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横光利一
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横光利一

(読書)
【よこみつりいち】

小説家、評論家(1898年(明治31年)3月17日〜1947年(昭和22年)12月30日)
福島県生まれ。
川端康成とともに新感覚派文学の旗手とされる。

代表作

  • 「蠅」
  • 「春は馬車に乗って」
  • 「上海」
  • 「機械」
  • 「純粋小説論」
  • 「旅愁」
  • 「夜の靴」
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横光利一「蠅」

☆ 私が小学生の頃h、うそのように多くの蠅がいた。食卓には粘着性の蠅取り紙が吊るされ、動かなくなった蠅を眺めながら食事をすると言った、今では考えられない風景が日常だった。 ☆ そんな蠅も、最近はめっきり少なくなった。公衆衛生の成果といえばそうなのだが。 ★ さて今日は、横光利一の「蠅」(青空文庫)を読んだ。 ★ 宿場の場庭で乗合馬車を待つ人々。息子の危篤を聞き、せめて最期を看取りたいと悲壮感漂う農夫。変え落ちしてきたような男女。長年貧困に苦労した甲斐あってか思わぬ大金を手にした男性。そうした人々が馬車に乗り合わせた。 ★ ようやく馬車は宿場を出るが、馭者(馬車を運転する人)は居眠りを始める。そ…

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【東渓文庫】横光利一「鞭」

横光利一「鞭」 (入力者注:以下の内容は自殺の要素を含みます) 船が長崎を出てからの最初の夜になって私が夕食をとろうとしていると、急に無線電信がかかって来て一等船客の乙竹順吉と云う青年に自殺の虞れがあるから監視を頼むと云って来た。私が事務長になってから三年になるがこんな電信を受け取ったのは初めてなので、暫くは思案に余ったが自殺をしようと云う男を監視してみるのは監視の仕甲斐があって面白い。いったい死ぬ男と云うものは死ぬ前にどんなことをするものなのか、船の中で自殺をさうるからはいずれ投身するのに違いないとしても、死のうとするものを死なさないように邪魔をするのも残酷だし、これはどうしたものかと私もだ…

斬新さが魅力⁈川端康成らの新感覚派を解説する

新感覚派は、大正末期から昭和初期にかけて日本文学に登場した文学流派である。 1924年に創刊された同人誌『文藝時代』を母体として、横光利一や川端康成などの新進作家が集まり、自然主義的リアリズムに反発し、感覚的表現を重視した。 新感覚派は、主観的な感覚を基にした新しい現実を創造し、従来の文体を超える独自の表現方法を追求した。新感覚派は、モダニズム文学やダダイスムの影響を受け、文学の形式そのものの改革を目指したことが特徴である。 この記事では新感覚派について解説する。 新感覚派とは 新感覚派の特徴 代表的な作家と作品 横光利一 川端康成 堀辰雄 まとめ 新感覚派とは 疾走! 日本尖端文學撰集 ――…

分裂した小説 横光利一『旅愁』

旅愁(上) (講談社文芸文庫) 作者:横光利一 講談社 Amazon パリの日本人 もう議論はやめて、恋愛小説としてのストーリーを早く展開させてくれと何度も思った。パリのカフェで矢代と久慈はうんざりするようなお決まりの議論をくりかえす。それでも読み進めることができたのは、ブローニュの森、ノートルダム大聖堂、モンマルトルの丘といったパリの名所を背景に往年のフランス映画(ヌーベルヴァーグより前の)のような場面に出くわすからだ。矢代と千鶴子はブローニュの森でどんどん茂みに入り込んで道に迷ってしまったり、チロル地方の氷河を渡り一夜を宿を求めたり、写真家である青年に付き合ってノートルダム大聖堂の屋上から…

『2024年12月30日は何の日?』

本日、12月30日 は何の日かをまとめてみました。 取引所大納会(12月30日頃 年中行事) 「大納会」は、毎年12月30日頃に行われる証券取引所の年末行事で、その年の最後の取引日を指します。株式市場では、この日をもって年内のすべての取引が終了し、通常の取引時間で行われます。また、大納会では特別なセレモニーも行われ、1年の締めくくりとして位置づけられています。 地下鉄記念日 12月30日は「地下鉄記念日」として、日本初の地下鉄である銀座線(上野〜浅草間)が開通した日を記念しています。この1927年の開業は、日本における地下交通の始まりを象徴し、都市交通の発展に大きく寄与しました。 みその日(毎…

馬車のうしろに

この一画だけが、春以来四回目の草むしりだ。敷地内での最高回数を誇る。 往来に面している。只今工事中を示す、オレンジ色の仮フェンスを立ててあるだけだから、金網越しに敷地内が丸見えだ。 今さら見映えを気にするにも値しないボロ家ではあるけれども、見苦しいにはちがいない。祭のさいには、ふだん通行なさらぬかたも数多く通りかかられることだろうから、見映えよりなにより、土地の氏神さまにたいする敬意を示すためにも、小ざっぱりさせておくべきだと、むろん考えはした。町内の印象を保つ観点からも、ご近所への礼儀だとも考えた。しかし手を出しかねた。草むしりに適さぬ空模様が続いてはいたが、言いわけにはならない。 内側が丸…

再読優先順位

かつて学恩を受けた本だ。その後、再読した憶えはないのだけれども。 片岡良一は、日本近代文学をアカデミズムの立場・態度・手法によって取扱った第一世代の研究者のひとりと、今日では位置づけられてあるようだ。無手勝流体当りで本に対していた学生には、さようなことを思う余裕も力量もなかった。『近代派文學の輪廓』(白楊社、1950)という書名に惹かれて古書店の棚から抜出し、目次を繰ってみて、横光利一および新感覚派について書いてあると判り、躊躇なく買ったのだった。 今からは想像すらできまいが、横光について冷静に知るのはそうとうに難しい時代だった。『定本 横光利一全集』(河出書房新社)が刊行されるのは、ずっと後…

点検

やはり歪みが来ているなァ。経年使用による想定内変形か、それに加えてこの熱暑による一時的変形だろうか。だからクソ暑い日に調べなきゃなんねえんだ。かろうじて想定内数値ではあるが、要注意だな。お~ィ、記録よろしくゥ。 私は下り電車を待っているのである。午後一時半を回った。昼日なか老人の外出は控えよと、ラジオから云われていた。作業は駅構内の上り方面軌道上にて続いている。 鉄道線路上での仕事を一度してみたいものと、願望する子どもだった。じつは「仕事」はほとんど言訳で、線路内に入って、軌道上を自由に歩いてみたいのが本心だと、自分でも薄うす感づいていた。 新宿駅周辺で騒乱罪が適用された国際反戦デーの晩には、…

眼と倫理

『文藝 臨時増刊 横光利一讀本』(河出書房、1955) デビュー前の若書き作品『悲しみの代價』が世に公表されたのは、昭和三十年に刊行された『文藝 横光利一讀本』だった。横光歿後八年後である。 若き日の横光は、思い切って暮しを変えようとするさいには、なにもかも置きっぱなしにしたまま、身ひとつで家出でもするかのように引越してしまう人だったらしい。学生時代に前例があったとは、中山義秀が回想しているし、最初の妻が胸を患って他界したあとも、さようであったらしい。 最初の妻は小説家小島勗(つとむ)の妹だったが、横光去った跡を片づけた小島も三十そこそこで若死にしてしまい、未亡人がその後長く、横光の若書き草稿…

乗合馬車の喜劇

石野英夫:画。「とうよこ沿線」64号より無断切取りさせていただきました。 横光利一の初期代表作『日輪』が、フローベール作品から刺激を受けた作品との指摘は古くからされていて、今では学界常識となっているのだろう。もう一つの例を、わたしは面白いと思っているのだが。 『蠅』は田舎の村から町へ貨客を運ぶ、とある乗合馬車に起った顚末である。 定刻近くなったが、馭者の姿はない。駅舎となっている茶店で饅頭が蒸しあがるのを待っているのだ。近くではセイロがさかんに湯気を噴き出している。 町に仕事相手を待たせている紳士が、馬車の脇でやきもきしている。家族に会わねばならぬ中年婦人がおろおろしている。近くの雑木林からは…


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