文政13年。1月15日、熱田で射的が始まる。前中納言様が御覧になるが、もっとも御透見(簾ごしなどにこっそりと見ること)なので人を制止することはなし。大薬師内高塀の中に御覧所の御幕張が出来上がり、御簾がかかる。翌年からは東の方で立って御覧になる。1月14日夜六半時(午後7時)過ぎから、前津幸益長屋、飴屋町天王から北を少し東へ入ったところから火が出る。北側12、3軒が焼失する。この日、御使番1人が落馬し、大怪我をすると。熱田大薬師医王院の大山し(師?)通天法印は先ごろ寺を出ての隠居を仰せ付けられ、後住堯岳法印が昨夏病死した際には、この通天の残党は神宮寺へ立ち入らないよう言いつけられた。そのため昨1…