創価学会初代会長1871年6月6日新潟生まれ。1928年、日蓮大聖人の仏法を知り、1930年に「創価教育学会」(創価学会の前身)を創立。仏法に基づく教育改革、生活革新運動を展開。戦時中、宗教・思想の統制を図る軍部権力と対決。1943年に治安維持法違反ならびに不敬罪容疑で検挙・投獄され、1944年11月18日獄死した。
養老孟司先生と神儒仏老 「儒仏老」について、養老孟司さんが、玄侑宗久さんとの対談本で、こんな事を言っていた。「脳と魂」ちくま文庫 76ページ 養老: (略) 旧制高校では、「社会を生きるには儒教、個人の問題を考える時は道教、 抽象思考は仏教」って教えられたそうですよ。なかなかいい結論でしょ。 玄侑:儒教はまさに「公」のためのマニュアルですし、老荘は「個」のための思想です からね。で、仏教が抽象思考・・・・・・・うーん、仏教は抽象思考ですか? 養老:私は実感としてありますけどね。実験室を出て自分でものを考えると、 たちまち仏教になっちゃったんですから。 玄侑:私らは学ぶ仏教の抽象性を具体に移して…
牧口常三郎の設立した創価教育学会ですが、昭和の時代に入り時代の波に翻弄されていくのです。「赤化教員のオルグ」では警察庁、内務省との「蜜月時代」でした。そして昭和十四年(1939年)に麻布の菊水亭において事実上の第一回総会を開催しました。その中、日本は昭和十六年十二月に太平洋戦争に突入、戦争の進む中で思想統制を強めていきますが、昭和十八年(1943年)の五月に牧口が神社神道を批判してから機関紙「新教」が廃刊となりました。六月には大石寺に戸田理事長と共に牧口常三郎は呼び出され、鈴木日恭と堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受取けるようにしてはどうか」と申し渡されたがこれを拒絶しました。…
◆長野教員赤化事件への関与 この事件と創価教育学会の関与について、いま創価学会の活動家の中で知っている人はまずいないでしょう。これについて創価大学の宮田幸一教授のホームページを見てみると、この事件に関する事を「牧口常三郎全集」に掲載する事を、野崎勲副会長(故人)が「これはまずすぎる」として削除を命じたとありました。 私自身も創価学会の活動家の時代には、この話は全く聞いた事もありませんが、実際にこの時の内容について知ると、とても興味深い事が解ったりしましたので、今回はこの件について紹介したいと思います。 ◆赤化青年について 創価学会の三代会長の池田氏は、創価学会は平和人権の団体であると述べ、その…
◆三谷素啓氏との出会い 牧口常三郎が日蓮正宗に入信したのは昭和三年(1928年)、三谷素啓という人物から折伏されたという事です。創価学会ではこの人物については詳細に語られていません。一部の資料では「常在寺に属する『大石講』の幹部」とだけ記載されているに止まっていますし、小説人間革命にも当然描かれていません。 三谷素啓は明治11年8月1日生まれで、本名は三谷六郎といい、牧口常三郎より7歳下で、目白商業高校(現:目白研心学園)の初代校長でした。 三谷素啓氏は1915年(大正4年)に禅宗を捨てて日蓮正宗に入信しました。時の日応上人から御本尊を受けたと言われています。この当時、三谷氏は37歳でした。 …
牧口会長の事について、創価学会では永遠の指導者としながら、その実像を伏せている個所は多くあります。最近になってネット上でこういった情報が漏れ出てくる様になった事から、後手の様に様々な事を創価学会として論及しはじめていますが、それは論及しているというよりも、とりあえず取り繕っているというレベルの内容です。 しかし自教団で「永遠の指導者」と大層に呼ぶのであれば、事実は事実としてしっかりと組織内にも周知すべきだと私は思うのです。 ◆大日本皇道立教会 まず下の写真を見てください。 これは大日本皇道立教会の会合の写真と言われていますが、後列左側に立っているのは牧口常三郎です。また後列右から二人目は、後に…
私は活動を止めた時、「池田大作という人物像を知りたい」と思い、様々な情報収集をしてきました。それは単に文献を当たると言うより、どちらかと言えば池田大作という人物を知る人、またより近い人から話を聞くという事を中心に行ってきました。 そこで知りえた事の要点については、このブログでも少し書いてきました。また傍証的な様々な話も聞きましたが、それに関してはこのブログで書くことはしません。一つ言える事は、私がこの調べる中で感じた事は、故・石原慎太郎氏(元東京都知事)の言う「偉大なる俗物」という言葉が一番池田大作という人間性を的確に表現した言葉だと理解したのです。 創価学会では2002年3月28日に会則を改…
創価学会の永遠の指導者は言わずと知れた牧口常三郎・戸田城聖・池田大作の3人のことだが、現在の創価学会では牧口を「先師」戸田を「恩師」池田を「大師匠」というらしい。池田を強調するのが目的なのだろう。そんな創価三代会長について私感を書いてみたい。まずは初代会長の牧口常三郎はひと言で表すと【信心が分かっていなかった学者】である。誤解のないようにいっておくが牧口の日蓮大聖人の法門に対する理解は素晴らしい。今ほど資料や情報も多くなく入手も難しい時代で、しかも法主上人に直接御指南を受けた形跡もないのに大石寺教学の法門を理解することができた牧口の見識の高さは一流の学者でり教育者であったと認めるところである。…
私の中にP・A・Cがある。それに儒神仏を対応させる。例えば、一日を振り返る。Pが規範的なものであり、孔孟の教えを思い出し、当てはめる、振り返る。Aで因果を考えて賢く行動できたか、振り返る。Cも、しかり。 そうは言っても、PACというのは、1つの考え方である。その枠組みに拘泥していないか。あるいは、上手く説明が付いたとしても、そのことに長々と引っ張られていないか。時には、そのような引きずられている自分の軌道を切り替える、違う方向に顔を向けることも必要となる。老子は「無為自然」と言った。「人為」に対して「天道」と言った。これは、偉大な「東洋の知恵」である。日本のような説明のつく世界にいると、ある日…
今では信じられないような話だが、自民党と連立する前の公明党は、「平和の党」の旗を掲げて、護憲・人権擁護・平和主義を主張していた。(今でも建前としては「平和の党」を自称している。) そんな公明党の支持母体である創価学会(創価学会婦人部平和委員会)は1988年、『まんが わたしたちの平和憲法』という、憲法の大切さを訴える本を出版している。 ブログ「Seoul Life」さんがその最終章を紹介されているのだが、その内容は今この国に起こりつつある事態を予言していたかのようで、実に恐ろしい。[1]主人公の少年二人は、高校を卒業するとヨットに乗って世界をめぐる旅に出た。しかし、彼らが久しぶりに日本に帰って…
今日は、創価学会の初代会長の牧口常三郎氏の誕生日だ。創価史によると牧口氏は反戦・平和主義者ということになっている。私も創価活動家時代にはそのように教わりそう信じていた。当時はいまと違い情報が簡単に入手できなかったのでいとも簡単に信じてしまった。しかしいまはネットで何でもすぐに調べられるので牧口氏の当時の言葉をや行動を知ることができる。例えば【天照太神の御礼をお祭りするとかの問題は、萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である。(大…