平安時代などの頃は、人の名前は、小野小町「おののこまち」や菅原道真「すがわらのみちざね」と姓と名の間に「の」を付けて呼んでいたのに対し、戦国時代の頃は、織田信長「おだのぶなが」や武田信玄「たけだしんげん」と「の」を付けずに呼んでいます。いつ頃からなぜ「の」を付けずに呼ぶようになったのですか?

日本史 |日本語・212閲覧・xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

ベストアンサー

複数の先行回答者様が既に答えられてますね朝日新聞の記事が理解し易いと思われますので貼っておきますhttp://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2014121800001.html簡単に記すと源氏を名乗り源氏長者と認められた徳川家康の正式名称は源朝臣家康(源のあそん家康)→朝廷の臣、源氏の家康であり同じように信長は平の信長朝廷より豊臣の賜姓を受けた秀吉は豊臣の秀吉が正式名称となります例えば田中という家があり、その家に明夫という人が居れば「田中明夫」佐藤という家に明夫という人が居れば「佐藤一郎」となりますこれは現代と同じで、人物個人を表す名称が明夫でその人物の素性(家柄)を表すのが田中や佐藤です昔も素性と個人の両方で人物を特定する目的で平の○○や、藤原の○○といった表現をして「私は平氏の○○」ですと姓(素性)+個人名で識別してましたしかし時代が降ると、当然に名家の子孫、一族は拡大し肥大します膨れあがった一族内で、更に素性を識別する為に付け足されたのが苗字(名字)であり多くは土着した土地を苗字として名乗ってます河内源氏長者の嫡子、源頼朝は源(源)を名乗ってますが、鎌倉を拠点とすると「鎌倉殿」と呼ばれ頼朝の従兄弟の義仲は、父義賢が討たれると信濃の木曽谷に落ちのび中原兼遠に養育され木曽義仲と呼ばれるようになってます藤原氏で一条通りに居を構えた者は一条様と呼ばれ、一条を名乗るようになり九条通りなら九条様同様に加賀を治めた藤原氏は加藤を名乗ったりしてます要は、姓(姓)であれば氏族名の後ろに「の」を付け個人名苗字の場合は付けないと云うのが原則です

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

なるほど。よくわかりました。呪術廻戦の五条悟も先祖は五条通りに居を構えていたのかも知れませんね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2/14 2:18

その他の回答(4件)

他の回答で「姓(かばね)、氏(うじ)、苗字」などの違いは説明がありますので、いつ頃から「の」を付けずに呼ぶようになったかですが・・・。歴史を勉強している中で、各時代で習う人名を取り上げていきます。飛鳥時代・・・「蘇我馬子(そがのうまこ)」「物部守屋(もののべのもや」 「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」奈良時代・・・「藤原不比等(ふじわらのふひと)」「和気清麻呂(わけのきよ まろ)」平安時代・・・「大伴家持(おおとものやかもち)」「平将門(たいらのまさかど)」「藤原道長(ふじわらのみちなが)」「源義家(みなもとのよしいえ)」鎌倉時代・・・「源頼朝(みなもとのよりとも)」「北条時政ほうじょうときまさ)」「千葉常胤(ちばつねたね)」「足利尊氏(あしかがたかうじ)」室町時代(南北朝)・・・「足利義満(あしかがよしみつ)」「楠木正成くすのきまさしげ)」「江戸時代・・・「徳川家光(とくがわいえみつ)」「吉良義央(きらよしお)」「大石良雄(おおいしよしお)」*皇族や天皇は別です。ざーっと見てみると、どうやら平安時代末期から鎌倉時代の人物は、「の」が付く人物と付かない人物が混在していますね。そうです、平安時代末期にそれまでの「氏」で呼称していた名前を、地名を中心に苗字で呼ぶ人物が増えてきました。例えば、桓武平氏が臣籍降下して坂東へ移住した時には、一族は皆「平」でした。関東には「平」さんだらけです。それを区別できるように「北条」「千葉」「上総」など本拠地の地名を取って苗字にしたのです。朝廷内でも「藤原」さんばかりで、どこの藤原さん?となった時に、一条に住んでいる藤原さんとか、官職が「木工助」の藤原さん(工藤氏)とか、近江に住んでいる藤原さん(近藤)などと呼ぶようになったのです。徳川家康の本名は「源朝臣徳川内大臣次郎三郎家康」となります。この場合、源の後には「の」が入りますが徳川の後には入りません。例外としては、豊臣秀吉です。「とよとみひでよし」と「の」を付けませんが、本来は「とよとみのひでよし」です。「豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉」ですね。ところが豊臣は新たに下賜された「氏」であるため、その時代は「の」を付けづに呼ぶ人物ばかりなので、秀吉も「の」を付けてないのです。

なるほど。平安時代末期から鎌倉時代に「の」を付けずに呼ぶようになったんですね。

小野、菅原、藤原、平、源、橘、安倍、大江などは「氏」。「姓(カバネ)」というのは大間違い、姓は氏に付属する尊称で真人、朝臣(あそん)、宿禰など。織田、武田、足利、北条、徳川などは名字。法則としては氏の後には「の」を付けて、名字の後には「の」を付けない。理由は説明しないつもりでいましたが、間違っている説明をしている方がいるので。本来「の」は上で挙げた「氏」と「姓(カバネ)」の間に入れる格助詞です。格助詞とは名称(氏)と尊称(姓)を関連付ける為の大和言葉での助詞で、他の使用例で大海人皇子(おおあまのおうじ)や秋篠宮(あきしののみや)などがあります。ですから菅原朝臣道真「すがわらのあそんみちざね」が正解です。ただ姓(カバネ)が形骸化しいつしか省略されてしまいますが、格助詞だけ残ってしまった結果です。

なるほど。よくわかりました。

またか姓(カバネ)は苗字ではない!

それは、下の回答者に言っているのですか?

大雑把に言うと、「姓(本姓)」と「苗字(名字)」の違いです。現在では「姓」と「苗字」は同じ意味で使われていますが、元々は違うものでした。源とか平とかは「姓」であり、織田とか武田とかは「苗字」です。「姓」のほうは、大元のルーツは天皇家だよとかを示すもので、そういう家系の誰々だよ、ということで「の」を入れて、「苗字」のほうには「の」は付けないという区別ができたそうです。ちなみに織田信長は、桓武天皇の家系(桓武平氏)だと言っていたので本姓は「平」であり、こちらを使う場合は「平信長=たいらののぶなが」となります。(本当に平氏の家系だったのかどうかは疑わしいですけどね)

あわせて知りたい