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イスラム教の最高聖典「コーラン」にそう書いてあるからです以下 飯山陽 著「イスラム教再考 18億人が信仰する世界宗教の実相 」より引用です●異教徒は「殺すべき対象」イスラム教において異教徒は基本的に「屈服させるべき敵」「殺すべき対象」です。なぜなら『コーラン』第4章101節は異教徒を「あなたがた(イスラム教徒)の公然たる敵」とし、第9章29節は「彼ら(異教徒)が手ずから人頭税(ジズヤ)を納め、屈服するまで戦え」と命じているからです。また『コーラン』第31章13節は「多神崇拝は甚大な悪」とし、第9章5節は「多神教徒を見つけ次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、またすべての計略(を準備して)これを待ち伏せよ」と命じています。預言者ムハンマドは信者に対し、多神教徒に出会ったらまずはイスラム教を受け入れるよう求め、それを拒否するならば人頭税を支払うよう求め、それも拒否するようであれば彼らと戦えと命じた、とハディース(ムハンマドの言行録)に伝えられています。異教徒に残された選択肢は、最も多い場合でも改宗、服従、死の三つです。異教徒が服従して人頭税を差し出すことにより、二級市民としてイスラム支配下に生きることがいわゆるイスラム的共存であり、それを受け入れない限り異教徒はジハードの対象となります。しかも実際は、選択の余地なく殺害されるケースが多いのが現実です。2020年11月、インドネシアのスラウェシ島ではキリスト教徒4人が殺害され、うち一人は斬首された状態で発見されました。「イスラム国」はこれについて、カリフ国の兵士たちが「不信仰者であるキリスト教徒」の村を襲手し、4人を殺害し教会と家を燃やすことに「成功」したと声明を出しました。「イスラム国」などのイスラム過激派が異教徒を狙い撃ちにした例は、枚挙にいとまがありません。中田考は『一神教と戦争』で、「人間もジハードであれば相手を殺してもいいわけです。ただし、イスラームの場合には、異教徒であっても、民間人、特に女・子供は、奴隷にはできますが、殺してはいけないという決まりがある」と述べています。中田考は「女子供を殺さないイスラムは寛容」と言いたいようですが、中世イスラムの思想家イブン・ハズムは「多神教とのうち女子供以外は、戦闘員であれ、非戦闘員であれ、商売人であれ雇われ人であれ盲人であれ足の不自由な者であれ、例外なく殺すことが許される」と述べています。中略たとえ異教徒が人頭税(ジズヤ)を支払って殺されずに済んだ場合でも以下のような差別的な扱いを受けます。--以下も引用--●宗教による差別を大前提とした「イスラム的共存」イスラム的共存は宗教による差別を大前提とした共存です。『コーラン』第3章19節には、「神の御許の宗教はイスラムのみ」とあります。ゆえにイスラム教は、イスラム教徒と異教徒を峻別し、真の宗教たるイスラム教を拒絶する異教徒を公然と差別します。両者は全く対等でも同権でもないのです。『コーラン』には不信仰者について、侮蔑的で懲罰的な章句が数多くあります。例えば『コーラン』第5章60節には、「神は彼らを呪い、彼らに怒り、彼らをサルやブタにした」とあります。インドネシアのスラバヤでは2019年8月、パプア人というメラネシア系キリスト教徒の学生がインドネシア国旗を破損したという噂が広まり、イスラム教徒住民や警官がパプア人学生の寄宿舎を取り囲み「サル!」「ブタ!」と侮蔑的な言葉を浴びせたことをきっかけに、パプア人が「我々はサルではない!」とプラカードを掲げてデモを行い、暴動に発展しました。エジプトのキナー県では2011年4月、キリスト教の一派であるコプト教徒が知事に任命されたことに対し、1万人以上のイスラム教徒が「あいつは不信仰者のブタだ!」「ブタ野郎に支配などされてたまるか!」などと怒声を上げながら抗議デモを行い、知事はたちまち解任されました。社会心理学者のニール・J・レッセルが指摘しているように、イスラム教徒がキリスト教徒やユダヤ教徒をサルやブタと罵る理由は啓示に由来しており、それは今の世界はサルやブタに支配されイスラム教徒が蔑ろにされているという陰謀論と深く結びついています。『コーラン』には、「あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間としてはならない」(第5章51節)という章句もあります。インドネシアでは2016年9月、当時ジャカルタ特別州知事だったキリスト教徒のバスキ・プルナマ(通称アホック)が選挙演説でこれに言及し、「これを悪用する者に惑わされているからあなたたちは私に投票できないのだ」と述べたことに対し、イスラム組織が中心となって「アホックは『コーラン』を冒瀆した!」と大規模デモを実施しました。アホックは宗教冒瀆罪で起訴され、禁錮2年の実刑判決を受けました。2013年のピュー調査では、チュニジア人の100%、モロッコ人とパキスタン人の99%、トルコ人とバングラデシュ人の97%が「親しい友人のほとんどはイスラム教徒である」と回答しています。これらは国民の大多数がイスラム教徒の国ですが、多民族・多宗教国家であるタイのイスラム教徒も96%、インドネシアのイスラム教徒も95%、マレーシアとレバノンのイスラム教徒も94%がそう回答しています。彼らは『コーラン』に忠実に生きているのです。『コーラン』第9章28節は多神教徒について、「彼らは本当に不浄」としています。第二代正統カリフのウマルは多神教徒について、「彼らの血は犬の血にすぎない」と語ったと伝えられています。イスラム教の教義において不浄とされるものは、犬の他にも豚、人間や動物の大小便などが挙げられます。私たち日本人のような多神教徒はそれらと同じ「不浄」カテゴリーに分類され、その血は流されても問題ない、つまり殺しても差し支えないとされます。『コーラン』第98章6節には、啓典の民も多神教徒も「被造物の中で最悪の者」とあります。第3章10節には「不信仰者の財産も、その子供たちも、神の前には何の役にも立たない。かれらは(地獄の業火の薪となるだけ」、第3章116節には「かれら(不信仰者)は地獄の住人であり、永遠にその中に住む」とあります。ピューの同調査では、どの宗教の信者が天国に行くと思うかという質問に対し、エジプト人とヨルダン人の96%、イラク人の95%、モロッコ人の94%、マレーシア人の93%が「イスラム教徒だけ」と回答しています。池上彰は『高校生からわかるイスラム世界』(集英社、2010年)で、「ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、神様を真剣に信仰していれば、天国に行けると『コーラン』に書いてあるのです」と述べていますが、そう信じているイスラム教徒はほとんどいません。NPO「学校教育における平和と文化的寛容の監視のための研究所(IMPACT-se)」は2020年8月、カタールの教科書238冊を分析し、キリスト教徒とユダヤ人は不信仰者であり地獄に落ちると教えている、世界の権力や市場を支配し操っているのはユダヤ人であるという陰謀論を広め憎悪を煽っているなどイスラム主義の影響が顕著であり、ユネスコが定める「学校教育における平和と寛容」の基準を下回っていると報告しました。
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デメリットなものはヤツけよ、なのです↓[クルアーン2章(雌牛の章)190節−193節]神の道のために、お前たちに敵する者と戦え。しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。お前たちの出あったところで彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。しかし、彼らがお前たちに戦いをしない限り、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。もし彼らが戦いをしかけるならば、彼らを殺せ。不信者の報いはこうなるのだ。しかし、彼らがやめたならば、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え。しかし、彼らがやめたならば、無法者に対しては別として、敵意は無用である。(中央公論社 世界の名著 コーランより)↓だから武器を持たない一般の人を襲撃しテロするイスラム教はホントは間違ったイスラム教なのです。間違ったイスラム教なのです。
たぶん質問者さんは「イスラム原理主義」と「イスラム教」を混同している気がします。「イスラム教」は昔から他の宗教に大変、寛容な平和的宗教です。しかし「イスラム教」が広まった地域に「石油」が出るようになると世界中が、その利権に群がって「イスラム教徒」が住む地域の奪い合いをはじめてしまいました。さらに「西洋(主にイギリス)」による数々の嘘の約束や戦争の被害を受ける中で「イスラム教」の教えの一部を極端に暴力的な解釈をする考え方を信じる一派が現れます。これが「イスラム原理主義(者)」と言われる「イスラム教」の「派生」あるいは「亜流」の信仰で名前に「イスラム」とありますがその教義は、元の「イスラム教」とはかなり違う宗教と考えた方が良いと思います。
イランでブルカを被っていない女性が殴り殺されたという報道が有りますが、一般市民は殺すまではしなくても暴行や強姦は起きています。それを他国でもやる人が居るのです。イスラム教の国で犯罪とならないことが他国では犯罪と成る。それはイスラム教の教えが法律だからです。宗教の教えと法律の違いは、宗教の教えである戒律は自分自身が守り行うものです。法律は全ての人が守り行うべきものです。イスラム教は宗教の教えが法律なので、イスラムの教えを他人に押し付け強制しようとする。それに逆らうものには容赦なく暴力をふるい殺してしまう。世界に恐怖と混乱を撒き散らす宗教、それがイスラム教が世界中から恐れられ嫌われる理由なのです。キリスト教や仏教は他の宗教と共存できているが、イスラム教と共存できている宗教は有りません。
















