茨城県立竜ヶ崎第二高等学校の長い急階段 この位置にコンクリートの階段がつけられたのは1929年(昭和14年)のことらしい。 大正の頃、見晴らしのよい新校舎は乙女のあこがれだったらしい。 今の高校生はどうなのだろう? 上には、龍ヶ崎城の空堀や土塁があるらしいのだが、夏休み期間中であったが、わざわざこんな急階段を上って怪しまれるのもいやだと思い、上るのは断念。(本心はこんな暑い中汗をかいてまで上りたくなかった。)階段の左側に「龍ケ峰の歩み」碑があったので、それを読んで行った気になる。 「北にあたりて古城あり」「東はかしまの海が見えて眺望かぎりなし」享保年間当地を訪れた藩主伊達吉宗は、ここ古城の地の…