以上でもお金を出せば面倒な交渉をしないでも入手できる手段がある」のは、悪いことじゃないのでは、と考えてしまいます。
僕が個人的に転売ヤーから買ったことは、これまではありません。
大概の欲しいものは、マメにネットの通販サイトを覗いたり、リアル店舗をこまめに訪れれば見つかることが多いし、大概は時間が少し経てば「あのときの狂騒はなんだったんだ」とばからしくなるくらいに簡単に手に入ります。
コンサートやイベントに関しては「行きたいけれど、最近のチケットはかなり緻密に対策されているし(これあなたのチケットじゃないでしょ!と入場拒否されるほど、ちゃんとチェックされているとも思えないけれど、実際はどうなんでしょうか)、僕の感覚的に、どうしても行ってみたいイベントは、かなり価格が高騰してしまい、さすがに2時間のステージにこれは出せないな、とあきらめるしかありません。
Switch2に関しては「いつかは買えるようになるだろう」と思ってはいます。Amazonの招待販売に「当選」するのは、大概、巷にその商品が溢れるようになってから、なんだけど。
Switch2についても、PS4とPS5のあいだくらい(たぶんPS4寄り)のハードの性能やより大きく、重くなったことを考えれば、「なんか中途半端なゲーム機」として、トータルでは期待ほどヒットしない、WiiUの二の舞になる可能性も考えています。
任天堂のハードの歴史は「成功」だけではなかったのだし。
自分がなかなか買えないくらいハードが売れている、というのは、そのハードが成功し、面白いゲームがたくさん発売されるためには、すごく良いことなんですよ。良いことのはずなんだけどねえ。
ちなみに、アメリカの経済学者、アラン・クルーガー教授は、転売問題について、こんな解決法を提唱したそうです。
クルーガーは、価格メカニズムと行動経済学的な考え方の両方をうまく達成する方法を提案する。それは、コンサートチケットのうち一定数を主催者が直接ネットオークションで売ることにして、その時成立した価格が定価以上であれば、定価との差額を慈善団体に寄付するというものである。この方法は、どうしてもコンサートに行きたい人はオークションで市場価格を払えば、必ず実現できる。寄付を受ける慈善団体にも便益がある。価格が高くなったとしても、それが寄付に回るのであれば、フェアな価格設定だと認識するだろうし、正規のチケットであるので、購入者は安心して買うことができる。オークション価格があるので、転売業者の価格がそれより高くなりすぎるということはなくなる。私には、とてもいい提案だと思える。チャリティ・コンサートということであれば、チケットが高額になっても誰も文句は言わないはずだ。
Switch2を有名YouTuberが超高額で落札しても、定価との差額は慈善団体に寄付されるのであれば、「なんか完全にスッキリはしないけれど、恩恵を受ける人がいて、メーカーも損はしないし、僕が文句を言う筋合いもない」のです。
公平・公正とされるものには、さまざまな形があって、立場によっても感覚は違う。
どんな形であれ、自分に不利な場合は「不公平感」はあるのだと思います。
正直なところ、転売ヤーは憎いけれど、何十万、何百万は無理でも、数万くらいの違いだったら、早く手に入れてしまったほうが気分的にもラクだし人生の残り時間を有効活用できるよなあ、とも考えてしまうのです。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。