父は戦時中、通信兵として満州に行ってたらしいが戦争の話は一切しなかった。 『 鴨緑江に向かってのぉ、小便したらすぐ凍ったわ 』 記憶に残っているのはただ一言、それだけ。 母が亡くなり、お努めしていただいたお寺さま。 帰り際、御院家さんが書かれた本を手渡された。 『 だんだん、あの事を記憶する人がおらんようになって寂しい 』 母も語り部になってほしいと誘われたが、断り続けていた。 宇佐海軍航空隊の滑走路から、至近距離に母の実家。 昭和20年3月から空襲が始まり、終戦8月までB29など爆撃機やく400機。 空爆は11回に及び、基地の隊員や村人など500人以上が犠牲に。 ( 赤い印・庭に防空壕があっ…