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常陸宮
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常陸宮

(一般)
【ひたちのみや】

宮家の一つ
昭和天皇の第二皇子・正仁親王によって創設。

常陸宮正仁親王

昭和10年11月28日生まれ
今上天皇の弟宮。幼名・義宮(よしのみや)
昭和39年(1964年)9月30日 旧伯爵・津軽義孝氏の四女・華子と結婚し常陸宮家を創設。

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【源氏物語 第6帖 末摘花〈すえつむはな〉】

🪷源氏18歳正月頃~19歳正月🪷 乳母子の大輔の命婦から亡き常陸宮の姫君の噂を聞いた源氏は、 「零落した悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いて求愛した。 親友の頭中将とも競い合って逢瀬を果たしたものの、 彼女の対応の覚束なさは源氏を困惑させた。 さらにある雪の朝、 姫君の顔を覗き見た光源氏はその醜さに仰天する。 その後もあまりに世間知らずな言動の数々に辟易しつつも、 源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、 また素直な心根に見捨てられないものを感じて、 彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった。 二条の自宅で源氏は鼻の赤い女人の絵を描き、 さらに自分の鼻にも赤い絵の具を塗って、 若紫と兄妹のように…

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【10分で聴く源氏物語 第15帖 蓬生1〈よもぎう〉】源氏の庇護で幸福であった末摘花の姫君も、源氏が須磨 明石に旅立ってからは忘れられ、底なしの貧しい身の上になった。底なしの貧しさって by 🙀

🌿【源氏物語501 第15帖 蓬生1】真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発した際のことも 無視して行かれた恋人たちがそれであった。 〜源氏が須磨《すま》、明石《あかし》に 漂泊《さすら》っていたころは、 京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、 しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、 たとえば二条の夫人などは、 源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、 便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、 当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳《いしょう》も 季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。 真実悲しい境遇に落ちた人というのは、 …

【🌹10分で聴く源氏物語 第6帖 末摘花1〈すえつむはな〉】気の毒な宮家の姫君の話を聞いた源氏。 大輔の命婦に無理を言って 姫君の琴を聴く機会を得る‥ちょっと待て 源氏くん(^◇^;)by🐱

🌸不遇な姫の話を聞く【源氏81 第六帖 末摘花1】 源氏の君の夕顔を失った悲しみは、 月がたち年が変わっても忘れることができなかった。 左大臣家にいる夫人も、 六条の貴女《きじょ》も強い思い上がりと 源氏の他の愛人を 寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、 扱いにくいことによっても、 源氏はあの気楽な自由な気持ちを与えてくれた恋人ばかりが 追慕されるのである。 どうかしてたいそうな身分のない女で、 可憐《かれん》で、 そして世間的にあまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと 懲りもせずに思っている。 少しよいらしく言われる女にはすぐに源氏の好奇心は向く。 さて接近して行こうと思うの…

【源氏物語741 第22帖 玉鬘41 完】「歌の手引き草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、ほかの作り方ができないものと見える‥」

「いろんな歌の手引き草とか、 歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、 その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、 それよりほかの作り方ができないものと見える。 常陸《ひたち》の親王のお書きになった 紙屋紙《かんやがみ》の草紙というのを、 読めと言って女王《にょおう》さんが貸してくれたがね、 歌の髄脳《ずいのう》、歌の病《やまい》、 そんなことがあまりたくさん書いてあったから、 もともとそのほうの才分の少ない私などは、 それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、 むずかしくてお返ししましたよ。 それに通じている人の歌としては、 だれでもが作るような古いところが…

🪻【聞き流し 作業&学習BGM11〜20】🌿源氏物語に親しむ🪷(少し早めの設定にしています)

源氏物語、古典文学の朗読&癒しの音楽🌿 美しい言葉と音楽でリラックスしましょう🍀 このチャンネルは、多くの方が古典文学に親しむこと、 美しい言葉を記録として残すことが私の希望です🌸 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com 【ふるさと納税】袋帯(立涌唐花文)1本価格: 2143000 円楽天で詳細を見る 【ふるさと納税】袋帯【裂取浮線綾】1本 価格: 2143000 円楽天で詳細を見る

【源氏85 第六帖 末摘花5】頭中将はちゃっかり常陸宮の姫に手紙を送る。源氏は中将をじらすが自分も返事が来ていないのは同じ

【古文】 「しかしかの返り事は見たまふや。 試みにかすめたりしこそ、はしたなくて止みにしか」 と、憂ふれば、 「さればよ、言ひ寄りにけるをや」 と、ほほ笑まれて、 「いさ、見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」 と、答へたまふを、 「人わきしける」 と思ふに、いとねたし。 君は、深うしも思はぬことの、かう情けなきを、 すさまじく思ひなりたまひにしかど、 かうこの中将の言ひありきけるを、 「言多く言ひなれたらむ方にぞ靡かむかし。 したり顔にて、 もとのことを思ひ放ちたらむけしきこそ、 憂はしかるべけれ」 と思して、命婦をまめやかに語らひたまふ。 「おぼつかなく、もて離れたる御けしきなむ、 いと…

【源氏物語84 第六帖 末摘花4】源氏と頭中将は一つの車に乗って左大臣家に🌿二人の貴公子は 荒れ屋敷の琴の音を思い出す。

【源氏物語84 第六帖 末摘花4】 〈古文〉 おのおの契れる方にも、あまえて、 え行き別れたまはず、一つ車に乗りて、 月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど、 笛吹き合せて大殿におはしぬ。 前駆なども追はせたまはず、忍び入りて、 人見ぬ廊に御直衣ども召して、着替へたまふ。 つれなう、今来るやうにて、 御笛ども吹きすさびておはすれば、 大臣、例の聞き過ぐしたまはで、 高麗笛取り出でたまへり。 いと上手におはすれば、いとおもしろう吹きたまふ。 御琴召して、内にも、 この方に心得たる人びとに弾かせたまふ。 中務の君、わざと琵琶は弾けど、 頭の君心かけたるをもて離れて、 ただこのたまさかなる御けしきのな…

【源氏82 第六帖 末摘花2】源氏は常陸宮邸を訪問して 命婦に姫の琴が聞きたいと望む。命婦は姫に琴を聞かせてほしいと頼む。源氏は姫との交際を望む。

【古文】 のたまひしもしるく、 十六夜の月をかしきほどにおはしたり。 「いと、かたはらいたきわざかな。 ものの音澄むべき夜のさまにもはべらざめるに」 と聞こゆれど、 「なほ、あなたにわたりて、 ただ一声も、もよほしきこえよ。 むなしくて帰らむが、ねたかるべきを」 とのたまへば、 うちとけたる住み処に据ゑたてまつりて、 うしろめたうかたじけなしと思へど、 寝殿に参りたれば、まだ格子もさながら、 梅の香をかしきを見出だしてものしたまふ。 よき折かな、と思ひて、 「御琴の音、いかにまさりはべらむと、 思ひたまへらるる夜のけしきに、 誘はれはべりてなむ。 心あわたたしき出で入りに、 えうけたまはらぬこ…

🌿源氏物語 第15帖 蓬生(よもぎう)〜光源氏が須磨へ蟄居してから帰京後までの話。

光源氏が須磨へ蟄居してから帰京後までの話。 源氏が都を追われ、後見を失った末摘花の生活は困窮を極めていた。 邸は荒れ果てて召使たちも去り、 受領の北の方となっている叔母が姫を娘の女房に迎えようとするが、 末摘花は応じない。 やがて源氏が帰京したが、 末摘花は相変わらず忘れられたきりで嘆きに暮れる。 そのうち叔母の夫が大宰大弐となり、 叔母は末摘花が頼りにしていた乳母子の侍従を連れて行ってしまった。 年も改まって春になり、 ある夜花散里を訪ねようと出かけた源氏は、 途中通りかかった荒れた邸が常陸宮邸であると気付く。 藤原惟光が使いに立ち、 今も末摘花が変わらず待ち続けていたことを知って、 心打た…

【源氏物語537 第15帖 蓬生37】常陸宮に贈るのは 源氏自身が何かと指図をして細やかに支援をし、屋敷の手入れなどもさせた。

賀茂祭り、斎院の御禊《ごけい》などのあるころは、 その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、 源氏はまたあちらこちらへ分配した。 その中でも常陸の宮へ贈るのは、 源氏自身が何かと指図《さしず》をして、 宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。 親しい家司《けいし》に命じて下男などを 宮家へやって邸内の手入れをさせた。 庭の蓬《よもぎ》を刈らせ、 応急に土塀《どべい》の代わりの板塀を作らせなどした。 源氏が妻と認めての待遇をし出したと 世間から見られるのは不名誉な気がして、 自身で訪ねて行くことはなかった。 🌱緑葉は薫る written by のる🌱 🌷第15帖 蓬生(よもぎう…


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