〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神の働き。
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。
「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させる事によって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。
悪い精神作用の総称。物や名声などを「欲しい欲しい」と思うこの欲望に執われて、人間はいろいろな苦しみを生んでいく。欲望を抑え、捨て去る努力をすることで、平和な心境、悟りの幸福を手にすることが出来る。
浄土真宗の親鸞聖人のお言葉にこういうものがあります。 「一念というは信心二心なきがゆえに一念という」 この「二心」というのは心の闇のことです。死んだらどうなるか、あるのかな、ないのか。これだと二心がある。 そして一念というのは、二心がない、つまり心の闇がなくなったことを言います。それが正しい信心ということです。 心の闇が破れると、2つのことを深信する二種深信になります。「深信」というのは、ツユチリの疑心もなくなった心です。細かいほこりをツユチリと言います。それほどの疑いもなくなる。 「兎の毛の先でつついた程も」疑いがなくなるとも言われます。ということは、この2つに関しては、全世界がひっくり返っ…
仏教では、私たちの行いを、心と口と体の3方面から見られます。中でも、心でどんなことを思っているか、という心の行いを重視されます。 そして心で思う罪は、口や身体の2倍あると教えられる。そうなってくると、今まで自分が思ってきたことを考えれば、極悪人になってしまうという人も少なくないと思います。 鉄腕アトムで、博士が心を映すものを作って、ヒゲオヤジがその実験台にされたことで赤面しているのを見たことがあります。自分がそうなると考えると、ゾッとするという人もありますよね。 仏教を聞くと、2つ心があると分かります。仏教を聞きたいという思いと、聞きたくないという思い。成績表を待っている子どもみたいな状態。 …
お金や財を力にしている人は、お金や財を失った時に顛倒する。名誉や地位を力にしている人は、それらをなくした時に失墜する。親や子供を力にしている人は、親や子を亡くした時に倒壊する。信念を力にしている人も、信念がゆらいだ時にまた崩壊する。親鸞聖人は、「よろこばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。 深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚をあおぐ。 慶喜いよいよ至り、 至孝いよいよ重し」と言われている。 崩れるものに樹てる人生は、薄氷を踏むように不安だけれど、たとえお釈迦様、善導大師、法然さまがゆらごうとも、心を不倒の仏地に樹て、不思議の世界に生かされた親鸞は、なんと幸せ者なのか。…
おじいちゃんたちが会社にいたときにはな、年功序列って制度があってね。 そりゃ能力主義って建前はあって、みんな力をつくすさ。競争もするさ。それでもぼんくらどもが競ったってたかが知れている。時々、誰もが認める天才みたいのがでたら、それに重要な仕事を任せる。誰でもが認めるから波風たたないさね。 毎年毎年、給料があがって、一定の年になれば位もあがる。だから安心して、みんなで仲良く、会社のためにつくすってもんだ。 出世できなくても、自分を責めたり、他人の悪口やぐちを言う必要もない。運がわるかったと諦めて割り切ることが出来る。平和なもんだ。 そうそう、世襲制ってのもあったさ。 社長がお歳メシたら、会長にな…
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死ってなんだろう、死んだことが無いのでわからないです。 音も無く、真っ黒の世界で何も無い?のであればそれを感じる意識があるという事なのでそれも違う? 肉体も意識も存在も消滅してしまうのでしょうか。 阿弥陀さまと出逢う前は消滅してしまうと考えていたのが一番の恐怖でした。 今、この恐怖は取り除かれましたが、死ぬ瞬間までの恐怖は沢山あります。 指先を切っただけで痛い、1分間息を止めるだけで苦しいのに死ぬ瞬間までどんなに苦痛を味わうのだろう、何もわからなかったらいいのにな~と。 死ぬまでこのような煩悩は無くならないのですね、仏さまはそう仰っておられます。 我にまかせて念仏申せ、必ず浄土に生まれさせるぞ…
仏も昔は凡夫なり(ほとけもむかしはぼんぷなり)意味釈迦も最初は煩悩に苦しむ普通の人間だったが、修行を積み重ねることによって悟りを開いた。そこから、誰でも精進すれば仏になれるという教え。努力によっては立派な人間になれるという広い意味でも使う。 手塚治虫さんの『ブッダ』を読む限り、釈迦は、修行の積み重ねで悟ったわけではなく修行の末、そういった特別なものなど実は必要なかったと悟ったようで、その方がむしろリアリティがありますね。 もちろん、はじめから苦行を避けていたら悟りに至らなかったのでしょうけど、だからと言って、すべての人が苦行するのでなく、ブッダの後に続く人は、素直に教えに従うのが最善の策という…
いろいろな事業について思いを巡らせていると、つい「実際にお金を得た後」のこともあれこれ想像してしまいます。 お金がないときは、誰しも「お金持ちになったら世界旅行に行きたい」「豪邸に住みたい」「高級車に乗りたい」などと夢見るものです。でも、実はこれらは「小金持ち」でもやろうと思えば十分できてしまいます。 私自身、サラリーマンとして海外出張を重ね、駐在時にはタワーマンションに住み、運転手付きの高級車に乗るという経験もしてきました。そんな環境を一度でも経験すると、人間の夢や欲望は、さらにその先へと膨らんでいくものです。 人間は欲深い生き物――つまり、煩悩の塊とも言える存在です。しかし、その“欲”の方…
延命をする行為。 そこに大きな疑問がある。 ただ命を伸ばす。 苦しみのどん底にいても死なせない。 薬の効果はそういう意味で何を求めてるのか? 短命でも少しでも生きる事に自らの意志を与える行為になるならば、そのほうがありがたい。 そう思う。 老人も同じだ。 ただ老人ホームで生きながらえる。 楽しいとか嬉しいとかの感情も感覚も無くなっていく。 身体は痛みがあり苦しい感覚はいつも続いてる。 しかしそれが普通になり当たり前の感覚になれば疑問から消える。 痛い痛いと感じるのが普通になる。 だから 「お加減はどうですか?」 「いつも通りです」 「そりゃあよかった」 その実態はいつも痛みや苦しみに耐えながら…
仏教に説かれる苦しみの原因と結果、そして幸せの原因と結果、この四つの真理を四聖諦と言います。 お釈迦様の教えを一言でいうと四聖諦です。お釈迦様は一生涯、四つの真理を説かれた方です。 四つの聖なる真理、間違いない大宇宙の真理で、諦というのは真理のこと。これがお釈迦様45年間の教えです。 四聖諦は本当に凄いんですよね。仏教の真実性が改めて知らされます。この四聖諦は、四諦とも言われます。 では、どういう真理かというと苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つです。 まずは仏教が説き明かした苦しみの原因と結果。集諦が原因で、苦諦が結果です。 そして、どうしたら幸福になれるのかという幸せの原因と結果。生きる意味は一言…