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酒井抱一
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酒井抱一

(アート)
【さかいほういつ】

(1761-1828) 江戸後期の画家。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟。本名、忠因(ただなお)。狂歌・俳諧などもたしなむ。絵は特に光琳に傾倒し、遺墨を集めて「光琳百図」「尾形流略印譜」を刊行。代表作「夏秋草図屏風」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

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東博常設展その2

www.tnm.jp 東博常設展その2 この日は鵜に縁ありぬ(2次元でも3次元でも) 周文、芸大の相国寺展とリンクする感じです 曽我蕭白 蝦蟇鉄拐図 伝周文 山水図 熊斐 鸕鶿取魚図 酒井抱一 四季花鳥図巻 東博ゴーフレットの缶缶でおなじみの抱一のかきつばた。 やっぱりデザインには最適だと思います。 ※出典:ColBase ColBase

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出光美術館で開催中の、「出光美術館の軌跡 ここから、さきへIV『物、ものを呼ぶ―伴大納言絵巻から若冲へ』」に行ってきました。 1966年秋、東京・丸の内の帝劇ビル9階に開館して以来、皆さまに親しまれてきた出光美術館は、ビルの建替計画に伴い、2024年12月をもって、しばらくのあいだ休館する運びとなりました。 この節目の年にあたり4月から10月までは、「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」をテーマに掲げ、美術館のこれまでの歩みを4つの展覧会にわけて振り返りながら、コレクションを代表する作品の数々をご覧いただきます。 開館から58年の感謝をこめて、皆さまに楽しんでいただける展覧会を企画しました。ど…

[日本画]★伊藤哲 江戸琳派継承展

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堀川周辺の桜の名所めぐり③妙顕寺 ~京都初の日蓮宗寺院

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『懐石料理とお茶の話(上) 八代目八百善主人と語る』

『懐石料理とお茶の話(上) 八代目八百善主人と語る』 江守奈比古 著 中公文庫 上巻の方だけがあった。この本が“積読”になっていたのは、おそらく、下巻が見つかってから通して読むつもりで、忘れてしまったからだろう。 享保年間に創業したとされる料理屋、八百善。 その八代目善四郎は、明治16年生まれ。生家は茅場町の同心の家だったらしい。時代劇の世界がまだ残っていた時代という感じだ。10歳で栗山家の養子となり、22歳で八代目栗山善四郎を襲名。その後、ほぼ60年、のれんを守り続けたという。 まだ江戸時代だった頃、八百善は、武家や文人墨客を相手にする店だった。明治維新後になると、政財界、文化人、軍人、さら…

芸術鑑賞 光琳と宗達の《風神雷神図屏風》

風神雷神図屏風 (約1100文字・購読時間1分30秒) 江戸時代を代表する画派として琳派という人たちがいる。狩野派、土佐派など血縁や師弟関係でつながる画派とは異なり、私淑によって同系統の技法・画風、作品群を残した俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一などの総称である。それぞれ俵屋宗達(17世紀前半)、尾形光琳(17世紀前半〜18世紀前半)、酒井抱一(18世紀末〜19世紀前半)と活動期間が100年ほど間があり、互いに直接の面識があるわけではない。ただし、光琳は宗達と一緒に活動していた本阿弥光悦の親戚であり、家に宗達の絵が多くあったため、見ることが出来た。また、光琳の活動拠点は京都であったが、江戸に出稼ぎに…

令和元年9月の絵 「風神・雷神 像」と「風神・雷神 図屏風」

彫刻 風神・雷神像 ・作者不明 (鎌倉時代) 京都妙法院三十三間堂 屏風絵 風神・雷神図屏風(びょうぶ) ・俵屋宗達(江戸時代初期17世紀前半)京都建仁寺が所蔵 ・尾形光琳(江戸時代前期18世紀初)東京国立博物館所蔵 ・酒井抱一(江戸時代後期1821年頃)出光美術館所蔵 三十三間堂には等身大の千手観音像が一千一体も祀られており、そこに、仏界の最強軍団である「二十八部衆(毘沙門天、帝釈天他)」がそれら千手観音像を守っています。 初め、風神・雷神は荒れ狂うと衣食住を壊滅してしまうので、仏界では悪神に認定され、仏界が差し向けた二十八部衆と熾烈な戦いを繰り広げていました。そして、ついに風神・雷神は降伏…


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