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戦争体験の継承
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戦争体験の継承

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なぜ海軍は撤退しなかったのか?マニラ大虐殺の背景にあった“陸海軍の対立”

昨日はマニラ大虐殺について解説しました。 kumashine369.hatenablog.com なぜあのような凄惨な事件に発展してしまったのでしょうか?その原因の一つは、「陸軍と海軍の確執」です。 今回はここにポイントをあて解説していきます。 以下はChatGPTでまとめた文章です。 陸軍の判断: 海軍の判断: なぜ海軍は撤退を拒否したのか? ① 独立した指揮権(縦割り組織) ② 玉砕思想と名誉主義 ③ 市街戦の経験不足 結果:最悪の市街戦と民間人大虐殺へ まとめ|なぜこの対立が生んだ悲劇を語るべきなのか 参考文献・記録 「同じ日本軍なのに、命令がバラバラだった」 1945年、フィリピンの首…

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レイテ島から帰還した親戚のおじいさんの記憶──「なんであんな馬鹿なことをしたんだろう」

2015年7月。ぼくの親戚であるおじいさんが、91歳で亡くなりました。 彼は祖母の姉の旦那さんであり、太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島での戦火を生き抜いた、数少ない日本兵のひとりでした。 「戦争の話」をしてくれたのは亡くなる1年前 晩年、おじいさんは認知症が進み、会話の途中でぼくのことが誰だかわからなくなることもありました。でも、戦争の話になると突然記憶がよみがえったように、語り出したのです。 武器も、希望もなかった おじいさんが最初に語ったのは、アメリカ軍との装備の差でした。 アメリカの兵士たちは、連射式の機関銃を当たり前のように使っていた。それに対して、日本兵の銃は明治時代からほとんど…

満州国からシベリアへ抑留されたおじいさんの話

私がなぜ満州国についての記事を書くのか。それは、私の祖父が戦時中に満州国にいたからです。 kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com 昭和19年、祖父は軍人として満州へ送られ、そこで終戦を迎えました。その後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアへ連行されます。過酷な環境の中で3年間の抑留生活を送り、無事に帰国したものの、シベリアでの劣悪な環境が原因で腎臓を悪くしていました。そして、帰国から7年後、父が1歳の誕生日を迎えた日に亡くなりました。 父は祖父の記憶を持たず、祖母も引揚げ後…

戦争の回想録:「体験者の『時間切れ』が刻一刻と迫るだけに、語り部として有効」

昨日記事に アタシゃユダヤ人が被害者の側面を否定したりしないが ユダヤ人は選民意識と紙一重に近い民族とあって、差別と偏見に基づく敵を作りやすい 「内なる悪に目を向け、耳を傾け、逸らさぬように」お忘れなく と書いた 何しろイスラエル現状が、加害者の側に回ってるからね また 魂むしばむ恐怖と孤独 生存者「伝え続ける」―27日、アウシュビッツ解放80年:時事ドットコム 生存者であるのは事実で、生存者であるが故の苦痛を後世へ伝えることは重要だけど 収容所の記憶は全く無いだけに、「ホロコーストを直接経験した最後の世代として記憶を語る」とは言えない 戦後80年も経てば、生存者と言えど語り部になれない世代が…

風化はするに決まってる

毎年この国では今時分、バカの一つ覚えみたいな「風化させてはならない」の連呼のおかげで、あくまでも私ツキヨタケの主観であるが、暑苦しさが増していると思われる。 太平洋戦争を体験した人々に順次お迎えが来てる以上、いつまでも語り継げるわけはないのだが、次世代の語り部養成が急務とかいうタワゴトも聞こえている。自分の体験でもないことを語るって、そりゃ演技とか芝居とか言うぞ、普通は。 まあ、この国の義務教育の現場では、児童生徒は戦争体験を聞いて「戦争はヒサン」「戦争はあってはならない」という作文を書かなければならないことになっているらしいので、語り部の需要が途切れないのだろう。 第1次世界大戦と第2次世界…


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