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青函連絡船
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青函連絡船

(地理)
【せいかんれんらくせん】

かつて青森と函館を結んでいた鉄道連絡船。
国鉄時代は「青函船舶鉄道管理局」、JR移行後はJR北海道函館支社の管轄で運航されていた。
津軽海峡線(青函トンネル)が開業した日と同じ、昭和63年3月13日に廃止された。
廃止時点の船舶は、

  • 大雪丸
  • 羊蹄丸
  • 摩周丸
  • 八甲田丸
  • 十和田丸
  • 石狩丸
  • 桧山丸
  • 空知丸(貨物専用船)

の八隻だった。

お台場にある”船の科学館”。なぜかいつでも空いているこの博物館には、別館として青函連絡船”羊蹄丸”が、隣接した港に係留されている。青函連絡船とは、かつて青森と北海道の間を往復していた定期連絡船のことだ。http://www1.odn.ne.jp/~aaa55210/kara1/seikan.htm

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