さて、いまこのブログでは政治と歴史という事で、安政の五カ国条約や安政の大獄、そして桜田門外の変について書かせてもらっています。ここでは江戸幕府が開国をするまでの事を書いていましたが、そもそも日本は歴史の教科書でも学ぶ様な「鎖国政策」を何故とっていたのか、そこについては「江戸(徳川)幕府が貿易を独占したい為」であり、実は江戸時代、鎖国が為されていても長崎の出島で交易は行っていましたし、主にオランダとの交易をやる中で、ペリー来航の事についてもオランダから一年近く前に連絡が幕府に入っていた事を紹介してきました。 つまりこれは私が学生時代に学んで来た「鎖国」とは、少しというかかなり性質が違うものだった…