2014年(平成26年)
| 前回の午年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の午年 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 2002年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2026年 |
| 干支 | 午 | 巳(癸巳) | 午(甲午) | 未(乙未) | 午 |
ソ連崩壊後、初となる旧ソ連地域でのオリンピック。日本は1998年の長野大会に次ぐ、冬季五輪史上2番目に多い8つのメダルを獲得。詳しくは当該記事(→ソチオリンピック)を参照。
前年の香川・徳島両県への進出に続いて四国地方では3県目の進出となった。全国の都道府県では43番目の進出となる。
サッカー王国・ブラジルで開催された64年ぶりのワールドカップ。5大会連続5度目の出場となった日本はグループリーグで2敗1分となり、2大会連続の決勝トーナメント進出を逃した。優勝はドイツ。西ドイツ時代以来となる6大会ぶり4回目の優勝となった。詳しくは当該記事(→2014 FIFAワールドカップ)を参照。ドイツが準決勝のブラジル戦で記録した7-1のスコアも話題に(ミネイロンの惨劇・スクロールスコアの記事も参照)。
2014年は1980年代~1990年代より続いた番組を中心にして、相次いで長寿番組が終了した。
2014年春改編で、TBSテレビの平日朝の顔として君臨していた薬丸裕英と岡江久美子の情報番組「はなまるマーケット」(放送期間:17年6ヶ月)と、フジテレビの平日昼の名物番組でありギネス記録まで樹立したタモリ司会のバラエティ番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」(放送期間:31年6ヶ月)が終了。また、ヤンマーを象徴する企業キャラクターとなったヤン坊とマー坊を生んだ天気予報番組「ヤン坊マー坊天気予報」も54年10ヶ月の歴史に幕を閉じた。
ラジオでも、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の長い歴史の中でも最長放送期間を記録した「ナインティナインのオールナイトニッポン」(放送期間:20年6ヶ月)が9月25日の放送をもって終了した。こちらは岡村隆史のみの「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」にリニューアルされている。
2013年7月に1作目が発売された3DS用ゲームソフト「妖怪ウォッチ」のメディアミックス展開が本格的に開始。1月から放送の始まったテレビアニメ版が大人気となり、並行して販売の始まった玩具「妖怪メダル」は品切れが続出。買占めや転売などが起き、ニュースでも話題となるほどの大ブームに発展。流行語大賞にも選ばれた。
12月公開の劇場版は前売り券に限定メダルを付けた結果、50万枚が即完売。しかし、高額でネットオークションに出品されたため購入できなかったファンにより批判が起き、劇場来場者に「ダークニャンメダル」を500万名限定で配布するといった対応が行われるなど大騒ぎとなった。公開一ヶ月前には早くも第2弾の公開が決定するなど、今後もブームは続く模様。
ニコニコ動画においてもアニメのED「ようかい体操第一」を踊ってみた動画などが多数投稿された。
日向IC~都農IC間の開通により、宮崎県の延岡市~宮崎市を結ぶ高速道路が全線開通(約100km)。これにより、宮崎県北部の主要都市である延岡市と、県都の宮崎市が高速道路で結ばれた。
これに合わせて、4月1日より両都市間を結ぶ高速バス「ひむか号」が運行を開始した。宮崎交通とJR九州バスが共同で運行する。
また、3月8日に宮崎県内の北浦IC~須美江IC間、3月23日に福岡県内の苅田北九州空港IC~行橋IC間、12月13日に行橋IC~椎田南IC間(既に椎田道路として開通済みの区間含む)、12月21日に鹿屋串良JCT~曽於弥五郎IC間が開通した。
その後2015年3月21日に佐伯IC~蒲江IC間が開通し、大分米良IC(大分市)~清武JCT(宮崎市)間の移動が可能となった。
舞鶴若狭自動車道の小浜IC~敦賀JCTが開通、これにより全線開通した。これで、北陸対北近畿・山陰・中国地方への短絡路が完成した。
相模原愛川IC~高尾山ICの開通により圏央道経由で東名高速、中央道、関越道が結ばれた。
東日本大震災・及び福島第一原発事故の影響で、長らく通行不可だった常磐道の通行止め区間が再開通した。その後、未供用区間も順次開通し、2015年3月1日に常磐道の全線が開通した。
| 順位 | 楽曲 | 歌手名 | 発売日 |
|---|---|---|---|
| 1 | ラブラドール・レトリバー | AKB48 | 2014年05月21日 |
| 2 | 希望的リフレイン | AKB48 | 2014年11月26日 |
| 3 | 前しか向かねえ | AKB48 | 2014年02月26日 |
| 4 | 鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの | AKB48 | 2013年12月11日 |
| 5 | 心のプラカード | AKB48 | 2014年08月27日 |
| 6 | GUTS! | 嵐 | 2014年04月30日 |
| 7 | Bittersweet | 嵐 | 2014年02月12日 |
| 8 | 何度目の青空か? | 乃木坂46 | 2014年10月08日 |
| 9 | THEREVOLUTION | EXILE TRIBE | 2014年08月20日 |
| 10 | 気づいたら片想い | 乃木坂46 | 2014年04月02日 |
順位![]() | 楽曲 | 歌手名 | オリコン![]() | DAM![]() | JOY![]() |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | Let It Go〜ありのままで〜 | 松たか子 | 1 | 1 | 1 |
| 2 | 恋するフォーチュンクッキー | AKB48 | 2 | 2 | 2 |
| 3 | 千本桜 | WhiteFlamefeat.初音ミク | 5 | 11 | 3 |
| 4 | 残酷な天使のテーゼ | 高橋洋子 | 4 | 5 | 4 |
| 5 | 小さな恋のうた | モンゴル800 | 7 | 9 | 7 |
| 6 | ハナミズキ | 一青 窈 | 3 | 4 | 5 |
| 7 | 雪だるまつくろう | 神田沙也加、稲葉菜月 | 圏外 | 21 | 23 |
| 8 | 女々しくて | ゴールデンボンバー | 6 | 10 | 6 |
| 9 | 生まれてはじめて | 神田沙也加、松たか子 | 圏外 | 33 | 17 |
| 10 | 栄光の架橋 | ゆず | 8 | 8 | 9 |
| 1月3日 | やしきたかじん | 歌手、タレント。代表曲に「ラヴ・イズ・オーヴァー」「あんた」「やっぱ好きやねん」「東京」など。 歌手活動と並行して関西を中心に司会やラジオパーソナリティとしても活躍。「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで言って委員会」などの冠番組を持った。 食道がんで闘病後、芸能活動に復帰したが2013年5月より再休養していた。心不全のため死去。64歳没。 |
| 1月5日 | エウゼビオ | ポルトガルのサッカー選手(フォワード)。1960~70年代にかけて活躍、「黒豹」「黒い真珠」とも評され、同時期に活躍したペレと並び称された。心不全のため死去。71歳没。 |
| 1月11日 | アリエル・シャロン | イスラエルの軍人、政治家。第四次中東戦争で指揮官として功績を残し頭角を現す。政治家に転身後は国防相、外相などを歴任し、2001年に首相に就任。パレスチナへのイスラエル軍侵攻、ヨルダン川西岸地区への分離壁建築などを行う。 2006年に脳卒中を発症して昏睡状態となり政界を引退、闘病生活を続けていた。在任中は恰幅の良い堂々たる体躯が特徴だったが、晩年は体重が50kgまで落ち込むほどの衰弱ぶりだったという。85歳没。 |
| 淡路恵子 | 女優。1950~60年代に映画「この世の花」シリーズをヒットさせるなど映画に多数出演。結婚で一度は一線から退くが、1980年代後半に復帰してテレビドラマでも活躍した。 芸能界屈指のゲーマーであり、ドラゴンクエストシリーズのファンでもあった。食道がんのため死去。80歳没。 | |
| 1月15日 | 坂本眞一 | 実業家。JR北海道の第2代社長であり、2007年からは相談役。北海道・余市港100mの沖合で遺体となって発見。自殺とみられる。73歳没。JR北海道は2013年にずさんな安全管理から事故を起こすなどして度々国交省から改善指示を受けていた。 |
| 吉野弘 | 詩人。結婚式のスピーチでも引用されることの多い「祝婚歌」をはじめ、教科書にも採用された作品を多く残している。肺炎のため死去。87歳没。 | |
| 1月16日 | 小野田寛郎 | 元日本兵。1944年にフィリピンのルパング島に着任、玉砕を許さず最後まで連合国に抵抗するよう訓示を受けたこと、終戦後も任務解除の命令が届かなかったことから、1974年に投降するまで遊撃戦を続けていた。その後は一時ブラジルへ移住し、牧場経営も行う。 晩年は日本に帰国し、保守系の活動家として講演活動などを行う。肺炎のため死去。91歳没。 |
| 佐久間正英 | ミュージシャン、音楽プロデューサー。ベーシストとして参加した四人囃子の活動休止後、BOOWYなどのプロデュースを手掛ける。独特のピッキングフォームの持ち主で多くのギタリスト、ベーシストに影響を与えた。巡音ルカを使用したオリジナル曲も発表している。61歳没。 | |
| 1月17日 | 加藤精三 | 声優、俳優。吹き替えの創世期から活躍し、代表作に「巨人の星」シリーズの星一徹、「トランスフォーマー」シリーズのメガトロン、「ウルトラマン」シリーズのメフィラス星人などがある。膀胱がんのため死去。86歳没。 |
| 1月18日 | ファーギー・フレデリクセン | ミュージシャン。アメリカのロックバンド、TOTOの2代目ボーカルとしての活動が著名。元体操選手という異色の経歴を持っている。2012年には「Voice Of AOR」のメンバーの一人として再来日を果たした。2010年6月に癌を公表し、闘病を続けていたが死去。62歳没。 |
| 1月23日 | 小林カツ代 | 料理研究家。1960年代より活動をはじめ、NHK「きょうの料理」などに出演。多数の料理本を執筆、手軽だが手抜きでない料理を中心に扱い、長きにわたって主婦層の強い支持を得た。多臓器不全のため死去。76歳没。 |
| JewWario | アメリカのゲームレビュアー。非英語圏ゲームのレビューを行う「You Can PlayThis」という番組のホスト役として活躍。日本製ゲームも多くレビューし、それらを日本語に翻訳した動画も多数投下されている。自宅バスルームで銃を使い自殺。42歳没。 | |
| 1月27日 | 塚田正昭 | 声優、俳優。吹き替え草創期から活躍する声優の一人。近年は「おじゃる丸」の小林茶や「BLEACH」の山本元柳斎重國役としても活躍。吹き替えでは「リーサル・ウェポン」シリーズのマーフィー警部役など。妻は声優の野沢雅子。74歳没。 |
| 永井一郎 | 声優、俳優。1969年の放送開始以来45年間勤めた「サザエさん」の磯野波平役が特に著名。その他の代表作に「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺、「ハリー・ポッター」シリーズのダンブルドア校長など。「うる星やつら」をはじめとした高橋留美子作品の常連でもあった。声優界の重鎮として、声優の待遇改善を求める活動も行った。ナレーション収録で訪れた広島市のホテルで虚血性心疾患のため急死。82歳没。磯野波平の声は2月9日分まで収録済みで、以後波平役は茶風林が引き継ぐこととなった。 | |
| 坂東眞砂子 | 小説家。代表作に直木賞受賞作の「山妣」、映画化もされた「死国」などがある。2006年に執筆したコラムが動物虐待ではないかと物議をかもしたことも。55歳没。 | |
| ピート・シーガー | アメリカのミュージシャン。フォーク歌手として1940年代より活躍、ウィーバーズのメンバーとして一世を風靡した。政治的メッセージの強い曲も多く、第二次世界大戦や公民権運動、ベトナム戦争などアメリカ社会の転換点で足跡を残す。後年は環境活動家としても活躍。94歳没。 | |
| 2月5日 | フィリップ・シーモア・ホフマン | アメリカの俳優。90年代からドラマ、映画、舞台と幅広く活躍。2005年の映画「カポーティ」は自らが立ち上げた映画制作会社の第一作で、自身もアカデミー主演男優賞を受賞した。一方で薬物・アルコール依存に苦しみ、死因も薬物の過剰摂取とみられている。46歳没。 |
| 2月7日 | 牧野隆志 | ミュージシャン。「携帯哀歌」「ドラえもんのうた」が代表曲として知られている東京プリンの作曲担当として活躍していた。2010年から肺腺癌を患い、以後仕事をセーブして治療に専念していたが死去。49歳没。 |
| 2月10日 | シャーリー・テンプル | アメリカの女優(子役)、外交官。5歳時に主演した「可愛いマーカちゃん」で、一躍大恐慌にあえぐ全米を熱狂させる子役スターに。6歳でアカデミー特別賞を受賞し、今でも残るアカデミー賞受賞最年少記録を持つ。10代のうちに女優としては一線を退くが、2度目の結婚以降はガーナ大使を務めるなど外交官としても活躍。その間もかつての映画がリバイバルヒットを繰り返した。85歳没。 |
| 2月14日 | No.1個体 | 鳥羽水族館で飼育されていたダイオウグソクムシ。通称1号、1号たん。5年以上に渡って与えられた餌を食べなかったことが話題となり、ニコニコ生放送でも餌を食べるかどうかを監視する生放送が行われて人気を博した。死を受け、追悼生放送が19日に行われた。 |
| 2月15日 | 仲田龍 | リングアナウンサー。ジャイアント馬場の秘書も長らく務めた。三沢光晴とはほぼ同時期に全日本プロレスに入団した盟友であり、プロレスリング・ノアの立ち上げも共に関わった。リングアナとしては2008年頃に一線を退き、以後は相談役やGMなどの立場で経営に関わる。心筋梗塞のため死去。51歳没。 |
| 2月24日 | ハロルド・ライミス | アメリカの映画監督・脚本家。時に自作に出演することもあり、その代表作が「ゴーストバスターズ」であった。その他に、監督・脚本家としては「アナライズ・ミー」が、俳優としては「恋愛小説家」などが著名作。血管疾患による合併症のため死去。69歳没。 |
| 2月26日 | パコ・デ・ルシア | スペインのギタリスト。フラメンコ奏者として多くの実績を残しながら、70年代にはジャズの分野にも進出し、こちらでも支持を得た。滞在先のメキシコで心臓発作のため死去。66歳没。 |
| 山本文郎 | アナウンサー。TBSで音楽番組や報道番組を中心に活躍し、70~80年代にかけては夕方の顔として親しまれた。定年退職後、フリーアナウンサーとしても活動。妻に先立たれていたが、2008年に73歳で再婚し話題となった。肺胞出血のため死去。79歳没。 | |
| 2月28日 | まど・みちお | 詩人。幼少期に一家で台湾に渡り、そこで詩人としての活動を始める。戦後は雑誌「チャイルドブック」の創刊に携わるかたわら、詩や童謡の発表を続け、出版社を退職後に詩人としての活動に専念。「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」「一年生になったら」など、今でも子供たちに親しまれる童謡を多く残した。老衰のため死去。104歳没。 |
| 3月1日 | アラン・レネ | フランスの映画監督。アウシュビッツ強制収容所を扱った初の映画の一つとされる「夜と霧」や、広島を舞台に制作された「二十四時間の情事」が著名。ともに、カンヌ国際映画祭では友好国を侮辱する恐れがある、として出品を取り下げた経緯がある。91歳没。 |
| 3月3日 | ビル・ロビンソン | イギリスのプロレスラー。「人間風車」の異名を誇り、日本のマットでも1960~80年代にかけて活躍した。引退後も日本に拠点を置いて後進の指導や育成に携わった時期も。75歳没。 |
| 安井昌二 | 俳優。1956年の市川崑監督の映画「ビルマの竪琴」の水島上等兵役として主演し、一躍人気を博す。その後もテレビドラマや舞台で活躍。急性心不全のため死去。85歳没。 | |
| 3月6日 | フランク・ジョーブ | アメリカの整形外科医。1974年にドジャースの投手であったトミー・ジョンに対して行った肘の腱の再建手術は後に「トミー・ジョン手術」として多くの野球選手を故障から復活させ、スポーツ医学の名医として日本での知名度も高かった。「実況パワフルプロ野球」シリーズに登場するダイジョーブ博士の元ネタである。88歳没。 |
| 3月8日 | あきやまるな | 声優。NHKの「ざわざわ森のがんこちゃん」のがんこちゃん役が代表作。他にも様々なアニメでバイプレーヤーとして活躍した。虚血性心不全のため死去。61歳没。 |
| 3月11日 | 吉田栄勝 | レスリング選手、指導者。現役時代は全日本選手権を制した。引退後は娘である吉田沙保里をはじめとして多くの選手を指導した。クモ膜下出血のため死去。61歳没。 |
| 3月14日 | 宇津井健 | 俳優。1950年代から俳優として活躍。「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズや「ザ・ガードマン」、「赤い~」シリーズ、「さすらい刑事旅情編」、「渡る世間は鬼ばかり」など、ロングヒットした作品に多く出演。慢性呼吸不全のため死去。82歳没。 |
| 3月23日 | アドルフォ・スアレス | スペインの政治家。独裁者であったフランシスコ・フランコの死後に、内相代行として評価を高めると国民運動事務総長として政治結社法の採択に大きく貢献。その後首相となり、スペインに議会制民主主義を定着させた。81歳没。 |
| 3月27日 | 山本俊彦 | 歌手。「翼をください」をヒットさせた「赤い鳥」のメンバーであり、その赤い鳥が分裂して生まれた「ハイ・ファイ・セット」のメンバーとして「卒業写真」「愛のフィーリング」などをヒットさせた。「ハイ・ファイ・セット」解散後は音楽プロデューサーとして活動。虚血性心不全のため死去。67歳没。 |
| 3月30日 | 蟹江敬三 | 俳優。活動初期は「Gメン'75」などの刑事ドラマの存在感ある悪役などで人気を博すると、その後は様々な役柄を好演して個性派俳優としての地位を確立。名バイプレイヤーとしてナレーターとしても活動した。胃がんのため死去。69歳没。 |
| 4月6日 | ミッキー・ルーニー | アメリカの俳優。子役として第二次大戦以前から活躍。「ティファニーで朝食を」では日系人という設定のユニオシを演じる。アメリカ映画におけるステレオタイプな日本人を演じたが、これが後に差別的表現だとされて批判をされたことも。シリアスからコメディまで幅広くこなした演技派でもある。結婚は8度した。93歳没。 |
| 4月8日 | 周富徳 | 料理人。横浜中華街出身で、18歳から料理の道に入ると修業を積んで有名広東料理店の総料理長を歴任、一部からは「炎の料理人」との異名もとる。テレビ番組でも人気を博し、「料理の鉄人」での道場六三郎らとの対決も話題を呼んだ。誤嚥性肺炎のため死去。71歳没。 |
| 4月11日 | 佐野実 | 実業家。1986年にラーメン店「支那そばや」を創業し、人気店へと育て上げる。ラーメンへのこだわりと、店内での携帯電話の禁止など当時としては先駆的な客に対する要求の高さでも知られた。テレビ番組でも活躍し、「ラーメンの鬼」という異名を定着させた「ガチンコ!」が特に著名。多臓器不全のため死去。63歳没。 |
| 4月16日 | トウカイトリック | 競走馬。長距離レースを得意とし、約10年という非常に長い期間ターフを駆け抜けた不屈のステイヤーで、生涯走破距離は175.1kmにも及んだ。引退後は天皇賞で誘導馬を務めるために調教されていたが、訓練中に右前脚を骨折、予後不良となった。12歳没。 |
| 4月17日 | ガブリエル・ガルシア・マルケス | コロンビアの小説家。新聞記者を経て作家活動を始めると、1967年に発表した「百年の孤独」が世界的ベストセラーとなり、日本でも多くの作家に影響を与えた。1982年にはノーベル文学賞を受賞。87歳没。 |
| 4月25日 | フランセスク・ビラノバ | スペインのサッカー選手、サッカー指導者。選手としては芽が出なかったものの、監督としては2012-13シーズンにFCバルセロナの監督に43歳の若さで就任。病気による休養がありながら、チームをリーガ・エスパニョーラ史上最多タイの勝ち点獲得へと導くが、病気により指揮はこの1シーズンのみとなった。45歳没。 |
| 4月29日 | ボブ・ホプキンス | イギリスの俳優。1986年の映画「モナリザ」でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞するなどしたが、日本では「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」でマリオを演じたことが著名か。ただ、当人はマリオを演じたことについて「悪夢だった」とマスコミに語ったことも。晩年はパーキンソン病に侵されていた。71歳没。 |
| 4月30日 | 渡辺淳一 | 作家。元々は医師であった。直木賞受賞作である「光と影」でその名が知られるようになると、流行語にもなった「失楽園」や「愛の流刑地」など恋愛をテーマに据えた作品を多く残した。2007年にはエッセイ集のタイトルでもあった「鈍感力」で2度目の流行語大賞を受賞。前立腺がんのため死去。80歳没。 |
| 5月1日 | 矢田耕司 | 声優、ナレーター。青二プロダクション創立時のメンバーでもあった。比較的高齢のキャラクターを演じることが多く、代表作に「宇宙戦艦ヤマト」シリーズのタラン将軍、「ドラゴンボールZ」の人造人間20号などがある。「マジンガーZ」では次回予告などのナレーションも担当。慢性腎不全のため死去。81歳没。 |
| 5月8日 | 逢坂じゅん | 漫才師、俳優。1968年結成の漫才トリオ、「レツゴー三匹」ではレツゴーじゅんとして主にボケを担当し、一世を風靡した。80年代以降は舞台俳優としても活躍の幅を広げる。脳出血のため死去。68歳没。 |
| 5月10日 | 岩井直溥 | 作曲家、編曲家。様々なポップス音楽を吹奏楽用に編曲し、70年代よりほぼ毎年発表され続けた「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」シリーズの中心メンバー。呼吸不全のため死去。90歳没。 |
| 5月12日 | ハンス・ルドルフ・ギーガー | スイスの画家、デザイナー。1973年にリリースされ、世界的にヒットしたエマーソン・レイク・アンド・パーマーの「恐怖の頭脳改革」のジャケットデザインで注目を集め、その後映画「エイリアン」「スピーシーズ 種の起源」などの作品でもデザイナーを務めて脚光を浴びた。74歳没。 |
| 5月15日 | 鈴木則文 | 映画監督、脚本家。60年代から80年代にかけて映画、テレビドラマで監督や脚本を多く手がけた。代表作にデコトラブームの火付け役となった「トラック野郎」シリーズがある。脳室内出血のため死去。80歳没。 |
| 瀬尾脩 | 撮影技師。長きにわたって宇宙刑事シリーズやメタルヒーローシリーズの撮影を担当。白黒映画時代には東映のオープニングロゴ(荒磯に波)の撮影も行った。82歳没。 | |
| 5月18日 | 魁傑(17代放駒) | 元大相撲力士。現役時代の最高位は大関で幕内最高優勝が2回。初土俵から引退まで休場がなく、ガチンコを貫いたことで「クリーン魁傑」の異名も。それを買われてか、野球賭博問題で前任の理事長退任後に日本相撲協会の理事長に就任。その後発生した八百長問題の収拾に奔走した。虚血性心疾患のため死去。66歳没。 |
| 5月25日 | ヴォイチョフ・ヤルゼルスキ | ポーランドの軍人、政治家。長く国防大臣を務めた後、首相に就任。折からの民主化運動に対し、ソ連介入を避ける意味合いも込めて戒厳令を発令。この決定は現在も賛否が分かれている。戒厳令の解除後、民主化の進むポーランドで長きにわたって国のトップを務めた。脳梗塞のため死去。90歳没。 |
| 5月29日 | 原貢 | アマチュア野球指導者。1965年に無名の三池工高(福岡)を率いて甲子園初出場初優勝を果たす。その手腕が評価され東海大相模高(神奈川)の監督に就任、原辰徳との「親子鷹」も話題に。その後は東海大学の監督にも就任。孫である菅野智之がドラフトで北海道日本ハムファイターズの強行指名を受けた際の発言が物議をかもしたことも。心不全のため死去。79歳没。 |
| 6月4日 | ドン・ジマー | アメリカの野球選手・指導者。選手時代は「ポパイ」の愛称で親しまれ、現役最晩年では日本の東映フライヤーズでもプレー。指導者としても4球団で13年にわたって監督を務めた他、ニューヨーク・ヤンキースではベンチコーチとして黄金時代を支えた。ヤンキースのコーチ時代にダッグアウト内でファウルボールの直撃を受け、以後防護ネットが設置されるきっかけを作った。83歳没。 |
| 林隆三 | 俳優。1970年代より多くのドラマ・映画に出演し、その演技が高い評価を受ける。1977年には「竹山ひとり旅」で第1回日本アカデミー賞の主演男優賞を獲得。代表作も多いが、ニコニコ的に有名なのは「世にも奇妙な物語」の「最後の喫煙者」など。5月下旬に行ったコンサートの後に倒れ、その後容体が悪化。腎不全のため死去。70歳没。 | |
| 6月6日 | 三瓶明雄 | 農業指導者。日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」内の企画「DASH村」においてTOKIOのメンバーらと共に村の開拓に携わり、その柔和な人柄と農業に対する真摯な姿勢から人気を集めた。東日本大震災に伴う福島第一原発の事故でDASH村が計画的避難区域に指定された後も、日本各地をTOKIOと共に回る「出張DASH村」に出演した。急性骨髄性白血病のため死去。84歳没。 |
| 6月8日 | 桂宮宜仁親王 | 皇族で今上天皇の従兄弟。NHKに嘱託で勤務していた"サラリーマン"であったことでも知られる。1988年に桂宮家を創設した直後に倒れ、以後は車イスで公務にあたっていたが、2008年以降は度重なる病気で入退院を繰り返していた。急性心不全のため薨去。66歳没。 |
| 6月9日 | ボブ・ウェルチ | アメリカの野球選手。投手としてメジャー通算211勝、1990年には27勝を挙げ、サイヤング賞を受賞。以後、2013年シーズン終了に至るまでメジャーリーグでシーズンで25勝以上を挙げた投手は出ていない。心臓発作のため死去。57歳没。 |
| 6月11日 | 森田富士郎 | 撮影技師、撮影監督。「大魔神」シリーズでは、当時先端の技術であったブルーバック合成を独自に研究。この他、建物の崩壊シーンなどを2.5倍の高速で撮影するなどしてリアリティの高い作品を完成させた。神経膠芽腫のため死去。86歳没。 |
| 6月15日 | ダニエル・キイス | アメリカの作家。1959年に発表された「アルジャーノンに花束を」が特に著名。その他にも解離性同一性障害をテーマにした作品を残し、実在の人物であるビリー・ミリガンを扱った一連の作品でいわゆる多重人格者の存在を広く世に知らしめた。86歳没。 |
| 6月16日 | トニー・グウィン | アメリカの野球選手。現役時代は20年を全てサンディエゴ・パドレスで過ごす。首位打者を8度、最多安打を7度記録し、3000本安打を史上3番目のスピードで達成。野球殿堂にも資格を獲得した初年度に100%に近い得票を集めて殿堂入りした。睡液腺癌のため死去。54歳没。 |
| 6月26日 | ハワード・ベーカー | アメリカの政治家。ウォーターゲート事件の際に上院に設置された特別委員会の副委員長としてニクソン大統領を追及し、評価を高める。親日派としても知られ、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の2001年から4年間にわたり駐日大使を務めた。任期中にはアメリカ同時多発テロ事件が発生。日米間の調整に奔走した。88歳没。 |
| 6月27日 | 斎藤晴彦 | 俳優。舞台や特撮を中心に活動していたが、1980年代にKDDのCMでクラシック音楽の替え歌を披露して注目を集め、人気番組「11PM」の司会も担当した。お蔵入りとなってしまったが、「フルメタル・ジャケット」の吹き替え版ではハートマン軍曹を演じていた。心不全のため死去。73歳没。 |
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