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石山賢吉
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石山賢吉

(読書)
【いしやまけんきち】

ダイヤモンド社創業者。
1882年(明治15年)1月2日。生まれ。1964年(昭和39年)7月23日、死去。82歳だった。
新潟県出身。
amazon:石山 賢吉

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残響、いまだ消え失せず ―いちばん最初の購入者―

前回の補遺として、少し書く。 引用元にさせてもらった武藤山治の『思ふまま』とは、彼が時事新報に連載していた同名のコラムをすぐって(・・・・)一書にまとめたモノだ。 なんといっても毎号欠かさずの執筆という驚異的な代物のため、その記事数は相当以上の多きに及び、選定だけでもかなりの労力を要しただろう。 これについては出版元たるダイヤモンド社創業の雄・石山賢吉その人も、 武藤氏の事業に対する熱度は、非常なものであった。時事新報の受持記事は、どんな事があっても必ず書く。風邪を引いても、旅行をしても、毎日担当の受持記事は必ず書く。『思ふまゝ』の一覧は決して休まない。其の上、一週間に一度宛社説まで書くのであ…

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忘れ得ぬ人々 ―ダイヤモンドと鐵の門―

石原忍が御手洗文雄を「忘れ難き人」として、鐵門倶楽部の同窓中でも一種格別な地位に置き、満腔の敬意を表したのは、彼が「大利根遠漕歌」の作者だったからではない。 「春は春は」に開始する、競漕界の愛唱歌より。 重視したのは、彼の死に様こそだった。 明治四十三年に学窓を巣立った御手洗は、しかしそれから僅か六年、大正五年の秋の最中に病に倒れ、ついぞ回復の兆しなく、帰らぬ人となっている。 病名すなわち、コレラであった。 泉橋病院の外科に於いて勤務中、担ぎ込まれた病名未定の遺体に対し検死解剖を施した際、感染(うつ)ったものであるらしい。 病の進行、よほど早く、また重く。一個のポンプと化したが如く、体内にある…

代替可能な多数の凡人 ―講談社という企業について―

発行部数が百万を超える雑誌なぞ、あの何事も派手にやらねば気の済まぬアメリカならではの現象である。国土も人心もせせこましい大和島根でそんなことを望むのは、はっきりいって痴人の寝言、木に縁って魚を求むるが如き、どだい無理な註文よ。―― そうした引け目が、長いこと日本の業界人を支配していた。 これをぶち破ってのけたのが、講談社であり、『キング』である。 (Wikipediaより、『キング』創刊号) のっけからしてもう凄い。創刊号の段階で、いきなり七十万部を超える、絢爛華麗な登場ぶりを披露している。そのまま右肩上がりに業績を伸ばし、昭和三年十一月の増刊号では、なんと百五十万部の大台を突破。日本出版史に…

「男の世界」に手を伸ばす ―この閉塞から脱却を―

「野間の相手は疲れる」との評判だった。 この「雑誌王」と碁盤を挟むと、とにかく猛然と攻め立ててくる。外交交渉も準備工作もありゃしない。開幕早々、まっしぐらに石をぶつけて、火を噴くような大殺陣に否応なしにもつれ込む。 王よりも、単騎駆けの武者といった打ち筋だろう。 おまけにその鋭鋒は、ちっとも緩む気配がないのだ。 何十目の大差がつこうが、頑として攻めの姿勢を崩さない。終局までその調子で通しきる。 ために相手を務める身としては、技巧以前にまずその気迫に圧倒される思いがし、呼吸(いき)が上がって胸が苦しく、背にじっとりと汗をかき、決着時には――たとえ勝とうが敗けようが――くたくたにならざるを得ぬそう…


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