ちゅうぶくしし
刑事裁判を簡易的に再現し、その判決によって対象に罰(ペナルティ)を科す。
現在の領域に見られる「必中必殺」のうち、「必殺」の部分を省いた「必中」のみの古代の領域展開に近い領域。厳密には生得術式自体が領域展開をデフォルトで備えており、領域展開後も術式(ガベル)を使用できる、領域展開を前提とした術式。
これまで登場した領域のように掌印を結ぶのではなく、日車がガベルを打ち鳴らすことで発動する。
領域内は敵と自分を取り囲む様にギロチン台が立ち並ぶ法廷のような空間で、暴力行為が一切禁止され、日車の式神「ジャッジマン」を裁判官として下記の流れで擬似的な裁判を行う。
発言は言葉の暴力も一切規制されず自由にできるが、日車は現役の弁護士であり、下手な反論は法律に詳しくなければ命取りとなる(後述)。
検察(日車)側に一つだけ提供される情報資料。
防犯カメラの写真など、現実の裁判に則した形で提出されるが必ずしも罪を確定する物ではなく、むしろ重要なのは罪状に対する主張の方。
虎杖のパチンコ店入店の場合は、争点が「マジベガスというパチンコ店に客として入店したかどうか」であり、証拠が「入店したとされる同日に古物商(換金所)で換金しているところの写真」だったため、「そんな店は知らない」と主張すればマジベガスに客として入店したことは証明できず無罪になっている。
通常の裁判であれば、「いやマジベガス以外には入ってるんだろ、どのパチンコ店だって未成年入店禁止だぞ」と結局有罪になったり、再調査が行われるなどして「あの換金所はマジベガスしか使っていない」と判明すれば有罪となるが、"弁論は一度"なので被告を否定しきれなかった時点で関係がない(尤も未成年のパチンコ店への入店、プレイ程度で本当に刑罰を受けることはまずないが)。
刑法9条には「死刑」「懲役」「禁錮」「罰金」「拘留」「科料」「没収」が刑罰として記載されているが、現状判明しているのは以下の二つのみである。
効果は「一時的な術式の使用不可」であり、術式を持たない相手に対しては呪力そのものの制限に変わり基礎的な呪力操作に支障をきたす。
裁判対象が呪具を携帯している場合は、呪具が没収される。また術式と呪具の双方を持っている場合は呪具が優先して没収される。実際の法廷でも凶器は持ち込めないという点を反映しているのかもしれない。
また劇中描写から察するに、量刑がどれだけ重かろうと『没収』は1つの対象にしか発動しない。この為、術式や呪具を複数持つ相手に対しては効果が弱い。
現実では付加刑であり、それ単体では刑罰にならず主刑と重複する形で宣告される。……のだが主計を省略して「没収」を単体で課すことがある。
ジャッジマンはあくまで1つ1つの罪を取り上げて起訴する都合上、取り上げられるのが殺人罪等の重い罪だけとは限らず建造物侵入等の比較的軽い罪が取り上げられる可能性がある。そして後者の罪状ではどうしても『没収』までで『死刑』はまず取れない。
そもそも人を包丁で刺すなどして生じた傷害罪・殺人未遂などに付随して生じる「服が破れたことによる器物損壊罪」など、本来重い罪に吸収される細かい罪も取り上げられうる対象となるため、刑事裁判であれば間違いなく死刑であろう被告人(対戦相手)に対しても確実に『死刑』を取る方法が基本的にない。
作中では実際に虎杖悠仁への起訴に対して、複数の殺人容疑を差し置いて、建造物侵入容疑(未成年の入場を禁じる建物に侵入した罪)を先に取り上げてしまっている。
前述の通り対戦相手と日車双方の主張の後に六法に基づいた判決が下されるが、六法(≒日本の法律)ではまず想定されない状況に対してジャッジマンがどのような判決を下すかは日車自身にも分からない。
作中ではかつて平安時代に生きた宿儺の千年前の罪は取り上げられる対象となるのか(時効か否か)について議論が交わされ、日車は「明治時代に導入された近代法には時効が存在する」「刑事訴訟法の改正以降は殺人の時効はない」「1985年以前の殺人には時効が成立している」「平安時代の法体系には時効がない」「犯人が国外にいる場合時効の進行は停止する」等の知識を持ちつつも、受肉する前(≒死んでいた期間)の宿儺の扱い(死後あの世にいた期間を国外にいたと判定されて時効が成立しない可能性)については明確な答えを出せなかった。
もっとも、「平安時代を生き、死亡に近い形で呪物と化して現代に蘇った人間」などというイレギュラーな存在と対峙することによって露見した欠点であり、多くの人間の呪術師を相手取る場合は欠点と呼ぶほどのデメリットにはならないと思われる。
日車はジャッジマン自体が自身の術式に備わっている式神である以上、自分(日車)が「あり得なくもない」と思っているならジャッジマンもそれに準じるだろうと考察している。
術式名称のうち「誅伏」とは「罪を責めて服従させること」を意味する。名称全体の意味としては「罪を責めて認めさせることで死を賜る」と言ったところか。尤も、後述の通りこの領域自体には敵を直接死に追いやる効果(いわゆる「必殺」効果)は無い。『必中』効果のみ・術式自体が殺傷力を持たない・ルールの説明の3つの縛りで成り立っている領域とも予想できる。
この領域展開は刑事裁判の形式となっているものの、対戦相手(被告人)、証拠を踏まえて反論する日車(検察官)、判決を下すジャッジマン(判事)の三者だけで行われる。これは弁護士だけいない状態であり、刑事裁判としての形は破綻している。
また、被告人である対戦相手がペナルティを回避するには、提出された証拠が何か分からないまま百戦錬磨の法律家である日車からの反論を許さず、尚且つジャッジマンから無罪を勝ち取らないといけないという無理難題を押し付けられる状態となる。
よほど法律への知識や弁論能力に長けていなければ、領域に引きずり込まれた段階でほぼ事実上の有罪が確定してしまう。これでは対戦相手が不憫だが、日本の刑事裁判の有罪率99.9%のメタファーとも言えるものである。(国庫から無尽蔵に財と人的リソースを割いて面子をかけて押し切ってくる検察(日車)に対し、限られたリソースでなんとかしなければならない弁護士(被告人=対戦相手)という司法の不平等の表れという考察もある。ただ、日本では「確実に有罪とできる」と判断された場合しか起訴されないので、事件全体の4割しか起訴されていない)
ただし、虎杖は「これだけの能力なのだから術者にも不利な要素がある」と推測した上で第二審の存在に気づき、実際に第二審では虎杖が無罪を勝ち取ることは(弁論するだけなら)容易だったことから、もしかすると被告に有利な第二審を条件に入れるという縛りで第一審の検察に圧倒的に有利な裁判体系が成り立っているのかもしれない。
また、パチンコ店ならゴト(磁石や画面の殴打などの振動によって玉を操作する不正)行為の防止及び摘発のため、通路にある程度の死角はあれど「プレイ中の全客」が必ず画角に入るように複数監視カメラがセットされているはずなので、そちらを使えば「何と弁明しようが有罪」に出来たことを考えるとそういった「弁明による罪状逃れが不可能な決定的証拠は使用しない」縛りも存在すると考察できる。
弁護士という職業に由来した術式及び領域展開ではあるが、日車自身は相手の陳述を証拠をもって反論するため検察官に近い立場(虎杖もそう発言)。司法修習生時代に裁判官への転向を打診されていた過去があり、弁護士や検察官よりも判事向きと思われていたようだ。















