かべむらたいぞう
岡山県出身の漫画編集者。秋田書店の『週刊少年チャンピオン』を1970年代に少年漫画誌の部数トップに導いた名物編集長として知られ、下記のエピソードから豪快かつ凄みのある無茶苦茶な人物としても知られている。
1972年から1981年にかけての最初の『週刊少年チャンピオン』編集長時代には「ドカベン」、「マカロニほうれん荘」、「750ライダー」、「がきデカ」、「ブラック・ジャック」といったヒット作が生まれた。
体調を崩し辞任したが退任後から大幅に部数が落ちたため、1985年から1989年にかけて役員兼任の形で再度編集長を務めた。
1998年12月8日、64歳で死去。
編集長時代の部下には伊藤嘉彦(幻冬舎コミックス元社長)、沢考史(『週刊少年チャンピオン』9代目編集長)、奥村勝彦(『コミックビーム』元編集総長)らがいる。
肩で風を切って歩き、やたら唾を吐くなど、見た目はヤクザそのものだった。晩年はやや穏やかになったものの、部下が下手を打つと殴る蹴るは当たり前で、漫画家を怒鳴りつける事も多かった。
少年時代より素行不良でヤクザの盃も受けており、エンコ詰めで左手小指が欠損していた。将来を心配した壁村の両親が同郷だった秋田貞夫社長に相談し、1958年、日本大学卒業後秋田書店に入社。入社まで漫画を読んだことはなかったが、思い入れがない分、漫画はこうあるべきだと決めつけず、それがかえってよかったとインタビューで語っている。
編集会議で多数派ではなく少数意見を採用し、漫画雑誌の常識を次々と覆した。しかし内容について口出しする事は少なく、漫画家の自由に描かせていた。
情に篤く、敗者に再度チャンスを与えようとするところがあり、落ち目の手塚治虫に「死に水をとる」と称して連載させたり(その連載が「ブラック・ジャック」であり、見事に手塚は復活)、逮捕後の梶原一騎を使おうとしたりした(梶原には「ゴッドハンド」絡みで呼びつけられ恫喝された過去があった)。













