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曾子
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曾子

(読書)
【そうし】

古代中国、孔子の弟子。曾参。「曾参人を殺す」という故事で知られる。孝行息子として有名だった。

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【如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ】 Vol.496

孟氏(もうし) 陽膚(ようふ)をして士師(しし)為(た)ら使(し)む。曾子(そうし)に問う。曾子曰わく、上(かみ) 其の道を失い、民 散ずること久し。如(も)し其の情を得ば、則(すなわ)ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿(な)かれ。(「子張第十九」19) (解説) 孟氏が陽膚を士師に任用しようとした。陽膚は曾子にその心得を問うた。曾子はこう答えた。「為政者が道義を失い、民の心はばらばらになってもう長い。もし民の実情を得ることがあっても、むしろ哀しみ憐れと思い、喜ぶことがないようにせよ」と。 (論語 加地伸行) 「士師」、裁判官。 「曾子」、姓は曾、名は参。字名は子與。親孝行で有名だという。孔子…

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【孟荘子の孝や、其の他は能くす可きも、其の父の臣と父の政とを改めざる、是能くし難し】 Vol.495

曾子(そうし)曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり。孟荘子(もうそうし)の孝や、其の他は能(よ)くす可きも、其の父の臣と父の政とを改めざる、是(これ)能くし難し、と。(「子張第十九」18) (解説) 曾子の言葉。「私は孔子からこのことを学んだ。孟荘子の孝において、その他のことはできるが、亡父の臣であることとその政治を改めなかったことについては、とても出来そうにない」と。 (論語 加地伸行) 「孟荘子」、魯国の丈夫、仲孫速(ちゅうそんそく)。父は孟献子(もうけんし)で、賢人。 曾子が孔子から学んだことは、「父在(いま)せばその志を観(み)、父没すればその行いを観よ。三年父の道を改…

【人 未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か】 Vol.494

曾子(そうし)曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり。人 未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。(「子張第十九」17) (解説) 曾子の言葉。「私は孔子からこのことを学んだ。人間は、自然とまごころを尽くすということはなかなかない。もしあるとすれば、きっと親の喪儀のときである」。 (論語 加地伸行) 孔子は曾子に「吾が道は一以て之を貫く」といい。「夫子の道は、忠恕のみ」と曾子は門人たちにその意味を伝える。(「里仁第四」15) 孔子でさえ、常に「忠恕」を心がけていたというのだから、その実践がきわめて難しいのだろう。 dsupplying.hatenadiary.jp 「忠」は自己に対…

【堂堂たるかな張や。与に並びて仁を為し難し】 Vol.493

曾子(そうし)曰わく、堂堂たるかな張(ちょう)や。与(とも)に並びて仁を為し難し。(「子張第十九」16) (解説) 曾子の言葉。「子張は堂々としている。ただ、ともに仁を為すことは難しい」。 なぜに曾子はここまで厳しく子張を批判したのだろうか。 曾子は、「君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く」(「顔淵第十二」24)といい、君子は、学びを通して友人と交わり、お互いに「仁」を高めることを助け合うという。 dsupplying.hatenadiary.jp 「学而第一」4では、曾子は「吾 日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と」と…

【君子は思うこと其の位を出でず】 Vol.360 SNSとどう関わるべきか

子曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀(はか)らず、と。曾子(そうし)曰わく、君子は思うこと其の位を出でず、と。(「憲問第十四」26) (解説) 孔子の教え。「その地位にいるのでなければ、全体運営について口を挟まない」、と。曾子が言った。「教養人は、その考えることは、自分の本務を越えることのないようにしている」と。(論語 加地伸行) 「其の位に在らざれば、其の政(まつりごと)を謀(はか)らず」、「泰伯第八」14 に同じ文章がある。 dsupplying.hatenadiary.jp それに続く曾子の言葉は、「易」の艮(ごん)の卦(か)の象辞に「君子以て思うこと其の位を出でず」という言葉に似て…

【君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く】 Vol.305

曾子(そうし)曰わく、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。(「顔淵第十二」24) (解説) 曾子の教え。「君子 教養人は、学芸を通じて友人と交わる。その友誼によって、お互いに人格を高めることを助け合う」。(論語 加地伸行) 曾子は、「吾 日に吾が身を三省す」(「学而第一」4)といい、友の選択の必要性も説いた。桑原はこの章を、まず小さい範囲で忠信を尽くし、さらにおのれの能力に応じて行動半径を広げてゆくことを求めたものと解していた。 dsupplying.hatenadiary.jp 「泰伯第八」5で、曾子は、「能を以て不能に問い、多を以て寡なきに問い、有れども無きが若くし、実てども…

【仁 以て己が任と為す。亦重からずや。死して後已む。亦遠からずや。】 Vol.194

曾子曰わく、士は以て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任 重くして道 遠ければなり。仁 以て己が任と為す。亦(また)重からずや。死して後已(や)む。亦遠からずや。(「泰伯第八」7) (解説) 「曾子の教え。志のある者は、度量があり、また強い人間でなくてはならない。その負担が重く、達成まで遠いからである。人の道を己の任務とする。なんと重いことだ。それも死ぬまで続く。なんと遠いことだろう。」(論語 加地伸行) 桑原の解説。 「弘毅」とは、大らかで強い意志を持つこと。「士」とは、本来貴族階級の成年男子を指す。ただ孔子の時代には卿、大夫、士、庶民の四つの身分があり、士とはなんらかの特殊任務をもった…

【以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪う可からず】 Vol.193

曾子曰わく、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節(たいせつ)に臨みて奪う可(べ)からず。君子 人か、君子 人なり。(「泰伯第八」6) (解説) 「曾子の教え。幼少の君主を委ね託することができたり、また大国の政治を担当させることができたり、国家の大事を前にして確乎たる信念、節操を持ち続けることができるとする。このような人が教養人であろうか、教養人である。」(論語 加地伸行) 桑原の解説。 「六尺」とは背の高さをあらわし、当時の一尺はおおよそ23cmにあたるので、六尺は1m38ほどになり、未成年の孤児のことだが、こここでは幼少の君主を指す。「百里」とは百里四方の諸侯の国…

【有れども無きが若くし、実てども虚なるが若くし、犯さるるも校いず】 Vol.192

曾子曰わく、能を以て不能に問い、多を以て寡(すく)なきに問い、有れども無きが若(ごと)くし、実(み)てども虚なるが若くし、犯さるるも校(むく)いず。昔者(むかし)、吾が友 嘗(かつ)て斯(ここ)に従事せり。(「泰伯第八」5) (解説) 曾子の回想談。「才能がありながら誇ることなく、才なき者にも優れている点については教えを乞い、知識が豊富にありながら、知識の少ない者にもたずねて得るところを増やし、徳がありながら、まだまだ努力し、人間として充実しておりながら、不十分とし、他者から不法、非礼な行為を受けることがあっても、報復したりしなかった。もう昔のことになったが、亡きわが同門はできていたのだ」。(…

【鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言や善し】 Vol.191

曾子 疾(やまい)有り。孟敬子(もうけいし)之を問う。 曾子言う。曰わく、鳥の将(まさ)に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言や善し。君子 道に貴ぶ所の者 三あり。容貌を動かしては、斯(すなわ)ち暴慢に遠ざかる。顔色を正しくしては、斯ち信に近づく。辞気を出だしては、斯ち鄙倍(ひばい)に遠ざかる。籩豆(へんとう)の事は則ち有司(ゆうし)存す。(「泰伯第八」4) (解説) 「曾子が重病になられた。孟敬殿が見舞いに来られた。曾子がこうおっしゃられた。「鳥が死を迎えるとき、その絶命の鳴き声はまことに哀しい。人とて同じで、臨終のことばに心がこもっています。教養人は人の道において…


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