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流罪
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流罪

(一般)
【るざい】

罪人を離島などの辺境に送る刑罰。島流しとも呼ばれる。

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この敵討ちって本当に辰蔵は殺されなければならないの

文政10年。7月10日夜、大雨の中、熱田八剣宮前松岡上総の家と借家が焼失する。借家は上総扣門(脇門)前にある。神職の家でありながら、火の不始末があったと噂する。銀札を作ったことで永らく番を附けられた寄合組六十五俵原常九郎に流罪を仰せ付けられたことが明らかになる。250石寄合組佐藤五郎兵衛はこのことが露見して行方をくらましたので、この家族は本家の御目付250石佐藤吉次郎が引き取る。原常九郎。詮議の上で申し述べる趣は、侍の身にふさわしくないような極めて不届きな行いがあり、その上最初に書面で問い合わせた際にはわけがわからないと取り繕い、いいかげんなことを書面で回答したのはあまりにも不埒なことであるの…

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栄華とどん底 ~悲運の宇喜多秀家と豪姫にまつわる物語 ~後編

※本記事は後編です 前回の記事はこちらからどうぞ⤵ 徳川・前田・毛利・上杉 いずれも戦国ファンならおなじみの大名たちですが... 同じ五大老に名を連ねながら「宇喜多」について知っている人は少ないのではないでしょうか かく言うすまりんもそのひとりで 名前は知っていても詳しいことは知りませんでした^^; けれど 宇喜多直家・秀家父子の生涯を追ってみて その波乱万丈ぶりに 連ドラにしても飽きないと確信しました✨ さて 天下人 豊臣秀吉の猶子とされ 岡山57万石の大大名となった「宇喜多秀家」のお話の続きです 秀家の妻「豪姫」は ちいさな須磨が演じています(笑) 豪姫は前田利家とまつとの間に生まれた娘 …

なぜ預けられたのかわからない

正徳1年10月9日。栄山七平次は御深井から堀川へ出て篠島に流される。江戸の者で御内証(内室?)の者で乱暴者であった。安藤権兵衛に馬廻吉田半左衛門が附いて木曽路を戻り、この日到着する。加藤作ノ右衛門の子らが出迎える。権兵衛屋敷は御園にあり、母と子6人がおり、妾であった。子の1人は今月4日に生まれていた。七夜が過ぎたので、屋敷を渡したいと屋敷奉行に内々話があった。伯父供番兼松甚之右衛門に預けられる。半右衛門は3、4日して江戸へ下る。

第1126話 宇都宮城釣天井事件

序文・本多正純の悲劇 堀口尚次 宇都宮城釣天井事件は、江戸時代の元和8年、下野国宇都宮藩主で江戸幕府年寄の本多正純が、宇都宮城に釣天井を仕掛けて第2代将軍徳川秀忠の暗殺を謀ったなどの嫌疑をかけられ、本多家は改易、正純は流罪となった事件である。 元和2年、家康と本多正信が相次いで没すると、正純は2万石を加増されて下野小山藩5万3000石となり、秀忠付の年寄〈後の老中〉にまで列せられた。しかし、正純は先代からの宿老であることをたのみに権勢を誇り、やがて秀忠や秀忠側近から怨まれるようになる。元和5年10月、福島正紀の改易後、正純は亡き家康の遺命であるとして、奥平忠昌を下野宇都宮藩10万石から下総古河…

熊野(2)文覚上人(もんがくしょうにん)

人を殺め、滝行では死んで命を復活させられたり、源頼朝との出会いなど、数奇な運命を辿る文覚上人の逸話をご紹介します。 文覚上人(もんがくしょうにん) 文覚上人(もんがくしょうにん)出家前は「遠藤盛遠」(えんどうもりとお)後白河法皇や源頼朝に重用された、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧侶で、「神護寺」の興隆に力を尽くした人物。<袈裟と盛遠>遠藤盛遠は、上皇が居住する院御所の警備を担う北面の武士として鳥羽天皇の皇女・統子内親王に仕えていた。同じ北面武士で従兄弟であった「源渡」の妻「袈裟御前」(けさごぜん)に一目惚れしたことで最悪の事態が。彼女に「言うことを聞かなければ、お前の母を殺す」と脅し…

やはり死罪となりましたか

文政2年6月23日。隠居高垣八郎平。その方についてはいろいろと行いが良くないと聞いており、一昨年御咎めを仰せ付けられたが、その後も慎まず、おかしなところへ出入りしていると聞いたので昨年蟄居を仰せ付けられた。しかし、それ以後も慎まず、頭の方から申し立てがあったので、取り締まるため町奉行同心を差し向けると同心に傷を負わせ、同心はこの傷が元で死んでしまった。これは親類どもがちゃんと面倒をみなかったのでやむを得ずこうなってしまったかもしれない。かれこれ申し立てることもあるだろうが、始末不届で死罪を仰せ付けられる。(朱書)「天保6未、召し抱えられ小普請組仰せ付けられ、その後、御鷹匠仰せ付けられ、その時、…


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