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石原莞爾
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石原莞爾

(一般)
【いしわらかんじ】

(1889-1949) 陸軍軍人。山形県生まれ。関東軍参謀として満州事変を引き起こし、満州国創設を推進したが、のち、東条英機と対立し、1941年(昭和16)予備役。東亜連盟の指導者。


三省堂「大辞林 第二版」による。


また、最終戦争論と法華経の信者としても知られる。

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【雑感】その時歴史が動いた「満州事変・関東軍、独走す」(NHK総合、2001.11.21)

概要 1931年9月18日に満洲事変が起こったが、番組的に「今日のその時」はその日ではない。その4日後の9.22である。これは満洲事変を若槻内閣が追認した日であった。これにより満洲事変は正当化されることになり、満洲国建国や日中戦争に繋がっていった。満洲事変は鉄道爆破の謀略であるが、鉄道爆破はこれが初めてではなかった。1928年に北伐軍に敗れ北京から奉天に逃げ帰る張作霖を河本大作が爆殺していたのである。この事件はなぁなぁで処理されてしまったため、関東軍の間には謀略をやっても特に問題はないという雰囲気が醸成されてしまったのであった(河本大作は退役したし田中義一も総辞職することになったが)。 こうし…

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『昭和天皇物語』能條 純一 その21

ネタバレします。 《第130話◎一木支隊》 昭和17年(1942年)8月18日午後11時 ガダルカナル島に到着した一木支隊は米国に占領された飛行場の奪回へ向かう。 大本営は敵の数は二千人と見積もっていた。 これを知ったラバウル第17軍司令部、百武晴吉は「その見積もりは少なすぎる」と危ぶんだ。 その上参謀本部は「敵が手薄なうちに一木隊に早く行動を起こせ」と命じてきた。 「状況がはっきりしない今、ただちに攻撃しろとは命令できない」と百武は判断していた。 が、ガダルカナル島の一木支隊の無線はラバウルの司令部と通じることができずにいた。 その理由は無線の中継をするはずの海軍の潜水艦が敵の機動部隊を発見…

原爆を落としたトルーマンこそ最大の戦犯である!!と主張し、東京裁判でもそう証言をした石原莞爾!!

広島と長崎で20万人以上の命を奪った原爆・・・(死者数には異説あり)その原爆について、東京裁判で「原爆投下を落とした米国大統領・トルーマンこそ最大の戦犯である!!」と発言した人がいます。元関東軍参謀・石原莞爾です。(原爆投下は国際法違反行為)太平洋戦争中には、ハーグ陸戦条約という国際法がありました。その3条には「非戦闘員である民間人の殺戮を禁止」していて、この条約にはアメリカも日本も批准しています。 それにもかかわらず、米軍は日本に対し空襲や原爆投下を行い、その結果、多数の民間人=老人や子供、女性を含んだ非戦闘員が命を落としています。つまり米軍の空襲や原爆投下は、ハーグ陸戦条約に反する国際法違…

prophecy

近時、宗教否定の風潮が強いのに乗じ、「『最終戦争論』に予言を述べているのは穏当を欠く。予言の如きは世界を迷わすものである」と批難する人が多い由を耳にする。人智がいかに進んでも、脳細胞の数と質に制約されて一定の限度があり、科学的検討にも、おのずから限度がある。そしてそれは宇宙の森羅万象に比べては、ほんの局限された一部分に過ぎない。宇宙間には霊妙の力があり、人間もその一部分をうけている。この霊妙な力を正しく働かして、科学的考察の及ばぬ秘密に突入し得るのは、天から人類に与えられた特権である。人もし宇宙の霊妙な力を否定するならば、それは天御中主神の否定であり、日本国体の神聖は、その重大意義を失う結果と…

書評「関東軍―満洲支配への独走と崩壊 (中公新書)」石原莞爾を天才や有能ともてはやす風潮嫌いです。

おはようございます。来週から仕事に復帰でございます。 梅雨入りしたようで、雨が降っていますね。 さて、今回書評していくのは「関東軍―満洲支配への独走と崩壊 (中公新書)」です。 関東軍――満洲支配への独走と崩壊 (中公新書 2754) 作者:及川 琢英 中央公論新社 Amazon 関東軍 満洲支配への独走と崩壊/及川琢英【1000円以上送料無料】 楽天で購入 あの悪名高き関東軍について、書いた本です。 ja.wikipedia.org "> 現地の佐官級参謀陣が自らの判断で、政府の不拡大方針を無視して柳条湖事件や張作霖爆殺事件などの謀略事件を強行し、その後の日中戦争や太平洋戦争に至る日本の政治…

ロシアの極東進出と日本 2 歴史を遡ってある時点を見ること 

後藤嘉一『やまがた史上の人物』(郁文堂書店1965)に以下のような記述がある。知る人ぞ知る逸話である。 終戦後、帝国陸軍参謀だった石原莞爾は膀胱癌のため飯田橋の逓信病院に入院中だった。彼はA級戦犯板垣征四郎と橋本欣五郎に関する証人として臨床尋問を受けた。 以下引用 そして石原は逆に検事に対して、 「東京裁判は明治維新まで遡って極東の侵略者を戦犯として処罰する方針だというがそれは事実か」とたずねた。検事は、 「イエス!日清日露戦争、朝鮮併合等による侵略者に対して厳重に審判する」と答えた。石原は、 「それは大いに結構だ。その方針なら先ず第一にペリーを極東侵略犯罪人として審判すべきだ!」と云った。 …

日蓮主義者 石原莞爾と妹尾義郎

1920(大正9)年、賢治が国柱会に入信した同じ年に、石原莞爾(1889-1949)が入信しています。家出をして国柱会の門をたたいた賢治は素っ気ない応対を受けましたが、エリート軍人であった石原は厚遇されたようです。国柱会は日蓮宗の僧侶であった田中智学(1861-1939)が還俗後に、宗門を批判して作った宗教団体です。智学は日蓮の思想に国体思想を結び付け、日蓮宗に帰依した天皇が世界をその徳により支配することで平和が訪れると主張しました。現代の我々から見れば理解しがたい思想ですが、賢治や石原のみならず多くの若者の心をとらえたのです。智学は全世界を一つの家にすることを意味する「八紘一宇」という言葉を…

『戦争とオカルティズム』

一条真也です。『戦争とオカルティズム』藤巻一保著(二見書房)を読みました。「現人神天皇と神憑り軍人」というサブタイトルがついています。著者は1952年北海道生まれ。作家・宗教研究家。中央大学文学部卒。雑誌・書籍編集者を経たのち、宗教を軸とした歴史・思想・文化に関する著述活動を行っています。東洋の神秘思想、近代新宗教におけるカルト的教義と運動に関する著作を数多く手がけています。著書にブログ『偽史の帝国』で紹介した本があります。 本書の帯 本書のカバー表紙には、整列して右手を上げる大日本帝国軍人の写真が使われ、帯には「日本は『神の国』であり、『天皇の国』である――」「軍人たちを呪縛し続け、日本を『…

「戦略論大系」シリーズ再読開始!

自分は軍事マニアではないが、軍事書・戦史書もポツポツ持っている。 最新書よりは古典が多いが。 戦略理論・思想への関心が強いためだ。 そういいつつ、なかなか手が出なかったのは、ともかく専門性が高すぎ、「どこからどう手を付けていいのか?」が分からなかったことだ。 軍事戦略理論・思想は、相当の「教養度」を要求される、というのが自分の考えだ(軍事マニアを除く)。 政治センスもそうだが、用いられる軍事技術、組織や社会・個人のあり方や心理、その育成、情報・情報発信のあり様、どのような目標へと集約してどう運用するか(それが「戦略」に他ならない)等、ともかくトータルな「文明理解」「人間理解」がカギになる、と捉…

17 回天の門【歴史物】(1979)

回天の門 上 新装版価格: 814 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 庄内藩にある清河村の斎藤元司は、村の素封家で酒造りをする家の跡取りで、年から遊郭に出入りするような遊蕩児であった。元司は学問をする傍ら、家を訪ねてきた絵師・藤本津之助から、外の世界について様々のことを聞いて、江戸への憧れを持つ。 江戸行きが許され東条塾に入塾し、頭角を現わすようになった。しかし弟が死ぬと清河村に戻され、鬱々とした日々を過ごす元司は、期限を区切って遊学を許してもらう。江戸に戻って東条塾の隣の千葉道場に入門すると、元司は剣術も学問も長足の進歩を遂げていく。 *清河八郎(ウィキペディア) その頃ペリーが来航し、世間…


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