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高市皇子
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高市皇子

(社会)
【たけちのみこ】

654年(白雉5年)?〜696年8月13日(持統天皇10年7月10日)
日本の飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。
子に長屋王などがいる。

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崇神天皇が宮殿から外に天照大神を出したことからも、天照大神は崇神天皇が祀る神ではなかったことは明白です。 つまり、元々は天皇が祀っていた神ではないということです。 ではいつから天照大神は皇祖神となったのでしょうか。 持統天皇(645年ー703年)以降、明治天皇が伊勢神宮を参拝するまで歴代天皇は伊勢神宮を参拝することはありませんでした。 皇祖神であるにもかかわらず、天皇と距離を感じさせる扱いです。 天武天皇・持統天皇の時代に、伊勢神宮の祭祀の諸制度や社殿が整備され、斎宮が制度化されたようです。内宮の式年遷宮も持統天皇の時代に開始されました。伊勢神宮の現在の社殿の形式も、天武持統朝に整備されたと考…

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先日、自民党総裁選での活躍が注目された高市早苗氏。奈良出身であることや、「高市(たかいち)」という姓から、古代の皇族や豪族の血筋と繋がっているのではないか、と噂されています。この記事では高市早苗氏ルーツを古代史と絡めて考察していきます。 高市早苗氏のルーツは天武天皇の皇子 高市皇子(たけちのみこ)か? 高市早苗氏のルーツは奈良の地名「高市郡」と出雲系豪族か? 伊予(愛媛)に繋がる高市氏 高市早苗氏のルーツは天武天皇の皇子 高市皇子(たけちのみこ)か? 高市氏のルーツとしてまず挙げられるのが、飛鳥時代後期に活躍した高市皇子(たけちのみこ)です。 高市皇子(たけちのみこ)は、天武天皇の第一皇子です…

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継体持統㉕:祭祀王と執政王

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もっと昔の関ヶ原 壬申の乱で活躍した18歳の将

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壬申の乱での高市皇子の活躍を詠んだ歌・・・巻第2-199~202

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十市皇女が亡くなった時に高市皇子が作った歌・・・巻第2-156~158

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鴨君足人の香具山の歌・・・巻第3-257~260

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訓読 >>> 114秋の田の穂向(ほむき)の寄れる片寄りに君に寄りなな言痛(こちた)くありとも 115後(おく)れ居(ゐ)て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の阿廻(くまみ)に標(しめ)結(ゆ)へわが背 116人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み己(おの)が世に未(いま)だ渡らぬ朝川(あさかは)渡る 要旨 >>> 〈114〉秋の田の実った稲穂が一方に片寄っている。私もそのようにあの人に寄り添いたい、どんなに人の噂がうるさくても。 〈115〉後に残って恋焦がれてばかりいるより、いっそのこと追い慕って行こう。私が無事に追いつけるよう、道の曲がり角に目印をつけておいてください、あなた。 〈…


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