ザリガニの鳴くところ
劇場公開日:2022年11月18日
解説・あらすじ
全世界で累計1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名ミステリー小説を映画化。
ノースカロライナ州の湿地帯で、将来有望な金持ちの青年が変死体となって発見された。犯人として疑われたのは、「ザリガニが鳴く」と言われる湿地帯で育った無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に捨てられて以来、学校へも通わずに湿地の自然から生きる術を学び、たった1人で生き抜いてきた。そんなカイアの世界に迷い込んだ心優しい青年との出会いが、彼女の運命を大きく変えることになる。カイアは法廷で、自身の半生について語り始める。
リース・ウィザースプーンが製作を手がけ、ドラマ「ふつうの人々」で注目を集めたデイジー・エドガー=ジョーンズが主演を務めた。音楽は「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」でアカデミー作曲賞を受賞したマイケル・ダナ。テイラー・スウィフトが本作のためのオリジナルソングを書き下ろしたことでも話題を集めた。
2022年製作/125分/G/アメリカ
原題または英題:Where the Crawdads Sing
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
劇場公開日:2022年11月18日
スタッフ・キャスト
受賞歴
第80回 ゴールデングローブ賞(2023年)
ノミネート
最優秀主題歌賞 |
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映画レビュー
4.0本当の私
カロライナの美しい湿地の地面や沼地の水面に近いアングルの画面は、人間がこの神秘に満ちた自然界から追放された存在なのだと感じさせる。
自然には善悪はない
時に弱者が強者を葬ることを湿地は知っている
人間が忘れてしまった生き抜く力と自然界のルールを観察しその一部として生活しつつ、人間界の価値観とも縁を切ることもできないカイアのアイデンティティは、彼女が人生を語る中で揺らぎから確信を深めていく。
そして、自らの生命を全うするために必要なことを選別していく。
サスペンスとしては伏線がたっぷりばら撒かれているし、ラブストーリーとしては王道だし、法廷ドラマとしてもオーソドックスな展開である。これらは全て人間界のロジックで駆動している場面である。
その場面のサブチャンネルで静かに確実に起動している自然界のロジックの気配は、身震いするぐらい残酷だが力強い生命、人生への讃歌も聴こえる。
何度もいう。
自然に善悪などないのだ。
そして善悪を分ける境界線は思っているより曖昧だ。
そして自然界は人間が思うよりも強かである。
4.0湿地の自然が彼女に教えた生きる術
ミステリー仕立ての物語だが、心に強く残るのはDVや社会からの疎外によるトラウマの根深さと、主人公カイアの内に秘めた強さだ。
序盤は殺人の容疑をかけられるカイア、彼女の幼い頃の苛烈な家庭環境といったシビアな描写が続く。テイトとの出会いによるひとときの安らぎ、そこからの無言の裏切り。そして、冒頭でその死が描写されたチェイスが現れる。ちょっと無神経そうな振る舞いと、結果的に死ぬことから考えて、嫌な予感しかせず緊張感が増す。
案の定彼はカイアの父と同じカテゴリーの男だった。こうなるとカイアが殺意を持つ理由は十分過ぎるほどだが、冒頭から心が萎縮するような彼女の生い立ちや湿地の家から出られない臆病さ、純粋さを見ていると、それを行動に移すような人間にはとても見えない。
だが、彼女は湿地の自然に生きる術を教わった少女でもあった。野生の生き物には道徳心がない、必要とあれば手段を問わずただ自分の命を守る。そういった本能が、湿地を友として生きてきた彼女の中に、繊細な心と一緒に自然に共存していたのだ。
それにしても……
公式サイトや予告動画の「結末は正真正銘の衝撃」「最後まで推理が止まらない」という煽り、あれは本当に無粋だ。あれを見ていたおかげで最初から穿った目で見てしまい、最後を待たずに犯人が読めて推理が止まり、衝撃が弱まってしまった。見終えてみれば、本作は犯人は誰かということは一番の主題ではないのに、本来感じなくていいはずの的外れな残念感。
どんでん返し映画の宣伝の難しいところかも知れないが、この作品はそこを売りにしなくても、美しい自然描写やカイアの半生をたどる物語だけでしっかり見応えがあるのだから、最後にびっくりという要素はせめてほのめかす程度にしておいてほしかったかな。そうして心構えなしに見た方が、あのラストから受ける衝撃はむしろ強まったと思う。
サイトや予告を見ずに鑑賞してびっくり出来た人はナイス判断ですよ。
カイアは真実を黙秘し通した。ある意味、幼い頃にも親切に接してくれたミルトン弁護士をも騙し、彼が抱いていたカイアの人間性に対する善意の解釈を利用したとも言える。
裁判の時に問われていた深夜のバス、帽子の繊維、結局あれらは全て的を射た指摘だったということだ。思えば浜辺近くでテイトと会う時から、カイアは足跡を消す仕草を見せていた。殺害現場に足跡などがなかったのは、犯罪者としての知恵というより、野生動物が止め足をするような、本能的な行動のようにさえ思えてくる。
裁判という緊迫の場で真実の証拠を指摘されても動揺を見せず(今思えば、ミルトンにstay calmのメモを見せられなくても彼女は取り乱さなかっただろう)、ノートに落書きするという余裕を見せていた。そして、年老いて亡くなるまで、夫となったテイトにさえ真実を打ち明けなかった。
彼女が隠し持っていたこのしたたかさ。人間社会から、親からさえ見捨てられた彼女が、自然から学んだ生きるための術なのだと思うと、薄っぺらい倫理観などとても語れなくなる。
原作では映画で省略された事件の真実に関する説明もあるようで、そちらも読んでみたい。
3.5原作者とその家族の“闇の奥”が、映画に影を投げかける
米南東部ノースカロライナ州の湿地帯、高さ十数メートルの見晴らし台近くで、金持ちの青年チェイスが変死体で発見される。青年と関わりのあった“湿地の娘”カイアが殺人の容疑者として逮捕される。彼女に不利な状況証拠と証言。本当にカイアが殺したのか、それともほかに真犯人が? あるいは転落による事故死の可能性は?
鑑賞して、カイアのユニークなキャラクター造形とストーリーの独創性に、この物語を書いたのはどんな人なのかと興味をそそられた。原作は2018年に発表された小説で、著者は1949年生まれ、出版当時60代後半の作家・動物学者のディーリア・オーウェンズ。米南東部ジョージア州の自然に囲まれた環境で育ち、生き物に興味を持つようになりジョージア大学で生物学を学んだというから、まずカイアのキャラクターに彼女の生い立ちが一部投影されたのは明らかだ。
ディーリアと共に同大学で生物学を学んだのが、後に結婚するマーク(彼にとっては再婚で、連れ子のクリストファーがいた)。研究者カップルという点から、カイアと親しくなるテイトのキャラクターにマークの一面が反映されたと推測できる。
オーウェンズ夫妻は1970年代半ばにアフリカに移住し、野生動物の研究と保護の仕事に携わった。ボツワナのカラハリ砂漠での日々の回顧録が、ディーリアの作家としての第1作になった。1990年代に夫妻はザンビアに移り、密猟の取り締まりに関わることになる。
話が怪しくなってくるのはここから。マークは現地の男たちを雇って偵察隊を組織し、暴力的な言動で隊員たちを鍛えた。そして隊員らは、密猟者を発見すると問答無用で射殺したと伝えられている。「地獄の黙示録」の元ネタであるコンラッドの小説「闇の奥」を思わせるような展開ではないか。1996年には米ABCニュースが「死のゲーム : マーク・オーウェンズとディーリア」と題した報道番組を放送したが、映像には密猟者が射殺される瞬間も収められていた。発砲した者は複数いたようだが、この殺害にマークの息子クリストファーが関わっていたのではないかと疑われている。また、射殺した密猟者の遺体はヘリコプターで運ばれ、沼地に落とされたという証言もある。死体は動物に食べられ、殺人の証拠が消えるというのだ。小説「ザリガニの鳴くところ」の発表後、高所から落下した死体、自然によって消される証拠といった類似点を指摘する声もあったらしい。
ディーリアは関与を否定している(その後マークとは離婚した)が、クリストファーは親元を離れてから近所の家の飼い犬を銃で撃ち殺したり、暴行事件を起こしたりしたと伝えられており、相当やばい人物であるのは間違いなさそう。となると、作品中のカイアの父親やチェイスの暴力的な傾向は、マークとクリストファーの暗い一面を反映させた可能性も十分考えられる。
ディーリア、元夫、義理の息子が抱えた闇が本作に投影されたのだとすれば、その独創性を手放しで評価する気にはなれないのだった。
4.5自然に善悪はない
自然と調和して生きる人の姿をミステリーとともに描いた秀作。自然の世界に善悪はない、ただ生きる知恵があるだけというセリフは象徴的だ。ミステリーということは殺人事件が起きるということだが、殺人という概念も、差別や偏見というものも、人間特有の善悪の基準なくしては生まれない。人生の大半を自然の摂理の中で生きてきた女性は、人間社会でいかに裁かれるのか、人間の法理と自然の摂理、両方を等価なものとして提示しているのが本作のユニークな点で、ヒューマニズムの外側に開かれている物語だ。
家父長的なものに抗うフェミニズムを描いた作品として理解するのもいい。だが、そういう家父長的なものもそれに対するフェミニズムも、所詮は人間の社会のものでしかない。生きる知恵があるだけの自然の摂理はそれよりも大きい。アメリカ映画でそういう感覚を描く作品は少ない。大変貴重な作品だと思う。
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