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Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きするろーじんの戯言記録

ローソンで玄米茶を買う

連立を組む日本維新の会に「内閣の中で一緒に責任を担っていただきたい・・・」と、高市総理が言ったという。つまり維新を繋ぎ止めておきたい欲求のあらわれだろう。そうして適当に誘惑し、利用し、自分たちの利益に仕えさせるのが常套手段だと、既に理解しているワガハイなのだった。

コレに乗っかって巧いコト逆利用するなんて、圧倒的に手練れ中の手練れでなければ無理。要するに悪党だ。もうこの際、「日本悪政(性)党」なんてぇのに看板を書き換えた方がイイんじゃね?と、飽きれる気にもならんのだった。

ニュースによると、高市内閣支持率は高いらしい。もっともこのテの調査の信憑性というのがどの程度なのかは知らんが、マイド行われるこのテの調査結果って段々と支持率は低下していくもんだ。その降下率はソレゾレにしても。

 

降下率とはナンジャらホイ?という方は、以下の専門的な解説を読まれたし!

https://www.mlit.go.jp/common/001480711.pdf

 

いや・・・まてよ?降下率というよりも滑空比の方が合っているのかなぁ?

 

高市内閣の滑空比は高いのか?それとも低いのか?

そもそも燃費はいいのか?

 

まあ・・・いいや。

 

時に上昇気流なんぞに乗っかって、アルプス越えをしてしまうような上昇もある内閣支持率だとは思うけれど、その気流とは世間の雰囲気と政党内や首相の己の内から出てくる問題によって揺さぶられるモンだ。そしてとりあえず、今の日本の面倒な問題は己の問題から生じているには違いない。

同じ内容でも、ものの言い方とタイミングはあるからねぇ。ワガハイのようなアホではないと思いたい、お国の代表者というお方なんだが。

案外・・・アホ?   か??    知らんケド。

 

ま、株価も些細なコトから乱高下なんてぇコトも多々あるのだから、そして株が欲望に発する気分で上下するんだから・・・内閣支持率だって欲望のナニガシカで乱高下する・・・と。そこに理性なんぞの入り込む余地は、ない!と思った方がイイ。

アタマの良い人たち・・・って言ったって、高学歴のそのお勉強の中でナニを学んできたのかは知らん。同じ教科書からでも全く反対の学びを得るコトだって起こり得るのだ。そしてそんなコトは古くから神学の世界では茶飯事だ。

そうして時に度が過ぎれば「異端」として追い出されるという寸法。デカい組織の温存のためには、まともなコトを言うヤツは邪魔者なのだ。そうして大昔に丘の上で処刑された一人の男の誕生を祝う週間の最中なんだワなぁ。

私の記念としてこの様に行いなさい・・・っていう言葉を根拠に、現在も世界中で祈りが継続されているけれど・・・コレって勘ぐれば・・・彼を記念(忘れないように)しておくコトで、呪われないように封印しておこう・・・という様にも見える。

「おかしいなぁ・・・祈れば祈る程、イエスさんが遠ざかっていくんだよなぁ・・・」

かつてそう呟いた老司祭がいた。これは幾つかの理由が想定されるけれど・・・祈りつつも純真さが失われていくのが人間という動物の本性である、と。或いは敬虔である(と思っているコトをやる)程に、神から嫌われていく・・・と。他にも想定されるコトはあるけど。

祈りもまた・・・欲望の一種だからねぇ。

 

年末年始、神社仏閣教会その他で手を合わせる機会が増すに違いないけれど・・・ナニを祈るのか?祈るコトは多くのコトではなく、厳選した内容の人が多いのではないだろうか?ならばそれが、あなたの大切な願いであり、その願いとは欲望でもある。

どの様な欲望なのかは、少し吟味してから祈られるコトをおススメしたいけれど・・・そういうワガハイは祈るのか?

結局、健康のコトしか祈っていないというのが実情なのだ。健康維持が欲望なんである。健康以外は何も要らないワケではないけれど。

 

ペットボトルの玄米茶

知らなかったが、玄米茶のペットボトルもあるんだねぇ。伊藤園だよなぁ。

www.itoen.jp

今まで気に留めなかったけれど、先日コンビニでコレを見つけたのだった。いつもほうじ茶ばかり買っていたので。

で、買ってみた。そしてクルマに乗り込んでから飲んでみた。

 

それは・・・玄米茶だった。

 

感想は、それだけ。

でも、案外・・・楽かもしんない。

カフェイン少なめ、らしい。そして米が高価なのに「国産米」と表示されている。どんな米か知らんケド・・・これもまた、選択肢としてイイかも。

幾らか健康志向(という欲望)に応えようという商品なんだろうなぁ。ならばワガハイの欲望にもピッタリだ。

 

※ それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」(ルカによる福音書 22章19節 新共同訳) ここの部分が、今でもキリスト教会が礼拝を継続する根拠だ。

 

ハンドピックされなかった丹波黒豆が写真論になっていく?

昨日のブログを見た感想として・・・「欠点豆の画像だけではなく、ヨカッタ豆の画像が何故ないの?」という妻の話しであった。

etsuro1.hatenablog.com

そういう意見は分かるけれど、出来がOKなヤツっていうのは見慣れた姿なのだから、別にわざわざ撮影するまでもないと思ったのだった。だが、よく出来たモノを記録に残したいというのが人情ではあるんだろう・・・そうして昔から多くのフィルムが消費され、多くのカットが捨てられてきた。

捨てて、捨てて、捨てて・・・捨てて参ります!的な、特にコマーシャルの撮影現場だった。フィルムを湯水の如く消費していた。

印画紙もそうだけど。

そうして一枚でも多くのシャッターを切り、大量に無駄カットを積み上げて写真が上手くなると言われた。

ワガハイ的には、その殆どが無駄な行為だと思っていたけれど。

つまり、こういう物量作戦は昔の体育会系のやり方なのだった。誰よりも多く練習することが成功の秘訣なのだ・・・と。

叔父は、とある一世を風靡した写真家の弟だったが、「兄は寝ている時もカメラを手放さなかった・・・」という。そうして写真に没頭して技術をマスターしていったらしい。

だが、その話しを聞いた中学生の頃、ワガハイ的にはヘンな話しだと思った。

「寝る時には寝るコトに専念して、質のより良い睡眠を得た方がイイに決まっているではないか!むしろ要点を押さえてトレーニングするならば意味はあるとは思うが、意味不明な情熱や根性論は捨て去った方がイイ・・・」

そういうコトを言って、叔父から生意気なガキだと嫌な顔をされた。そして老いた今でも、その様にして一世を風靡した写真家の仕事を軽く評価している。

 

「捨てたカット、トリミングで捨てた部分に・・・ひょっとしたら大切な問題が潜んでいたかもしれない・・・」

そう言ったワガハイにニンマリとして頷いたのは、鈴木清さん(写真家)だった。この方、別にワガハイの師でもないが、たまたま画廊で知り合ったのだった。

ま、たぶん・・・採用しなかったカットを改めてチェックしてみると、捨てカットの方を用いた方が良かったのでは?と思うコトなんてザラにあるんじゃね?と、多くの写真業の方々に言いたい・・・けれど、これは言うまでもなく、そのような経験が沢山あると思う。

そして、こんなコトよりも案外深刻なのは・・・決定的瞬間なんていうのは存在しないという写真論があるワケだが、その意見に賛同するつもりはないけれど・・・アンリ・カルティエ・ブレッソン(HenriCartier-Bresson 1908~2004)への評価って、な~んか違和感を覚えるワガハイだった。

そもそも好きな写真家ではないからねぇ。

 

と・・・な~~んで黒豆が決定的瞬間の天才と言われたブレッソンに脱線していくんだろうねぇ?

たぶん、前頭葉の何処かがイカレているんだろうな。

 

放任栽培の丹波黒

な!別に売られているフツ~~の黒豆とナニが違う?見慣れた姿を撮ったってねぇ。

だから自分をより良く撮って残したいと、アレコレ工夫し、カットを選び抜いたところでワガハイはワガハイでしかない。むしろ酷いと思われるカットの方がワガハイらしさを記録していて面白いかもしれない。

な~んでカメラの前で気取る?そして更には修正を過剰に行うのだろう。そんなコトをしたら本来の自分の姿の記録を失ってしまうではないか。

そういうコトで、スマホの中に保存された友人たちとの思い出が、振り返ってみると何だかよ~ワカランものになってしまっているという件は、既に発生しているらしい。

 

というワケで、ワガハイは昔からの膨大なネガフィルムを抱えており、デジタルになった現在でも使うアテの無いデータが膨らみ続けている。それはいつか意味を持つかもしれない。そもそも既にナンのことはない昔の家族写真が、時代を検証する重要な資料に化けるのだ。

写真は、妙な修正を行わなければ、それは意図に反して意味と価値を持ち始めるものだ。出来れば・・・画像は断捨離しない。ワガハイの目が黒いうちは。

 

丹波黒豆のハンドピック

欠点豆のハンドピック

だいぶ日が経ったけれど、妻のやっている放任栽培畑(荒地栽培)の丹波黒豆が収獲された。今シーズンは絶好調の収獲だったという。それはカメムシ等の被害が無かった点が大きいのではないか、という分析だった。

勿論、無農薬栽培だ。

っていうか、農薬の溶解とか希釈なんていう作業は、妻は面倒だからやらないだろう。それに農薬を調整したら散布しなければならない。そんな手間もかけたくないだろう。そういう栽培方針?だと思う。

今季はたまたま運よく、豊作となった黒豆だった。とにかく「黒豆がイイ、黒豆が凄いコトになっている!」とうるさかったからなぁ・・・。

無農薬というならば、ワガハイのマスカットベーリーAだって無農薬栽培だけど。正確には竹酢液は使ったが。

妻の黒豆は竹酢液も使ってはいない。これまた希釈して散布するなんて面倒なことは避けたいのだろう。ナニもしなくても出来る時は出来る。出来ない時は出来ないという、自然任せなのだった。

 

だが、そういう自然任せの生き方は出来ないのが人間という動物なのだった。不調に陥れば医者に行かねばど~にもならんコトもある。妻も一歩間違えれば片道切符の旅に出るトコロだったコトがあった。それにアレルギー性鼻炎で耳鼻科通いだ。

ワガハイに至っては・・・いかに医者通いを減らすか?通っているクリニックを集約して減らすか、というコトを考えるようになった。本当は内科一カ所で整形外科から眼科、そして歯医者まで診察してくれればいいんだけど・・・そうはいかないんだよなぁ。

総合診療・・・もう、全身くまなく診療科ってなトコロがないだろうか?ドンドンと専門家して、診療科目も細分化されていく感じで・・・そりゃあ、一人の医師のキャパにも限界はあるのは分かるけれどねぇ。

身体は一つなんだから、やっぱりひとまとまりとして診察して欲しいけど。

そうなると・・・昔々のお医者様のようになっていくしかないんだろうか?

 

さて、話しを戻すと・・・上画像は豊作だった黒豆の中から欠けたり傷ついたりしている豆をハンドピックしたものだ。結果良好な豆は正月の為に煮豆とするらしい。今度の正月は黒豆を購入しなくても畑の収獲豆だけで作れるらしい。なんか誇らしげに嬉しそうに語っていた。

それで、ハンドピックして煮豆にならない豆は?というと、捨てるには勿体ないので豆御飯にするらしい。確かに傷ついた豆で煮豆っていうのは煮崩れるからダメだけど、まぜ御飯ならば、別に問題ない。

 

というワケで、いつになったら黒豆御飯が食べられるのか知らんが、テーブルの上のシェラカップには、こんな感じで置かれたままになっている。

なんか日々、この豆を見てはニンマリとしているのだが・・・ホント、放任栽培を楽しんでいるなぁ。そして放任だけに上手くいった時はラッキー感が強いのかもしれない。

年末、コレで富澤商店の黒豆の売上が、一袋分減ったのは間違いないのだった?

tomiz.com

 

「小田原城 三の丸外郭新堀土塁」説明板

昨日の内容を補足していく本日の内容となる・・・予定。

etsuro1.hatenablog.com

昨日は全体を大雑把に紹介した・・・などと偉そうには言えない。ワガハイも大した理解をしていないのだから。そこでお勉強を兼ねて、ブログに書きながら調べているのだった。それで、この史跡についての公式な説明は以下の小田原市のサイトを参照されたい。

三の丸外郭新堀土塁:小田原デジタルアーカイブ「小田原写真館」 | 小田原市

この小田原市のサイトの記述には、「閑院宮の所有を経て」とある。

閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902~1988年)

敗戦後、GHQの戦争責任追及の中で最も皇位継承順位の低い方だった。そして1947年に皇室離脱、離婚、事業の失敗などで箱根の別邸(現、強羅花壇)も売られ、住居(小田原市城山・・・つまり三の丸外郭新堀土塁のトコロ)の一部も売られた。この一部っていうのが小田原競輪場や小田原女子短大となっているらしい。

そもそも皇室離脱の際に永田町の本邸跡も売っているらしいので、いろいろと不動産を売るコトでなんとかなっていった・・・のだろう。

1988年に小田原市立病院で逝去というコトで、小田原に所縁の深い皇室ではあった・・・と。

1921年 神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)卒業。

皇室で県立中学(高校)を卒業って、たぶん相当に珍しいんじゃね?

ってことは、小田原高校の敷地も閑院宮家の切り売りか?チト調べる・・・その昔は小田原駅の位置にあった・・・と、それが駅が出来るっていうんで移転した先が、小田原城城址宮内庁御料地)だった現在地というコトなんだな。

なんか、つまり城山という地名が付くトコロは、ナンダカンダで小田原城の史跡なんだろうから、皇室や宮内庁の名前が出てくるのだろう。

まあ・・・小田原ってえのは、その昔の大人たちはプライドがやたらと高かったけれど、こういう皇室繋がりみたいなトコロもあったんだろう。単に城下町というだけではなくて。

 

というワケ?で、昨日の画像から説明板を文字起こししていこうと思う。

コレは駐車場の案内板だけど・・・

利用時間が、10時から16時だという点は注意したほうがいい。ワガハイが通過する時にチェーンが張られているケースが多いのは、そ~ゆ~コトだったのだ!午後の散歩の為にココにクルマを停めて、フラフラと歩いていたらノッてしまい、この看板に書かれた全ての史跡を堪能して戻ったら・・・クルマが出せない!

今の季節ならば日没が早いけれど、夏場だと16時施錠はチト厳しいなぁ。でもここはお役所仕事なんで、場合によってはサッサと閉めてしまうかもしれないからねぇ。

このことは、一番注意しなければならん。

駐車場にあった「小田原城総構 ~ 上二重外張から板橋口一帯 ~」説明板

さあ・・・読みやすいように書き起こしてみる。

小田原城総構 ~ 上二重外張から板橋口一帯 ~
Fortification of The Odawara Castle - From Kami-Futaetobari(上二重外張)to Itabashi-Guch(板橋口)-

 小田原北条氏が本拠地とした小田原城は、東西約2.9km、南北2.2kmの
規模を誇る戦国時代最大級の城郭であり、その一番外側の守りは「総構(そうがまえ)」と
呼ばれています。この小田原城総構は、堀と土塁により天正18年(1590)の
豊臣秀吉による小田原攻めに備えて構築されたと考えられています。山口県
文書館所蔵の『小田原陣仕寄陣取図』(写真2)には、豊臣方からみた当時の
小田原城が描かれています。
 この周辺一帯は、箱根火山から続く尾根の一つ天神山丘陵に位置します。
この説明版の北西側には上二重外張(かみふたえとばり)という虎口(こぐち)がありました。虎口とは、城の
出入口のことで、上二重外張の北側では3条の堀を巧みに組合わせた小峯御鐘ノ台(こみねおかねのだい)大堀切が尾根を入念に分断し守りを固めている様子が窺えます。
上二重外張のさらに西側には、総構「香林寺山西(こうりんじやまにし)地区」や小田原城で最も標高が
高い区域である小峯御鐘ノ台が展開しています。またここから東側には、小田原城
三の丸外郭新堀(しんぼり)土塁があり、総構と三の丸外郭がこの周囲で連結しています。
なお、小峯御鐘ノ台大堀切や新堀土塁は、史跡小田原城跡として国に指定され、
公有地部分は見学することができます。新堀土塁を左手に見ながら南東へ向かうと、総構「二重外張(ふたえとばり)地区」や「伝肇寺西(でんしょうじにし)地区」、「鉄砲矢場(てっぽうやば)地区」を経て、近世の板橋口
に至ります。
 この周辺の発掘調査では、障子堀をはじめ、これらの堀の特徴や構造がとらえ
られています。中でも、伝肇時西第I地点では、障子堀の両側の法面が検出され、
幅16.5m、堀底幅6.5m、深さ10mという規模が明らかになったほか、土塁の
構築に際し、まず平坦面を造り出した後に版築状の盛土を行っていることが確認
されるなど、大きな成果が上がっています。

 

「史跡小田原城跡 三の丸外郭 新堀土塁」の説明板

史跡小田原城跡 三の丸外郭 新堀土塁
Shinboridorui citadel compound

 ここは、文献史料の記載から、天将15年(1587)には存在していたことが知られる
「三の丸新堀(さんのまるしんぼり)」に伴う土塁を中心とした場所です。「三の丸新堀」は小田原北条氏の時代の堀の名称として、唯一確認できるものです。総構(そうがまえ)ができるまでは小田原城の外郭
線でしたが、総構が構築されたことで、ひとつ内側の堀となりました。
 この場所は、総構構築後も総構との結節点にあたる重要な場所であり、小田原北条時代の三の丸土塁の形状がよく残されています。
 眺望にも優れており、南には相模湾伊豆大島を望み、西には箱根の山並みを眺めも目の前に見ることができます。小田原城の西端に位置することから豊臣秀吉が築いた石垣山城も目の前に見ることができます。

 

というワケで、書き起こすのも結構・・・疲れるなぁ。

 

小田原城 三の丸外郭新堀土塁

駐車場

クルマに乗って静岡県沼津市に行った。それは極めて若かった頃の話しだが、パーキングチケットを貼った。そして5分遅れでクルマに戻ったところ、軽パトが停まっていて駐禁を切られた。

「ああ・・・すいませ~ん。チョット待ってくださ~~い!」

そう叫びながら走って行ったけれど、無情であった。

「法律違反ですよ!いいですか!!違反なんですからね!」

そんな感じで恐ろしくきつく言われた。そんなキツイ言い方しなくてもい~じゃない?と思ったけれど・・・以来、沼津署が大嫌いになったコトは言うまでもない。それからは、沼津へ行くと少し遠くても駐車場にクルマを入れた。

パーキングメーターの誤作動というのもあった。それは都内銀座の裏通りだった。キチンと300円を投入し、60分以内に戻ったにもかかわらず「警告」のような紙が貼られていた。そこで管理者のナンチャラというトコロに電話して「パーキングメーターが壊れているのではないか?」と伝えた。

案外、簡単に「失礼しましたぁ~~!」ってな感じで終わってしまった。パーキングメーターの領収書は邪魔な感じもするが、この様にトラブった時の証拠にと、必ずボタンを押して受け取っているのだが、この時はその領収書のチェックも別にされなかった。

 

駐車禁止のトコロに停められた車両は迷惑である。しかも駐停車禁止のトコロとなると腹立たしいし、堂々と長時間停められてしまうと呆れるけれど。

でも、クルマって走った以上は何処かに駐車しなければならない。ただ自宅車庫から出発して走り回り、自宅車庫に戻るのでは・・・気晴らしドライブにしかならん。

駐車場敷地内に設置された説明板

だから、名所旧跡には近隣に駐車場があるのは有り難い。特に上画像の神奈川県小田原市の小高いトコロに位置する史跡へは、駅から徒歩でトホトホと上って行くのがベストかもしれないが・・・クルマでフラりと立ち寄れるという点で、ココは有り難いねぇ。

でも、ここは小田原競輪場の利用者も使われる的な看板になっているので、競輪開催日は使いモノにならんのだろう。それは予めチェックしてから行った方がイイな。

駐車場から道を渡ったトコロにも説明板

ここは小田原城に関係する史跡なのだった。こうした外郭・土塁はこの周辺のいたる所にあるワケで、そりゃあ外郭だけに本来は繋がって城を取り巻いていたわけだ。それが寸断されて一部がこんな感じで史跡保存されているのだった。

っていうか、ワガハイが若かった頃って・・・ここにナニがあったっけ?

記憶にございません。

こんな史跡として公開されてはいなかったと思うのだけど。

 

史跡として整備・・・ってな言い方があるけれど、整備!

ある意味、リフォームみたいな印象も出てくるんですけど?

 

説明板の先に進む

緩やかな登坂をテロテロと歩いていく。そして右に曲がるのだった・・・

視界が開けてきた

そこには空地があった。手入れされた空間だから、空地とは言わないのかもしれないけれど。海も見えてイイ感じの空間になっていた。

下は箱根板橋・早川の街並み 遠望は真鶴半島と伊豆半島方向

この日、晴れてはいたけれど視界はボヤケていた。この方角の視界がクリアーならば、クッキリと伊豆大島が、そしてもっと遠くに利島のシルエットが見えるはずだ。

実は利島遠望を目的にここまで来てみたんだが・・・余りにも微かな島影だった。望遠レンズも用意したんだけど、これは日を改めたい。

 

さて、ここは「小田原城 三の丸外郭新堀土塁」というらしい。地図的には以下リンク先参照。

https://maps.app.goo.gl/bh3Luyhg8jjFTg3L9

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 1

それで・・・かつてココにナニがあったか?というのが気になってしまう老人なのだった。目の前の風景を眺めつつ、脳味噌半分は過去の扉をこじ開けようとしていた。そして一つの名称が浮かび上がってきた。それは「アジアセンター」という名前だ。それがどの様な施設だったのかはワカラン。

ま、検索してみるか・・・

https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/Press/20120181-1.pdf

「史跡小田原城跡三の丸外郭新堀土塁(旧MRAアジアセンター)の公開」という資料が検索に引っかかった。それで史跡としての整備の経緯はザックリとだが分った。だがアジアセンターのコトはワカラン。まあ・・・いいや。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 2

少しずつ下っている。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 3

こんな感じで、別にナニがあるワケではないけれど・・・ここで各々の歴史知識に応じて妄想をする場だろう。意味を細かく知るためには解説が必要だし、或いは自力で資料を漁らねばならん。ま、とにかく外郭であるワケだ。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 4

振り返れば、先ほどまで居た場所が見える。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 5

この先を下ると「城山第二公園」があって「小田原短期大学」へ下って行けるようだ。そんなに下ってしまったら駐車場に戻るのが面倒なので、ココで来たルートを戻った。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 6

箱根外輪山は良く見えた。でも、海側は霞んでしまった。単に午後の光線状態の為かもしれないが。

小田原城 三の丸外郭新堀土塁 7

外郭だの土塁だのと分からなければ、謎のやけに整った窪みである。そうして考古学的価値を見出さなかった時代には壊されたのかもしれない。

これ、ブルーシートとか防水シートを貼っていたら・・・産業廃棄物処分場ですか?ってなコトにもなりかねない。或いは既にゴミ捨て場として埋められてしまうだろう。

 

しかしまあ・・・重機もない時代に、随分と頑張って大規模なモノを作ったもんだ。どれだけの矛盾を抱えた労役が、そこにあったんだろう?と、いまの労働基準を当てはめて思ってしまうワガハイだった。

 

追記(2025/12/13):説明板の内容を読みやすく書き出しました。読まれたい方は以下リンク先で参照下さい。

etsuro1.hatenablog.com

 

伊勢原の山火事

議員定数削減も、企業・団体献金の見直しも、な~~~んかフェードアウトして行ってしまいそうな気もする昨今、先日は神奈川県伊勢原市でも山火事が発生した。日向山と報道されたので「日向薬師」のコトが心配になったが、薬師さんよりも上の方で燃えているらしく、危機が差し迫っているワケではなさそうだった。とりあえず、なんの根拠もないけれど胸を撫でおろした。

もっとも佐賀関の火事でも島へ飛び火したのだから、離れていても安心は出来ないけれど・・・今回の伊勢原は強風は吹いていなかった。それは不安を和らげてくれる条件だった。

www.hinatayakushi.com

日向薬師は、716年に行基さんによって開創された真言宗のお寺だ。「鉈彫 木造薬師如来両脇侍像」は毎年1月1~3日と8日、4月15日に開扉となっている。

etsuro1.hatenablog.com

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過去記事を振り返ると、日向薬師のコトは結構書いているなぁ。

ここ、若い頃から「この場」が好きなのだった。

 

もっとも、延焼の心配は日向薬師よりも奥に位置するトコロの方が上で、以下サイトによれば「伊勢原市日向地内二ノ沢の頭(「浄発願寺 奥ノ院」西北西)〔日向2184付近〕」が発生場所と記述されている。これは説明の仕様がないことから「浄発願寺 奥ノ院」という名前が出るだけであって、ココが出火元ではないと思う。

ココから西北西の位置が出火したという意味だろう。というコトは、奥の院もかなり上ったトコロに位置するので、更にその上の尾根というコトになるのだろう。

www.city.isehara.kanagawa.jp

「浄発願寺 奥ノ院」の場所は以下リンク先参照。

https://maps.app.goo.gl/8gRjKM8UYbuZ19d4A

 

山火事が多いなぁ・・・大山への登山道の途中で火が出ているとすると、登山者の火の不始末が先ず疑いとなるのだろうか?落雷というような天気でもなかったし。それとも乾燥した枯木をクマが揺すっているうちに加熱して発火した・・・ってなコトは無いと思うけど。

日向薬師側から大山へ上るっていうのは、メインルートではないように思う。コレは大山登りにかなり熟達した人が選ぶルートの気がする。或いは正面ルートを嫌うワガハイのような輩か。フツウはケーブルカー利用で阿夫利神社下社を参拝して、そこから頂上の本社に向けてのルートを登るだろう。或いは頂上だけをサッサと極めるならば、ヤビツ峠ピストンという方法もある。

まてよ・・・午後3時前に出火確認というコトだから、朝早くから正面ルートで登って頂上で早めの昼飯を食って、それから日向薬師側に下れば・・・ゆっくりと歩いても午後2時台に、出火現場を通過するコトは出来るだろう。ハイキングの〆に日向薬師を参拝して、ソコからバスで伊勢原駅に向かうというプランは組めるなぁ。

ワガハイ、大山~日向は歩いたコトないけれど。

或いは「浄発願寺 奥ノ院」へ向かったついでに、少し上まで上がって遠望など楽しんでから下って帰った・・・ってなコトも考えられるか?とにかく、その過程で何らかの火を使ったと・・・今時、山で喫煙するような人は居るだろうか?

乾燥したフィールドで火を使うのは、灯油の撒かれた上で火を扱うみたいなモンだけどねぇ。

 

以下サイトを参照すると、「薬師尾根コース」というのが出火場所に位置するような気もする。コレ、ワガハイが丹沢歩きをしていた頃の地図には掲載されていないコースだけど。

isehara-kanko.com

まだ鎮火したという情報はないけれど・・・本日は自衛隊も加わってヘリ消火するらしいから、強力に消火が進むコトに期待しよう。

雨待ちとするならば・・・大山(阿夫利山)は雨乞いの山、なんだけどねぇ?

天気予報ではこの土日に、若干の降雨があるかもしれんが。

古い昭文社の地図を出して場所を推察する

早く消えますように。

 

ストレージ容量が不足しています・・・そ~だ

One Driveってさぁ・・・

意図せず、いつのまにやらOne Driveに保存されて、「ストレージ容量が不足しています」などと表示される。コレ、ワガハイ的にはOne Driveを切っているのだけれど、何故か勝手に復活しているのだ。そして、あれよあれよとクラウドにデータが保存されてしまう。

実に気に入らんので、そのデータを時々チェックしてOne Driveのデータを削除する。しかし、One Driveのデータは溜まっていくのだった。

 

その原因は・・・妻

 

マイクロソフトの自分のアカウントを持つのを嫌がる妻は、ワガハイの設定したもう一台のノートPCを専用に使っている(とにかく自分の個人情報を入力したくないのだった)。だから、妻のデータがドンドンとOne Driveに積み上げられていってしまうのだ。途中から妻にも注意を促し、One Driveの切り方も説明した。

だが、説明しても一度で理解出来るようならば苦労はしない。苦手な人には何回説明しても困難だとは思う。当人は切っているというけれど、One Driveにはデータが増していく。

そしてOne Driveの容量が90%を越えたから、アップグレードをしろ!と毎回表示し、「新しいメールが送受信出来なくなる」とか、半ば脅迫めいたコトも表示してくる。そして95%を超えた時に、再びワガハイはOne Driveのデータを総チェックし、いつの間にバックアップなんぞとっておった己のデータを削除した。

 

でも・・・容量に変化は見られない。なんか暫くは反映されないみたいだ。

 

ウザイ!

 

そして暫く経ったところで90%表示になったけれど・・・

ウソだぁ~~~!凄い量を削除して90%はね~~だろ?

 

ここ数ヶ月、ず~~っと90%ということでアップグレードを要求してくる。ナニがなんでもアップグレードさせようという魂胆だろうか?この執拗さは何処かの組織にも似ているか?

 

N   H   K

 

親が旅立ったり施設入所したりして、実家のテレビが不要になった。だからNHKの契約を解約したい。そういうコトは起こる。そして実に正当な解約理由だ。

だが、解約に関する情報がNHKのサイトから見つからん。トップページから入ろうとすると全く見えない。そこで検索で「NHK解約」とか入力して見つける。新規契約ならば、正面玄関から堂々と入って分かるようになっているのに。

契約っていうのは交わすのも大切だが、解約するのも同時に大切なのだ。なぜ同じ比率で扱わないのだ。全くもって不誠実なのだ。これはあらゆるトコロでその様になってはいるけれど。

 

固定電話の解約も、分かり辛いけどねぇ。

 

話しを戻すと・・・

クラウドの便利さは理解している。それを全否定する程の石アタマではい。だが使う必要性を今のトコロ感じていない。世の中的にはドンドンとデータセンターを増設して、ガンガン電力をそこで消費し、な~んか企んでいるんだろうが・・・

メリットと同時にデメリットも理解しなければならんし、契約と同じく等しい説明が必要だと思う。

データセンターは、絶対にナニか裏があるのだ。

おこめ券の配布がきな臭いように・・・な~~~んか怪しいニオイがアカラサマに漂っていると思うのだ。

 

とにかく、な~~んかOne Driveの件は、マイクロソフトさんよぉ・・・な~~~んか、気に入らんぜよ。

 

追記:本日のサムネイル画像が・・・たぶん真っ白に表示されるんだろうなぁ。コレってど~なのか知らんケド。ま、ネタがOne Driveだから。

 

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