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おまけ人生フェルマータ

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学生が引っかけた釣り糸を先生が木に結びつける

今同級生の一人がすごく面白いことしてる。内容そのものというよりも、考え方。一つのデータ、目的とは直接関係ない別におかしくないようなデータに疑問を持って、色々妄想を膨らませて新説を出そうとしている。今まで当たり前にパスされてきた現象を、もう一度見直すこと。本当にそんな簡単な説明の仕方でいいのか、もっと別の要素を考慮しないとこの先説明できないことがでてくるんじゃないのか。そんな話だ。まぁこういう感じ、分かる人には分かるだろう。定説がしっかりしすぎてるから適当にながしても誰も突っ込まないけど、実際どうなってるのか誰も知らないじゃんというところを攻めていってる。ひっかかりを見逃さずに。

彼は直博士3年なので、年齢的にはD1に当たる。まだ論文は出したことがない。羨ましいことが二つある。一つ。先生が鼓舞してくれること。理解を示してくれること。もう一つ。先生が彼が捕まえた引っかかりを、より大きなバックグランウドの中のどの位置を占めるか、そしてそれがどのくらい重要なことなのかというところまで、結びつけてくれること。

おれ修士の時つらかったもんなー。だって、偶然自分の出したデータさ、理由は分かんないんだよ、分かんないんだけど、すげー綺麗に飽和曲線にのってるの発見したんだよ。おれ絶対こんなデータ文献に出てないと思ったよ。だって、マニアックすぎたから(笑)で、ミーティング持ってったらさ。そんなことやってどうするの?って言われたもんね。それからつらかっただわ。別にふつうじゃんって、思っちゃってくるじゃん。いや面白いんじゃないって、自分を鼓舞しながらね、もう一人の自分は常にこう言ってくるんだよね。くだらないことを面白いと思いこもうとしてるだけじゃないの?

彼がこの引っかかりを持ってきたのが、10月くらいのゼミだったと思う。彼のテーマの本題には関係なかった。というか、かれは自分のつくりたいものがつくれなくて、今までずっとやってたルートを捨て別のルートに変更したりとか、相当苦しいところにいた。んで、ここにきて、偶然、この現象なんだろうと。彼がつくろうとしていた複雑で巨大な分子にくらべると、あまりにも小さくて単純な分子だったけど、それを持ってきた。これ、この現象ちょっとおかしいんですよ。今までのしかたで説明できない、と。

そこからはやかったと思う。先生の動きね。ちなみにおれは面白いなぁと思ったけど、その時点では正直よくわからなかった。本人もたぶん、面白そうなんだけど、面白いんだろうか、そんなラインだったと思う。今までの文献を一通り見てもこんなの説明している例もないし、と。でも先生は彼を教授室に引きずり込んで、論文書かせたね。たぶんもうすぐ出るんじゃないだろうか。たぶんどこかの片隅に。でもしっかりと足跡をつけるように。

面白そうなことって、一人で見て、一人で色々考えて、一人でこねくり回してると、いつの間にかそうでもなくなっちゃうだよね。目が慣れちゃう。まあ当たり前ちゃあ当たり前だしな、とか、こんなことわざわざ言及されないくらいとっくに知られてるんだろとかね。特に学生はね。そこを、先生は、釣り針のひっかかったの糸をとりあえず後ろの大木に結びつけた。別に、まだ何も引きあがってないんだよ。釣り針の先にくいついてるのはおおきいような気がするし、なにか素敵なもののような気もするけど、でもがらくたかもしれない。それは誰も分からない。でも先生は結びつけた。これ羨ましいよね。だって学生はこれ引き上げていいんだって安心して取り組めるじゃんね。

そんで、どこかの片隅に足跡をつけるようにでるんじゃないかって書いたけどさ、これは展開される壮大な思想に対して、今あるデータはあまりにも小さいから片隅にならざるを得ないっていうことなんだけどさ、でも、うちの先生がcorresponding authorについてたら、読む人は読むよね。んでつまり読む人は読むって事は、つまり自分たちの分野の全ての人が目を通すよね。つまり読んで欲しい人はみんな目を通すんだよね。どこに載せようが。もっと言っちゃうと、最初から片隅じゃなくてそれなりの場所も狙っていけるのかもしんない。これってすごいことだと思うよ。羨ましいよね。先生が常に磨いてきた研究室の看板。先生の要求が厳しすぎるとか言う学生はもちっと考えた方がいいね。先生がこれだけ厳しいから、君たちの論文は通るんだよ。ま、みんな分かってると思うけどね。論文読んでもらえるっていいよね。


なんでこんなこと思ったかって言うと、年末の大組会は結局彼が発表者に選ばれてね、ずっと練りに練って報告つくってきたんだ。んで、どうだったかって言うと、すんげー分かりにくかった(笑)いや、発表の仕方はうまいし、スライドだってすごく綺麗だし、そういう基本的なところはいいんだけど、なんというか、発表全体が言い訳っぽくなってるのね。最初にキーとなった実験を持ってくるわけ。んで、「この結果を見て、ここを疑問に思いました、なぜなら…というわけで、おかしいと思うからです。そこで、つぎにこういう実験をしてみました。この実験の示すところは…。そこで、つぎに…。ということで、今までの結果をまとめると、次のような絵が浮かび上がります。つ[モデル]」。間違ってないんだけど、最後の最後にモデルが出てくんの。今までだれも想像すらしたことのないモデルが。そのビジョンを最初に提示して、残りを実証実験として説明していけば、どれだけ分かりやすかったかことだろうか。んでも、学生としてはなかなかそれはできないよね。だって、自分としてはまだなにも終わってないし、モデルは今のところかろうじて間違ってはいないというだけの一つの仮説に過ぎないし、そもそも最初はそういうことを目的にして実験してきたわけじゃないし、そんななかで偶然発見したことから突然はるか広範囲にわたる新規モデルをぶちあげるなんて。そんな大それた事、できないわけじゃないけど、せめてどうしてそんな大それた事をしようと思ったかっていうことを、一生懸命説明しようとした結果が、今回のプレゼンってわけだよね(笑)ということが手に取るように分かったわけ。なんとまぁ。その20分間のプレゼンに出てきたデータ。これ出すまで時間が1ヶ月2ヶ月か知らないが。これを先生のゴーサインのもとでやれたなんて。お前羨ましすぎるな、そう思ったわけですよ。


こんなの人の事書いて羨ましいとか書いてどうすんのかなーというとだな。まぁ別に羨ましいというのは、修士のときおれのことを考えたら羨ましいなぁというわけで、別に今おれ自身が羨ましいとか思ってるわけじゃないわけで。それに、別に前の先生の元で普通にやってる学生もいたわけで、当時のおれの説明があまりにもヘタすぎたのかもしれないし、文献をもとにして自分で確固たる決意をもって決めた道を進む覚悟がなかっただけとか、そもそも先生はそれやってどうするのと問うことで、バックグラウンドについて自分で知識を深めていくことを期待していたのかもしれないわけで、実際その苦しみの中でもがいた経験があるからこそ、今、一つ下にあたる彼の状況をみて羨ましいと思える自分がいるとも言えるわけで、仮に自分が最初からその中にいたら…、とかうんぬんかんぬんで、反面教師という言葉を使えば何でも教師になるから、それはどうでもいい。人はどこにいたって何かは学ぶもんだからね。それはどうでもよくて、ただ羨ましいという風に書くことで、昔いた研究室とその先生のやり方、今の研究室と先生のやり方が違うんだって事を表現するのがいいかなと思った。自由に研究できる環境というのはなんなのか、先生はどこだけをしっかり握っておくのか、先生の役割ってなんなのかっつーことをな、ちと考えるいい機会だと思ったわけですよ。


うんにゃー、しかし、羨ましい。

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