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掩体壕
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掩体壕

(一般)
【えんたいごう】

戦時中に軍用機を敵の攻撃から守るためにつくられた施設。

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『 語り継ぐ 』

父は戦時中、通信兵として満州に行ってたらしいが戦争の話は一切しなかった。 『 鴨緑江に向かってのぉ、小便したらすぐ凍ったわ 』 記憶に残っているのはただ一言、それだけ。 母が亡くなり、お努めしていただいたお寺さま。 帰り際、御院家さんが書かれた本を手渡された。 『 だんだん、あの事を記憶する人がおらんようになって寂しい 』 母も語り部になってほしいと誘われたが、断り続けていた。 宇佐海軍航空隊の滑走路から、至近距離に母の実家。 昭和20年3月から空襲が始まり、終戦8月までB29など爆撃機やく400機。 空爆は11回に及び、基地の隊員や村人など500人以上が犠牲に。 ( 赤い印・庭に防空壕があっ…

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【鹿嶋市】櫻花公園【特攻兵器】

8月15日で終戦の日。 終戦記念日と言うこともあるけど記念日ってなんだよオラァ! 記念の意味的には間違ってはいないのですが、今日びおめでたい意味で使われる感があるから個人的には違和感が🙄 あと新聞だかテレビだかで「太平洋戦争で日本の主な出来事」みたいな説明で 真珠湾攻撃から始まり~(中略)沖縄戦~広島長崎へ原爆投下~終戦→おわりとなってて か、樺太は…千島列島は…北方領土は…ってなりました🤔 8月15日以降も戦いは続いてましたからね。 ソ連に抵抗してなければ北海道だって危うかったかもしれません。 日本人として大東亜戦争については色々と知っておきたいものです。 そんな訳で戦争関連のスポットを題材…

陸軍成増飛行場(高松飛行場)の遺構に出会う。

近場はほとんど探索してしまっていて、明日はどこを探索しようかなと悩む日々。 前日に決まらず、当日まで決まらないこともよくある。 今の季節なので、紫陽花の名所を調べていたら、練馬区に穴場的存在があることを知る。そこはまだ、行ったことがなかった。 その場所を確認するため、練馬区の地図を見ていたら、「掩体壕」の付箋が貼ってあるのに気が付いた。いつか行こうと思っていたのだが、すっかり忘れていたのだった。 紫陽花鑑賞を兼ねて行ってみることにした。準備を整えて家を出たのだが、途中、会社に持っていく資料を持ってくるのを忘れたことに気が付く。家に戻り、資料を持って再び出かける。約15分のロスタイム。急いでいる…

掩体壕など

とうとう、6月になってしまいましたね。個人的には来るべき時が来たというべきか、他の人から見ればただ雨が多いかもしれないというだけの月かも知れないですが。気温がそれほど高くないので過ごしやすいといえば過ごしやすい。まぁ、しばらくしたら夏日やら真夏日やらにもて遊ばれる日々となるでしょう。本日は、珍しくもストックしていた話題から。ん?話題にも何もならんかも。 以前、住宅地の中に突然でお伝えした掩体壕。っていうか、掩体壕について書いたことをおぼろげながらに覚えていたこと自体に驚きが(笑)。まぁ、それはさておき、その13年前の記事で記載出来なかった大沢2号掩体がこちらにございます。調布飛行所界隈に現存す…

鶉野飛行場 無蓋掩体壕跡

兵庫県加西市鶉野町に旧海軍が運用した無蓋掩体壕跡があります。 当地は、第二世界大戦中において建設された鶉野飛行場の跡地にあります。 鶉野(うずらの)飛行場は、昭和17年、兵庫県加西郡九会村・下里村において川西航空機姫路製作所の組立工場の建設が開始され、搬出入用の滑走路として並行されて造成されました。 当地周辺については、6年前に訪問しました。詳しくは、こちらへ。 掩体壕(えんたいごう)は、防御設備である掩体の一種です。軍用機等の装備、物資及び人員を敵の攻撃から守るためにコンクリート等で造った横穴状の施設です。 第二次世界大戦時における旧軍は、爆風・破片除けの土堤のみで屋根(天井)が無い簡易な無…

前浜掩体群

過日、ずっと訪れたかった場所へ。高知龍馬空港の近くにある「前浜掩体(えんたい)群」です。 掩体壕(ごう)とは、戦時中に軍用機を格納し、上空からの攻撃を防ぐために造られたシェルターのことです。日本各地に残る戦争遺跡のひとつとして、今も静かにその姿をとどめています。 高知県南国市には、かつて40基余りの掩体壕が築かれたそうですが、現在残っているのは7基のみだそうです。南国市の史跡にも指定されています。 田園地帯に点在する掩体壕は、のどかな風景と奇妙なコントラストを生み出していました。戦争の記憶と現代の風景が交差する、不思議な感覚を覚えました。 ▲後方には高知龍馬空港の滑走路が。離陸する旅客機も見え…

調布飛行場周辺に残る2つの掩体壕

掩体壕とは、軍用機を空襲などから守るための設備ですが、戦前・戦中に造られたものが役目を終えた今でも残っている例が各地に存在します。 今回は戦中に旧陸軍が使っていた、調布飛行場の近くに残る掩体壕を二つ見に行きました。 前々から掩体壕は気になっていましたが、地元やこれまで住んだ場所の近くには無かったので、ここでやっと見ることができました。 訪問:2024年3月 白糸台掩体壕 西武多摩川線の白糸台駅から少し歩いた住宅街。 甲州街道のすぐ脇に白糸台掩体壕が保存されています。 実は掩体壕を生で見たのはこれが初めてでした。 なかなか大きい。。この周辺の掩体壕は、1944年に造られたものだそうです。 案内看…

『 祈りの夏 』

今日は、終戦78年。 盆参りに来られた住職、帰り際にいただいた一冊の本。 『 掩体壕を残すまちから 』 住職ご本人の著。 『 新聞で紹介してもろうたけど、全然売れんでのぉ 』(^^;; 中学時代、絵を描く楽しみを教えていただいた女先生。 ご自宅は掩体壕の横、今は農機具やらの倉庫がわり。 先生、お元気でいらっしゃるかな。 ( 画像は、2011年12月撮影 ) 私が生まれた母の実家すぐそばに、宇佐海軍航空隊があった。 戦局が思わしくなくなった昭和19年10月、神風特別攻撃隊が編成され初めて出撃。 宇佐から飛び立った154名を含め、終戦まで隊員6371名が帰って来なかった。 宇佐への爆撃は昭和20年…


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