■■■質問■■■宮城谷昌光氏の文体について、硬めの漢語を駆使して一見近寄りがたいように見えますが、 「小さな騒擾をつくった」 「なんじのような孺子に何がわかるか」 みたいな文だと、2項関係の日本語フレーズの叙述としてロジックにメリハリがつくし、これらを和語でつまびらかに詳述しようとするとまどろっこしい、リズム感のない文章になってしまいます。要するに漢語をフル活用することにより、文の素材を小回りの利くユニット化することができて、結果的に構文構成の自由度が上がるということになります。このような文法的効果について考察・解説をお願いします。 ■■■回答■■■非常に鋭いご指摘ですね。宮城谷昌光氏の文体に…