永井一郎とは、日本の男性声優、俳優である。最終的には青二プロダクションに所属していた。
1931年5月10日生まれ、大阪府出身。京都大学卒で、電通に勤務していた経歴を持つ。
若い頃は大島渚作品にも出演するなど俳優活動を行っていたが、回ってくるのは脇役ばかりだった。そんな最中にアフレコ業の存在を知り、「アテレコなら演者の体格など関係なく役がもらえる」と、徐々に声優業へとシフトしていった。
中年から老人の役を演じる。一般では1969年の放送開始から40年以上にわたって演じた『サザエさん』の磯野波平が有名。
「声優の前に俳優、芝居の基本ができてないと意味が無い」といった持論があり、アニメの仕事専門のいわゆる「アイドル声優」たちに対し舞台などで演技を磨け、と苦言を呈している。
声優がアニメや映画吹き替えの仕事をするときは、原則として作品の長さが報酬の基準となる(声優が個々に設定している「ランク」も影響するが)。つまり台詞の多い少ないは報酬金額には影響せず、台詞読みや原稿の朗読量が少ないほうが楽にギャラがもらえることになるのだが、芝居好きの永井は、自分より台本の分厚い共演者のことをよく羨んでいたという。
またアニメやゲームのみならず、ナレーションや吹き替えなど様々な仕事をこなしている。
特に『機動戦士ガンダム』のオープニングや次回予告のナレーションはファンや共演者にも絶賛されるほどの名ナレーションだが、永井はこの仕事を「以前まではおっちょこちょいな老け役ばかりだったから急にシリアスな仕事を任されてしまった」と心底苦労を重ねながら成し遂げた成果である事を、シャア役・池田秀一氏との対談にて語っている。
- 永井:(前略)それまでやってきた仕事と全然違うから、最初の台本を読んだ時に「ああ、どうしよう」って。テストの時も「監督はきっと不満だろうな」と思ったし、今までこういう事はやって来なかったから困ったなと。解決する方法もないまま「本番いきまーす!」って言われて、仕方なく台本持ってマイクの前に立って、ふと床を見たら、仁丹くらいの小さな地球が見えたんだよ。その時、スーッと神の高みにまで突然上がっていく感じがして、「神の目線で、戦争をしている人間のアホさ加減を見てやればいいんだ」と思ったんだね。その後、台本を見ながら喋ったのかどうか分からないくらい、じっと仁丹の地球を見ていた気がする。「宇宙世紀0079…」っていうのを、「バカモン!」って感じで高みから見下ろしながら演じたら、OKが出た。
- 池田:僕の拙い本(『シャアへの鎮魂歌』)にも書いていますけれど、永井さんのナレーションで『ガンダム』という世界の方向性が決まったと思っていました。だから、永井さんが現場でそんなに苦労されていたとは思いもしなかったですね。
- 永井:あの時の私は本当に運が良かった。 (後略)
素顔はダンディさを醸し出す容姿で、収録現場では背広のスーツ姿だった他にかつて演じたド根性ガエルの教師生活25年がトレードマークの町田先生に近いとも。趣味もフラメンコギターや絵画やビリヤードと多趣味。
2014年1月27日、宿泊先の広島市内のホテルの浴槽で倒れているところを発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。82歳没(享年84)。
死因は虚血性心疾患であった。この日は広島のローカル番組のナレーション収録で訪れていたらしく、最期まで声優として精力的に活動し続けていたと言えよう。
晩年、番組開始当初から「情報7days ニュースキャスター」にもナレーションとして出演しており、死去した週には追悼として特集が組まれた。
同番組では何度か波平像の髪が抜かれるニュースが報道されているが、この際永井は、他局なのにも関わらず番組中で名文句である「バカモーン!」を披露している(厳密には「バッカモーン!」と言った)。
さらにスタジオからこのニュースについてコメントを求められると、日本全国に「一本の髪の毛の貴重さ」を控えめに訴えている。その後のサザエさんに関する報道は控えめになるが、サザエさんである加藤みどりが天皇陛下に会う、といった報道では「銅像の波平(もちろん永井一郎)」がサザエ(加藤)に言葉を贈ったことがある。
なお、逝去の報道があった際には件の波平像の前には永井の死を悼み献花がされていた。告別式では弟・永井二郎氏の呼びかけで参列者達による波平の名台詞『バカモーン!』の中、出棺し見送られていった。
彼の急逝はサザエさんの収録現場でもやはり影響を及ぼしており、波平の後任がまだ決定しない内に行われた収録現場では冨永みーなが号泣してしまい、加藤みどりが冨永を叱咤激励して収録を行ったという。
作品は五十音順で表記されている。
【スポンサーリンク】